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□Dream In A Dream
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予想とは裏腹に、ルハンは約束通り王室付きの踊り子になることが決まりました。前よりも、ずっと恵まれた暮らしを送ることができます。毎週金曜日の夕食の宴の時には王様たちの前で踊り、近隣の国から客人が来たなどの予定があれば他の日にも行います。それ以外の日は、音楽や踊りの勉強や練習に当てることが出来ました。
一度目はお腹の具合でも悪かったのかと思いましたが、最初の金曜日を迎えても、シウミンの態度は変わりませんでした。相変わらず温度のない眼差しが、向けられているだけでした。


ある昼下がり、好奇心旺盛なルハンは時間が空いたのでまたお城を探検していましたが、珍しい場所を見つけました。お城には広くて立派な庭園がありますが、くまなく歩くと、隠されたさらに小さな庭が姿を表したのです。

「ここはなんだろう?秘密の場所みたい…」

黄色いばらの咲いた背の低い木が、まるきり均等に、等間隔に並んで植えられていました。地面の飾り石も整列し、行儀よく並んでいます。一風変わった風情です。池の中には、三匹の鯉が泳いでいました。赤が二匹、黒が一匹です。ばらは誰かが大切に手入れしているのか、どれも美しく咲いていて、顔を近づけるとかぐわしい香りがしました。

「ん〜、いいにおい!黄色いばらなんて、ルウ見たことないや。それにしても、変な庭だなあ、誰かが図を書いてきちんと測って並べたみたいだ」

手のひらを添えて、もう一度ばらの香りを嗅ごうとした時でした。

「おい!」

突然、誰かがルハンに鋭い声で呼び掛けました。子供のように高く幼いけれど、怒っているような声色です。

振り向くと、第一王子のシウミンが廊下に立ってこちらを睨んでいるではありませんか。

「勝手に触るな!」
「ご、ごめんなさい!」

ルハンは慌てて伸ばしていた手を引っ込めました。

「ん?」

冷や汗をかいているルハンの足元に、何かがくすぐりました。ふわふわの、猫です。ルハンは動物が好きでしたので、偶然現れた野良猫だと思って、抱き上げようとしゃがみました。

「あっ、可愛い、やあ、おいで」
「こら!勝手に触るなと言ってるだろ!」
「わっ!」

王子様はずかずかルハンの側まで来ると、ルハンがするより早く奪うように猫を抱き上げました。まさか、この猫は王子様の猫だったのでしょうか。

「ごめんなさい!知らなくて… 」

そばに来ると、シウミンの威圧感はよりいっそうすごいものがありました。寒気がしそうです。背がルハンより低くて良かったでしょう、もし高かったらもっと恐ろしかったに違いありません。至近距離でルハンを冷たく一瞥すると、シウミンは何も言わずに、長い着物を翻しスタスタと廊下の方へ去っていきました。

「び、びっくりしたあ…怖いなぁ…」

驚いたルハンは、しばし立ちすくんでしまいました。しかし冷静になると、むかむかとした、腹立たしい気持ちが込み上げてきました。別にばらを摘もうとした訳でも、猫をいじめた訳でもありません。きれいだなと思って、愛でようとしただけです。シウミンの言い方は、まるでルハンが悪いことをしたと決めつけるようでした。

「いつ見ても笑ってないし、感じ悪いし…やっぱり噂通りの嫌な人なのかも!ふん、いーだ、あっかんべー!」

誰もいない廊下に向かって、ルハンはベーっと舌を出しました。



庭から出ていくと、また誰かがルハンに声をかけました。

「いたいた、おーい、ルハン様!食事!冷めちゃうよ!」

背の高い男の子が、駆け寄ってきました。

「?君はだれ?」
「俺はジョンインです。シウミン様は護衛をつけてないから、代わりの雑用係って感じかな」

ルハンよりだいぶ背が高いものの、顔立ちは幼いので、まだ13
、4才といったところでしょうか。彼のいう通り、シウミンはジョンインに時々用事を頼む他には、いつも護衛や仕官をつけていませんでした。

