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□模範的な恋人
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ミンソクが、帰って来た。
韓国の国の制度で、しばし芸能界を離れていたけれど、その任期がようやく終ったのだ。ひとまず電話でお疲れ様、とやりとりをしてから、早数週間。俺は仕事に合間ができるのを心待ちにしていた。早く会いたかったのは当然だけれど、ねぎらいの言葉は直接会って伝えたいという想いがあった。撮影の合間に、なんとか時間ができた俺は、急いで飛行機の手配をした。

いつも通り、客の少ない最終便に乗り込む。飛行機は苦手だけれど、窓から見える暗い空の向こうに、大切な人が帰っている。そう思うと、この辛い時間もいくらか和らぐのだ。




模範的な恋人



玄関で出迎えてくれた彼に、ドアが開くや否や俺は靴も脱がずに飛び付いた。

「おかえり!!お疲れ様!!」
「うん、ただいま。ありがとう」

ありふれた言葉だけど、直接届けたかった言葉。本当は誰よりも一番先に言いたかったけど…、そこは、仕方ないだろう。

「……」
「おい、いい加減離せよ」
「ん〜…」

ダウン越しでも、ミンソクのからだの形や、温度は分かる。他の人では得られない温もり。離れている間は、いつだってこれが恋しい。

「風邪、引くから。中入れって」

そう言って、ミンソクが俺の冷たい俺の頬をつまんだので、しぶしぶ離れた。俺を見つめる穏やかな笑顔に、ミンソクも俺の来訪を喜んでくれているのが分かって、胸が満たされた。

「ん」     

俺はリュック一つで来た。お土産も、除隊祝いの花束も何もない。だって、高価な贈り物も、豪華な食事も、俺たちにはあんまり意味をなさないことは、とうに分かっているから。それよりも、相手の服を勝手に着たり、一つしかない肉まんを分けて食べたり、そんなことが、懐かしくてどれほどいとおしかったかと今さら思う。どんなにお金を払っても、あの頃の日々は二度と手に入らない。

「部屋寒くない?」
「平気だよ」

適当にいくつか出前を頼んで、ビールで乾杯をする。楽しくて、尽きないおしゃべり。ミンソクは終始機嫌良く、口数も多かった。食べ終えると、ミンソクはシャワーを浴びに行ってしまった。

ソファに一人座って、部屋を見渡す。妹さんが定期的に来て掃除をしてくれていたらしい。部屋は以前と変わらず無駄なものが一切無く、髪の毛一本落ちて無い。それなのについつい気になって、キョロキョロしてしまう。休暇中に訪れた時と、変化があるんじゃないかって。とは言え、勝手に部屋の中を歩き回って詮索する気にはなれなくて、ぼーっとミンソクの戻りを待った。

暇潰しにスマホをいじっていると、面白い記事を見つけた。驚いて二度見して、思わず声を出して笑った。

「あっはははは!」

入隊前のファンミーティングで、ミンソクがファンに向けた言葉だ。

『浮気したら殺す』

"アイドル・シウミン"らしからぬ物騒な物言いに笑いが止まらなくて、ソファの上に倒れこむ。

「何笑ってんの?」

ちょうどバスルームから出てきたミンソクが、タオルで髪を拭きながら俺に尋ねる。黒いTシャツから伸びる腕は、前より逞しくなっているのは気のせいだと思いたい。(羨ましい)

「ミンソ、兵役前に、ファンに浮気したら殺すなんて言ったの?俺、今初めて知った!!」
「ああ…」
「殺すって!あっははは!」
「別に、ジョークだよ。面白いだろ?」

俺的には、ミンソクらしいユーモアにあふれた、とても面白い発言だと思った。彼の普段のキャラクターとのギャップに、ファンも相当喜んだに違いないだろう。

「そんなにおかしいか?まぁ、あの時はちょっとテンションが上がってたけどさ」
「うける、束縛系の彼氏みたい、ひひひ」
「何の記事を見てんだよ」

後ろにまわったミンソクが、俺のスマホをのぞきこむ。シャンプーのいいにおいがふわりと漂う。

「これこれ、ほら」
「ふうん」

タオルを干しに行き、戻ってきたミンソクは、俺の隣に腰を下ろした。ふと俺は、近づいた恋人の姿をしげしげと眺めた。

「?なに?」
「なんか変わった気がする」
「そうかな」

長かった兵役生活のためか、髪型のせいか、はたまた一つ年を重ねたせいなのかは分からないけれど、ミンソクは、前に会った時とはどことなく違う雰囲気を醸し出していた。けして、悪い印象ではない。でも、何かが…
さっき食事をしていた時までは、あまり気にならなかったのに。お互いに楽しくて、盛り上がっていたからだろうか。すぐに目線を逸らしたけど、俺はテレビを見るミンソクの横顔を、まだチラチラと見ていた。

