短編集

□恋愛事情
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呼び鈴は鳴らさない。
夜遊びの激しいこの部屋の主は、今日みたいなゆったりした日曜の朝は、よく昼過ぎまで寝ているからだ。
安眠を妨げられるのは誰だって腹立たしいものだけれど、彼はそれに加えて自分のペースやスペースを乱されるのを一番に嫌う。
だから、いつものように、ポケットから取り出した合鍵で勝手に解錠し、そして勝手に室内へと踏み入った。

この合鍵は、大学と平行してCGデザイナーの専門学校に通い始めた時に、「ここから専門学校は近いんだから、好きに泊まれよ」とメロが渡してくれものだ。
自分の自宅からは遠くて時間的な苦労が多かったから、そのありがたい申し出にはすぐに飛び付いた。
しかし、いくら「好きに泊まれ」などと言われていたとしても、やはり最低限の礼儀くらいは必要だと、自称常識人であるマットは考えている。

廊下を中心とした部屋の様子が視界に広がっていくのを確認しながら、「メロー?」と名前を呼んでみたりするのは、「中に入りますよー」という自分の中の一応のマナーに添うものだったりするのだ。
訪ねるのはだいたい課題をやり遂げた平日の夜更けが多かったから、当然の気遣いだ。
それはすっかり習慣付いてしまっていたらしく、もう専門学校は卒業してここに来るのも久しぶりだというのに、律儀にそれを守り続けている自分にちょっと笑った。

返事はなかったけれど、恒例の声かけは終わったからと、そっと中へと足を踏み入らせる。
すぐに耳に飛び込んできたのは、ドライヤーの音だった。

・・・ああ、朝帰りをした足でシャワールームへ直行したってところか。
夜通し遊んで楽しんで、今さっき帰って来たという流れに違いない。
そう考えて、マットはため息をついた。
健全とは絶対に言えない、そんな生活を咎めるようなお節介をする気などもちろんない。
ないのだが、純粋健全だった幼い頃の友人を知っている幼馴染みとしては、軽い嫌がらせ的なことくらいしてやりたいと思うのは当然の『思いやり』だとは思うのだ。

だから、

「グッモーニン!メロ!」

ドアをこれ以上はないというくらいに勢い良く開け、跳ね返ったドアを手で押さえながら中へと体を乗り入れ、驚いている友人の姿を笑ってやろうとした。
メロは怒るだろうけれど、朝という時間は一日の終わりではなくて、清々しい一日の始まりなのだと分からせてやろうとして。
それが普通の時間の流れなのだと言ってやりたくて。

しかし、驚いた顔で振り向いたのは、メロではなかった。



銀色の髪と大きな瞳。
ドライヤーを持ったまま固まって────────

メロじゃないこの人物は誰だ、という疑問は頭に浮かばなかった。
今まで、この部屋でメロ以外の人間を見たことなど一回もなかったから、まずい、部屋を間違えた、という考えの方が先に頭に浮かんでしまったのだ。
慌てて「ごめんなさい!」と謝りながら飛び付いたドアをわたわたと閉め直し、マットはドアノブを握り締めた姿勢のままで目をしばたたかせた。

「え?あれ?でも、鍵・・・?」

呟きながら手の中の鍵を見つめ、それから玄関へと目を遣り、また「えっ?」と呟いた時、

「マット?」

奥の部屋から、驚いた顔で幼馴染みが現れた。

「メロ・・・」
「来るのは、夕方だったんじゃないのか」

バスルームの前で動けなくなっている自分へと歩み寄りながら、首を傾げて聞いてくる。

「やっぱり、メロの部屋・・・だよな?」
「あぁ?」
「・・・ごめん、思ったより早く着いちゃってさ。バスルームにいるのはメロだと勝手に思っちゃって、で、開けちゃったんだけど、あれ、ええと」

「誰?」と聞いたところで、バスルームのドアが中からそっと開いた。

驚いたままの顔。
白いワンピースから伸びた細い手足。
メロの周りには常に複数の女性はいたけれど、初めて見るタイプだとやけに冷静に思った。

「悪い、ニア。昨日話したマットだ」

メロが紹介してくれるのを聞きながら、思わずまじまじとバスルームから出てくる姿を見つめてしまった。
化粧っけもないし、派手さもないし、体のラインを強調した服装でもない。
本当に、メロのそばでは見たことがないタイプだ。

ニアと呼ばれた少女は、メロの紹介を聞いてから、警戒を解いた顔に笑みを乗せた。

「ああ、あなたがマットなんですね」
「あ、うん」

なんとなく色々と察しながらも、まだよく状況を掴みきれない。
面食らいながらもどうにか頷くので精一杯だ。

「メロから、あなたの事を聞いたばかりなんです。親友だって」
「・・・へ?・・・親友?」

それは、訳が分からなくなっている頭をしっかりと地に着かせてくれる言葉だった。

・・・親友?
メロが、自分のことを、親友と?


