その瞳に宿すものは

□雨の日の夜に
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ザアアアアアア……
トン、トン、トン、ギシ……
黒服の奴らに連れられて足を進めていく。雨音、足音、そして時折の軋みの音が雨の日独特の静寂を増幅させており、ふと空を見上げれば雲間から覗く満月がやけに綺麗だった。視線を空から戻すと、段々と聞こえてくる牌を打つ音。パチリ、カツ、パチリ。夜の青に映える橙色が障子越しに覗いている。もうすぐか。ズボンのポケットに手を突っ込んで煙草を取り出し、一本くわえて火をつけた。ふう、と深く吸って、吐く。
その時だった。
すぐ脇から見えた障子の隙間、ちょうど打っている部屋の一つ前の暗がりの部屋、キラリと何かが光を反射した。目で追ってもあまりの暗さに何も見えないが、光を抱く何かが二つ。直感的に目だと理解した。いつもなら特に気にかける理由など全く無いのだが、なぜか今日だけは別だった。足を止めて、障子を開けて確かめたいという衝動に駆られる。もしかしたら雨の日独特の雰囲気に呑まれていたのかもしれない。黒服に止められるのも構わず、スッと勢いよく障子を引いた。
そこにいたのは、手前に二人の黒服、奥に一人の女。黒服二人が構えるように立っていたからか、その女のしゃんと背筋を伸ばした正座がより美しく思えた。女はじっと自分を見据えて、その瞳には恐怖でも期待でも喜びでもなく、何も感情は宿していないように思えた。しかし女は、ただ自分を見るだけとは思い難い強い意志を感じさせていた。面白い。自分の直感がそう告げる。
その部屋に足を踏み込もうとすると、脇とその部屋にいた黒服達が自分の周囲に立ち、一人は自分の腕を掴んだ。組長がお待ちです、と腕を掴んだ黒服は言う。黒服達は全員が物々しい雰囲気を放っていて、あからさまに何かしらの事情があると顔に書いてあった。そうか、と答えたような答えていないような声を出し、掴んでいる腕をはらう。身体を動かす気配は微塵も出さずに、だが視線だけは女に向けた。
女はやはり、自分を見据えるのみだった。そこになんの感情も考えもない。ただ、見るだけだった。視線がカチリと合わさる。見えたのは、自分を見る綺麗な瞳だった。



「ツモ。リーチ一発、小三元ホンイツ、ドラ2。裏ドラが乗って…あらら」
アカギは今日、代打ちとは別に差し馬勝負をふっかけていた。相手の代打ちがそこそこ楽しめるやつで、ただの気まぐれで暇潰しのはずだった。しかし予想以上に流れが良く、しかも最終局、この上がりでアカギ以外の全員の点棒は、良くて8000点、最悪でマイナス点。あらら、としか言いようがない。差し馬勝負に乗った組長は賭け金についてを考えているのか、幽霊のように顔を青白くさせている。そりゃあそうだ。愚かなことに倍プッシュを重ねて現在の賭け金は8000万。この組が潰れる金額を差し引いてもお釣りがくるくらいの金額だ。しかしまあ、ここらが丁度いいだろう。組長のほうを向く。
「おっさん、一つ取り引きをしないか。そっちが賭け金を全額払わなくていい取り引きだ」
周囲の部下や黒服達は組長をおっさんと言った無礼を指摘することも忘れて、皆あんぐりと口を開けている。組長はうなだれていた顔を上げ、それはどんな内容だ、と期待を込めた目で詰めよってくる。ニヤリと口角を上げて立ち上がると、隣の部屋と繋がる襖を開け放った。バン、と行き過ぎた襖がぶつかる音が響く。やはり自分は雨の日に呑まれているのかもしれない。
「こいつをもらう。そして8000万はチャラだ。どうだ?」
そこにいたのはあの時の女と黒服二人。女は姿勢を変えずに正座していたが、瞳には静かな驚きがあった。それに気付いて口角がさらに上がる。欲しい。そんな欲求がどこからか湧いてきている。性欲でも物欲でも支配欲でもなく、ただ欲しいという思い。
組長はしばらく言葉を失っていたが我に帰ったのか、開けていた口をつぐみ、額には冷や汗を滲ませている。そう躊躇をするほどこの女は組にとって重要なのだろう。ああ、欲しい。そんな思いは馬鹿みたいに膨らんでいく。クク、と喉の奥を鳴らして笑った。



女は、何も言わなかった。ただ正座を崩して立ち上がり、自分のあとを少し間を空けてついてきた。所作のひとつひとつに優雅さと柔らかさがあり、もやのように曖昧で脆そうな女だった。ちらりと背後を見やれば、少し俯き加減の睫毛に隠れた瞳が見える。そこはまた、何も宿してはいなかった。
ざあざあと雨が強くなる。送りの車は頼んであり、さてどこに行こうかと考えたが特に思いつかない。女に聞いてみるか。
「ねえ」
足を止めて女のほうを見る。女はそれに合わせて止まり、視線を上げて自分と目を合わせる。そういえば、名前すらまだ聞いていなかった。
「どこか行くあて…行きたいところは?」
女は視線をまた下に戻して考えると、少しして顔を上げた。灯りに照らされた髪が艶めく。女はややかすれ気味のか細い声でこう言った。
「……家」
「…家ってそれは、あんたの家?」
女はこくりと頷いて肯定の意を示した。家があったことにも驚いたが、ここでそれを言うことにも驚いた。自分と二人であることは予想できるだろうに、会ったばかりの自分を家にあげるとは。だがこの女はそういう意味で男を家にあげるような安い奴ではないと確信があった。それほど家に帰りたいか、帰らねばいけない理由があるのか。どちらにしろ自分には何も問題はないため、女の家に行くことにした。女にこう聞く。
「あんた、名前は?」

「……はる。高野はる」
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