ほんとを見て

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※予告していた通り、捉えようによってはほの暗い表現があります。※





*****




ひとときの沈黙が部屋に落ちる。そんな中、唸り声を上げたのは神宮寺だ。
「しかし、参ったね。原因がなんにしろ、予定外のバグに対処しきれなかったのは、ゲームマスターであるこちらの責任だ。謝るよ。プレイヤーをゲームルール以外で混乱させたままゲームを終了させてすまなかった。あー、竜王君に内藤君。詫びといってはなんだが、今後俺たちは君たちになんの関与もしない。たとえば、その『ルージュ・レーブ』を自作のものとして売っても、解析して改造しても、それは君たちの自由。俺たちは口を挟まないし告訴なんてしない。今日、俺たちの正体を知ったからといって、君たちを排斥しようなんてことは、しない。オーケー?」

そういうことで互いに手を打とう、と持ちかける神宮寺。しかし、創也はその言葉に頷くことをしなかった。神宮寺の双眸を見据えて、創也は手にした『ルージュ・レーブ』を神宮寺の方へ押し返し、言う。





「僕は――」





*****





「創也くんって度胸あるね」

ぼくらのうしろを歩く、秋穂お姉さん。
『ルージュ・レーブ』はいらない、自分が『第五のゲーム』を作る。そう宣言した創也を評価しているようだ。





「よく、正体不明のクリエイターにけんかをうれるよな」


「皮肉かい?」





挑発するように創也はうすく笑って館の扉をおした。
肩をならべて互いに前を向いているから、視線は絡まない。


「失礼だな。ほめてるんだよ」廊下を進む創也の背を、ぼくは平手でたたいた。


創也がにらんできたけど、ぼくなりの「よく言った」だったんだけどな。人をからかうことしか考えていない秋穂お姉さんといっしょにしないでほしい。

館の扉を開け、外に出る。土砂降りの雨だ。少し離れたところにとめてある秋穂お姉さんの車に走って向かおうとしたところで、館の中から呼び止められた。振り返ると、神宮寺さんが片手で金のネックレスをもてあそびながらぼくたちを見ていた。


「引きとめてすまないな。話し合いの結果、栗井栄太は君たちを正式にライバルとして認めることにした」
創也はすぐに、光栄だと返事をしていたけど、これは喜んでいいのかどうかぼくにはわからなかった。ぼくは忘れていない。下水道で栗井栄太の罠に殺されかけたのを。
「……あ、私ゆきちゃんに用があるから先に車乗ってて。はい、鍵」
「ゆきちゃん?」
車のかぎをばくらに手渡すと、秋穂お姉さんがくるりと向きを変える。「ゆきちゃん」が柳川さんのことだと理解するのにしばらくかかった。似合わなさすぎる。
ぼくと創也は雨の中、小走りで車に寄っていって、かぎを使って車のドアを開けた。



「「うぐうううううううううううううううっ!?」」


ふたりぶんの、つぶれた蛙の声。覚えがある。このにおい、秋穂お姉さんの家にあったあの丸い容器に入った絵の具のにおいだ!

鼻から脳に通り抜ける刺激臭に、ぼくは鼻をつまんで飛びのいた、けど、創也が飛びのけず、その場にひざをついていたから、涙をこらえて仕方なく戻る。車の後部座席のシートに、ふたの開いたなにかのビンと、『毒殺』と描かれたメモ用紙が置いてあった。メモを片手で掴み、もう片方の手で創也の腕を引っ張って、引きずるように車から離した。


「ほ姉さん!!!」


館の入り口に立ったまま、笑い転げる秋穂お姉さん。前にも言ったけど、この人、油断した瞬間をねらっていたずらしてくるから気が抜けない!!
お姉さんは館の扉に縋り付くようにしてお腹を抱えて笑っている。後ろで引いた顔をしているジュリアスや神宮寺さんには気づかないようだ。