「ルハン様の部屋に昼食を運んだらもぬけの殻だったから、探し回ったよ」
「ごめん、探検してたんだ。っていうか、ルウに様なんてつけなくていいのに」
「俺は、ここでは一番低い身分だから」
「そんなの関係ないよ、ジョンインよりルウの方がここじゃ新入りなんだからさ」
「あんなに綺麗に踊るからどんな上品な人なのかと思ってたけど、ルハン様って、親しみやすい人だね」
「そうかな?」

ジョンインの気さくな態度に、ルハンはつい尋ねてみました。

「ねぇ、あっちにあった黄色いばらの咲いてる庭って…」
「えっ、もうあの場所を見つけたの?勝手に入らない方がいいよ。あそこはシウミン様専用の庭さ」
「やっぱりそうだったんだ」
「庭師は信用ならないって言って、あの庭にある木だけは全部自分で手入れしてるんだ、虫がついたり病気にならないように、毎朝一本一本、枝の先まで調べて…アブラムシ一匹見逃さないよ、あの人は、アハハ!」
「そりゃすごいね。目がいいの?」

相当、面白いと思っているのでしょう。ジョンインは自分で話して自分で笑っています。

「違うって!完璧主義者で、ひどい潔癖症なんだ、毎朝俺が掃除した場所を見回って、チリがひとつでも落ちてれば、絶対やり直しさせるんだ、厳しすぎるよ。おっかないったらありゃしない」
「ぷぷっ、変なの!」

極端な性格の窺える逸話の数々に、ルハンも思わず吹き出してしまいました。部屋まで戻りながら、ジョンインはまだひそひそ声でシウミンの話を続けてくれました。

「護衛や仕官をつけない理由?信用していないからさ。自分以外の人を信用していないんだ。あの人は武術にも長けてるうえにとんでもなく賢くて注意深くて、頭の後ろにも目があるくらいだからね」
「頭の後ろにも」

話を聞く限り、どうやらシウミンは、相当な変わり者であることは間違い無さそうです。

「あ、誤解しないでね。変わっているだけで、けして悪い人じゃないんだよ、俺の姉さんが病気になった時は、長いこと休みもくれたし、お医者様にかかれるように、お金もたくさん貸してくれた。だから俺は感謝してるし、これからもシウミン様に仕えようと思ってるよ」
「へぇ…」
「ルハン様も、気に入られたんじゃないかな?シウミン様は美意識も半端なく高いんだ。もし気に入らなければ、音楽隊だろうが屏風の絵師だろうが容赦なく辞めさせるから」
「うーん、そうとは思えないけど…」

先日の宴の時も相変わらずの仏頂面で、さっきはついに直接お叱りを受けました。とてもルハンを気に入ってくれているとは思えませんでした。





王子様の誕生日から、約ひと月が流れました。クビにこそならないものの、ルハンはちょっぴり気落ちすることが多くなりました。シウミンの態度は変わりませんでしたし、加えて新しい生活に疲れも出てきたのでしょう。お城での暮らしは何一つ不自由がないはずなのに、どこか窮屈でした。その晩も、なかなか眠れず布団を抜け出しました。贅沢過ぎるほど、立派で暖かい寝台なのに。

懲りないルハンは、こっそりシウミンの庭に向かいました。小さくてこじんまりと守られたような場所で、すっかり気に入ってしまったのです。こんな真夜中ならまさかシウミンが見に来ることはないでしょう。

池の岩の縁に腰掛け、甘く柔らかなばらの香りに包まれていると、疲れがいくらか和らぎました。

「ルウ、これからもお城でうまくやっていけるかな…父さん、母さん、どう思う…?」

耳飾りを外して、手のひらに乗せました。このちっぽけな赤い石と銀色の鎖が唯一、ルハンにとっては両親を思い出させてくれるものでした。明るく朗らかな踊り子は、両親の温もりを知ることなく育ちました。

ふと涙がにじんで、夜空を見上げました。空の一番高いところに、真珠のように丸い月が佇んでいます。同じ月のはずなのに、心細いせいなのか、何故か今夜はいつもより遠くに感じられました。ルハンは目元を拭いましたが、それより早く涙がこぼれ落ちました。