「待て。俺は、親友だなんて言ってない」
「でも、一番気の置けない大事な友人なんでしょう?」
「ニア」

慌てた足取りで少女へと近付いたメロは、何を言おうか迷う素振りを見せてから、ふと気付いたように銀色の髪へと指先を伸ばした。

「まだ濡れてる。ちゃんと乾かしてこい、風邪ひくぞ」
「はい」

小さく吹き出して笑い、それから素直にバスルームへと戻っていく後ろ姿を見つめていると、メロに腕を掴まれた。
そのままリビングへと引っ張られていきながら、思わず声を上げて笑ってしまう。
だって、このメロが。

「へえー!大事な友人? メロ、俺のこと、そんな風に思ってくれてたんだ!」
「思ってない」
「いやいや、照れるなよ、俺は嬉しいぞ!」
「お前・・・!」

僅かにとはいえ珍しく赤くなっているメロの前に、ぐいっと鍵を差し出した。

「ほら、合鍵。先に返しとく」

今日、ここに来た目的はこれだ。
数日前、電話で『合鍵、返してくれないか』と、これも珍しく遠慮がちに言ってきた時は、理由を聞いてはいなかった。
ただ、泊まらせてもらっていた元々の理由がなくなっていたから、当然の要求だと思って返しに来たのだ。

「・・・悪いな」
「いや、俺が今までメロに甘えすぎてたんだよ。でも、本当に助かった。無事に卒業できたのはメロのおかげだよ」
「それは言い過ぎだ、やめろ」

ちゃんと伝えるべき感謝を、顰めた顔で軽く胸を叩く事で止められた。
礼など必要ないと言いたいんだろうけれど、本当は照れ隠しだ。
その様子にふと懐かしさを感じて、それから小さい頃のメロも同じように礼を言うと照れていたことを思い出した。
夜遊びが激しくなってからは、見せなくなっていた顔だ。
『大事な友人』などと、そんな言葉も初めて聞いた。

メロの手の中に戻った合鍵の行き先を考えて、マットは胸の奥から温かなむず痒さが広がってくるのを感じた。





「メロ。私、地下鉄で帰りますね」

しばらくしてバスルームから出てきたニアは、軽い言葉を交わした後、そう言ってテーブルの上の荷物を持った。

「どうして。ハルが帰る時間に間に合わなくなるぞ。バイクで送るって言っただろう」

自分の分のコーヒーを用意してくれていたメロが、心なしか慌てたように引き留めにかかるのを見て、思わず目を丸くしてしまう。

「大丈夫ですよ。ハルもそこまで過保護じゃありません。せっかくマットが来られてるんですから」
「こいつは大丈夫だ、気にしなくていい」
「でも、いつも送ってもらってますし、今日くらいは・・・」

見た目や雰囲気もメロと一緒にいるには珍しいタイプだけれど、こんな気遣いをするのも珍しい。
そんな少女にも、それから「いつもメロが送っている」という内容にも、ますます目が丸くなった。

「ニア、俺のことは気にしないで」
「でも・・・」
「もともと夕方に来る予定だったんだよ。それに、メロが送りたがってるんだから、送らせてあげなよ」

わざとらしく声を潜めてメロの気持ちを代弁してやると、今度はニアが目を丸くした。
そのまま大きな瞳で見上げられ、メロは言葉を詰まらせて顔を反らしている。
こんな顔も、久しぶりに見た。


「・・・行くぞ」

やがて、ばつの悪そうな顔でバイクの鍵を取ってきたメロが、ニアの手から荷物を受け取って外へと促す。
その様子に、これ以上はさすがに断れないと、ニアもどうやら諦めたようだった。

「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ」
「お前に言ってないだろうが」
「あー、そうだね。・・・ニア」

ひらひらと手を振りながら笑顔を向けると、ニアも軽く微笑んで返してくれた。

「また会おうね。楽しみにしてるよ」
「はい、私も」

挨拶として交わした言葉を、メロが面白くなさそうな顔で聞いているのが見えた。






さっきチラリとと見えたのは、バスルームの二本の歯ブラシ。
髪を乾かしていたということは髪を洗ったということで、髪を洗うということは・・・


リビングにはコーヒーの香りが漂っている。
シンクには二つのマグカップとトースト皿。

「わあお」

改めて周囲を見渡してから感嘆の声を上げ、マットは転がるようにしてソファーへと腰を落とした。


『恋愛なんて馬鹿馬鹿しい』
『そんな感情が、何の役に立つ?』
『女なんて適当に暇潰しに使うだけだ』

そう鼻で笑って言っていたのは誰だったか。
以前、無理やり部屋に上がり込んだ女の香水の残り香が気持ち悪いと、それだけの理由で引っ越したのは誰だったか。
『二度と女は部屋に入れない』と顰めっ面で断言したのは?
プレイボーイで名前が通るくらい遊んでいながら、さっきの少女の肩を抱くのすら躊躇っていたヘタレ男は、一体誰なのだ?



「メロ・・・やっと本気で恋できるようになったんだなあ」

しみじみと呟き、メロが帰ったら祝ってやらなければと、マットは顔を綻ばせた。










End.


 

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