「ねー」
「ん?」
「なにか、して欲しいことない?」
「して欲しいこと?」
「ミンソク、兵役頑張ったから、お祝いに。プレゼントがいいなら、買って送るよ」

どんな反応を示すか心配だったから、指先をいじりながら俺は訪ねた。だって、俺はいつも…彼にとって、良い恋人じゃないから。彼が辛い時、幸福な時、一番に駆けつけられない。それを、良い恋人だって言えるだろうか?俺の想いを知ってか知らずか、本人は頭の後ろで手を組み、天井を見上げて考えている。
  
「欲しいもの…して欲しいことねぇ…」
「ない?」
「うーん…ないこともないけど」
「遠慮しないで言って!」
「うーん…」

ミンソクの横顔を飼い犬ようにじっと見つめて、俺は答えを待った。
 
「じゃあ、マッサージして。はい」

ミンソクはさっそくラグの上に腹這いになった。 

「マッサージ?」
「練習生のとき、少しは習っただろ?」
「ああ…」
「一年半慣れないことして疲れたから、お願いしまーす」

そう言ってミンソクは、ぱちりと目を閉じた。マッサージなら確かにできそうだ。俺もトレーナーさんにやってもらってるし。ミンソクが、俺でもできることを言ってくれたことに、優しさを感じた。

横に座って足を揉んだり、背中をほぐしたりする。お風呂上がりの体は、まだぽかぽかしている。

「うっ、ひひひ」
「えっ、痛い?」
「違う、くすぐったい、」

力が足りなかったのだろうか。俺は手に力を込める。  
 
「ふぅ〜」

一息ついたミンソクに、俺は改めて言った。

「お疲れ様、ほんとに」
「ありがと」
「ほっとしてる?」
「…半分かなぁ」

ミンソクは目を伏せたまま、苦笑いした。

「半分?」
「戻ってこれて嬉しいのと、これからが不安なのが半分、て意味。これからは、個人の仕事も、増やしていかないといけないし」
「ゴメン」

はっとして俺はすぐに謝った。

「なんで、謝るんだよお前が」
「だって、俺は兵役無いから、その気持ちが、分かんないから…」
 
振り向いて、ミンソクは眉をひそめた。

「別にお前と俺の条件がちがうのは当たり前だし、それはお前が悪い訳じゃないだろ」
「…うん」
「逆に、走りっぱなしなのも、疲れない?俺は入隊して、久々に規則正しい生活ができたのはありがたかったよ」
「そう、かも」
「お前も行ってみれば?」
「それは無理!」

即答して、次は体の上にまたがって、肩から腕をマッサージする。こうやってどこかに触っているだけで、側に来れたんだと実感する。

「お前はどうだった?まあ、休暇中に一回会ったけど」
「俺?俺は何も変わらないよ、仕事もなんとかやってるし、いいときも、悪いときもあるけど、それは変わらないから」
「そっか」

頑張りが評価されるときもあれば、思わぬところで足を掬われる日もある。誤解ばかりを受ける日々もあるし、ファンのおかげで心が暖かくなる日もある。

結局、誠実に、正直にやっていくしかないのだ。伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。それが、人に見られ続けるという、この仕事なのだと思う。

そんなことをマッサージしながらぽつぽつ話せば、ミンソクは再び振り向いた。真面目な顔で。仕方なく、俺も手を止める

「なんか、ルハナ、大人になった?」
「は?」
「話すことが変わったっていうか」
「そうかな」
「前は、怖い怖いって泣いてたのに」
「泣いてないよ!」
「いやいや〜」

大人になれたかは分からないけど、ものの見え方は、少し変わったかもしれない。それはミンソクだって同じはずだ。俺たちは残念ながらもう子供じゃない。時には諦めたり、引き返しながら、それでも前を向いて歩いていくのだ。

唯一変わらないとしたら、こうしてミンソクの隣にいるときだけが、俺が全部のしがらみから解放されて、楽になれる場所だということ。

「はい、もういいよ」
「いいの?」
「うん、気持ち良かった」

起き上がったミンソクが、ありがとう、と言って、俺に口づけた。それからそっと、俺の身体を引き寄せた。暖かい胸から、とくとくと心臓の音がする。やっぱり、ここが俺の一番安心する居場所だ。

「さびしいな」
「どうして?」
「お前が大人になっちゃったら、俺がいらなくなるんじゃないかと思って」
「そんなことないよ」

自分も腕を回して、ミンソクに抱きつく。ビジネスの場で大人になれることと、ただのルーハンを支えてくれる人が必要なのは、まったく別の話だ。

「ミンソクといるときだけが、本当の俺だよ」
「…うん」
「だから、そんな風に思わないで欲しい」

自分からも唇を寄せてキスした。ミンソクは一瞬びっくりした後、小さく笑ってもう一度唇を重ねてくれた。首に添えられた手も、耳を撫でる指も全部心地良い。

好きな人に会って話せる。

直接触れられる。

キスできる。

世の中の恋人同士には当たり前のことかもしれないけれど、俺達にとっては、贅沢なことばかりだ。離れていた時間を、距離を埋めるように、ミンソクは俺の唇を、
奪って離さなかった。



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