「やだな、涙なんて、男なのに」

自分を励ますために、ルハンは小声で歌を口ずさむことにしました。ルハンさ踊りだけでなく歌うことも好きで、辛いときはいつも歌を歌いました。

『♪どこで君と逢っただろう、君の笑顔を、こんなにもよく知っているのに』

鈴を転がしたような愛らしい声です。昔々に暮らした国で、よく歌われている歌でした。

『♪僕はなかなか、思いだせな…』


カサ、と茂みの葉っぱの揺れる音がしました。

「?誰かいるの?」

すぐに立ち上がり、辺りを見回しましたが、誰もいませんでした。まさかまたシウミンかと思いましたが、そんなはずはないでしょう。昼間は執務に忙しく勤しんでいるシウミンが、真夜中まで起きている訳がありません。

「よし、今日はルウももう寝ようかな、ばいばい、晩安…」

池の鯉たちにそう告げて、ルハンは部屋に戻っていきました。






それから、眠れない夜は王子様の黄色いばらの庭で過ごすことが、ルハンの密かなお気に入りになりました。昼間には一生懸命踊りを練習し、新しい演目の振り付けを考えたりしました。


さて、ある晩事件が起きました。ルハンがいつものようにばらの庭にいると、ドタドタとこの場所に似つかわしくない賑やかな足音がしました。

「おい」
「?」

現れたのは二人組の男です。身なりからして非番の門兵のようです。ずいぶんお酒のにおいがします。

「お前、いつもここにいるな」
「悪いかよ」
「退屈なんだろう、どうだ、俺たちと一緒に来ないか」
「ハア?行かねーよ」

酔っぱらいの馴れ馴れしい物言いに腹が立ち、ルハンは乱暴に言い返しました。気の短いところもあるのです。

「近くで見ると綺麗な顔だな、女みたいだ」
「ルウは男だ!」
「女の着物に着替えて、俺たちの前でも踊ってみせろ。可愛がってやるよ」
「ばかにするな!!」

カチンと頭にきたルハンは即座に片方の男の急所を蹴り上げました。女の子みたいな顔だと言われるのが、大嫌いだからです。

「うっっ…!ぐぬぬ…」

男は股間を押さえて苦しそうにうずくまりました。

「お前、調子に乗りやがって」
「うわ!」
「痛い目に合わせてやる!」

逃げようとしましたが、逆上した男達に力ずくで押さえ込まれ、地面に倒されてしまいました。門兵ですから、ルハンより大きくて力もあります。

「いてて、はなせ!」
「うるさい、生意気なんだよ!ただの貧しい芸子のくせに!」

一人に頬を殴られ、もう一人が持っていたお酒をルハンに頭からドボドボと浴びせかけます。足も手も押さえられた状態で襟元に手が延びて、ルハンは咄嗟に肩をすくめました。



「誰だ、何をしている」

声がして、暗闇にふっと橙の灯りが浮かび上がりました。灯りが眩しく、声の主は見えません。

「うわっ!やばい!」
「まずいぞ、この声は…」

門兵たちは、慌てて離れると一目散に走り去っていきました。ルハンも後を追いたかったのですが、浴びせられたお酒の酔いが回ってふらふらとして、立ち上がることが出来ません。

「待て、こら、あ、あれ…」
「無理に立つな」

灯りを置き、誰かがルハンの背中を支えて抱き起こします。

「この野郎、仕返ししてやる、…っ」
「いいからしゃべるな、動くんじゃない」

殴られて怪我をした唇の血を、その人が拭います。指先から、ほんのりとばらの香りがしました。まさか、と思いながら、ルハンはそこでぱったりと気を失ってしまいました。灯りの持ち主はルハンを軽々抱き上げると、どこかへ運びました。




ぼんやりと目を覚ましたルハンに、誰かが声をかけます。

「んん…」
「痛むか」

天井の木目が、ぐるぐる回って見えます。

「水だ、飲みな」

唇の傷に染みたけれど、ルハンは横になったまま、こくりと皿から水を飲みました。部屋も暗いままで、お酒のせいで目眩もして、誰が介抱してくれているのか分かりません。

「みず、もう少し」

ルハンがせがむと、その人はもう一度皿を唇に近づけてくれましたが、すぐに飲み干してしまいます。喉がからからに乾いていました。

「もっと、もうちょっと…」

ほどなくして、再びルハンの唇に水が注がれました。さっきよりずっと、多く。

「ん、っく…」

覆い被さる誰かの、重ねられた唇から。

喉が潤うと、気が済んだのか、ルハンは瞳を伏せてまた眠りに落ちていきました。
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