「ぼくたち、歩きで帰るからね!!」
「ご自由に。気をつけてね。私有地だから木の皮削っちゃだめだよ」
くつの滑り止めは作っちゃだめらしい。お姉さんの忠告を背にぼくたちは走り出していた。
「ほんと、ほんっといじわるだよね秋穂お姉さんって!」


ふらふらしている創也の手を引いて、ぐちゃぐちゃの地面を蹴るようにして走り出した。



*****




「さて、子どもが帰ったところで、講評!!入念に準備したのは分かる。プレイヤーを飽きさせないよう工夫してたのも分かる。けど、却って演技が不自然、ばっかじゃないの!あんた私が顔見せた時点で演技だだ崩れだったでしょ!多少は予想外の事態に対処できるようにアドリブ力つけなさいよんの大根役者が!」


中学生たちの背が見えなくなるや否や、秋穂の怒号が柳川に飛ぶ。



「随分個性的な学友だな、ウイロウ。どうやって知り合ったんだ」

「数ヶ月前、無理矢理博行君が私の部屋に押し入って……それから長ぁいお付き合いが続いてるんです」

「秋穂」


びりりとした殺気が当てられる感覚ににやりと笑いながら、秋穂は挑発するように目を細める。


「いたずらが過ぎると」

「怒るんだったね、はいはい」


怒りの感情ひとつで、心のどこかで歓喜する自分がいた。

冗談の範疇を、超えているのかもしれない。いや、超えているんだろう。でも、好きだとか、愛してるだとかを囁かれるよりもずっとむき出しの感情に触れられる喜びに比べると、柳川の些細な忠告は紙のようなものだ。秋穂は獣じみた笑みを深くした。


「ああ、もしかして伊坂さんは、ウイロウの言っていた『貸し部屋』の人ですか」


ただ一人、純粋に状況を理解したジュリアスが納得したように頷く。子どもが居ることを思い出したのか、秋穂の獣じみた表情は元に戻った。


「『貸し部屋』ってのは嫌な言い方ですけどね。あれは私のお城だから。貸した覚えもないし。博行君が勝手に居座り始めただーけ」

「ルームシェアを提案したのは自分だろうに」


やつれ気味の顔から更に生気を抜いた顔。まだ、その顔でいるうちは、柳川は心の内を隠している状態だ。その奥に潜む柳川の本性を知る秋穂は、つまらなそうに肩をすくめた。


「ま、今回は私も戯れが過ぎたかもしれませんね。すいません、ゲーム界隈の話題には疎いもので、皆さんが有名なプログラマーだと知らず引っかき回すような真似をして」

「なんだ、君もあの二人のチームの一人じゃないのか?」
秋穂は、片眉を上げて意外そうな声を出す神宮寺の胸に人差し指を当て、ぐ、と押した。そして目を細めて笑みに似た表情を浮かべるとまた指を下ろし、冷めた声で言う。「分かってるくせに。探り合いはやめましょうよまどろっこしい」


「ははは、ウイロウ、鋭いな、お前の彼女は」

「彼女じゃない」


失礼なほどの即否定。秋穂のこめかみに青筋が浮かぶが、柳川は気付かないふりで通す気でいるのか、すいと視線を逸らした。神宮寺がそんな二人を見て、苦笑する。「……一応。一応な。確認しとかないとまずいだろ?もし万一、君が彼らのメンバーだったら、今から君にすることは、ライバルへの卑怯な牽制になっちまうからな。それはだめだ。ライバルと認めたチームへの牽制は、作品のみで成されなければならない。たとえば、暴力とか脅しとか、そういうものは含まれちゃいけないんだ」


神宮寺の声がわずかに低くなる。ひたり、と下げられた秋穂の手が取られた。


「けどお嬢さん、君は違う。ライバルじゃない。ただのバグなんだよな」


隠れた獰猛さを伺わせる、尖った犬歯に意外にごつごつとした掌。夜を一滴垂らしたような黒い瞳は、自分より背の低い秋穂を射貫くように見下ろしていた。


ごくり、と秋穂の喉が鳴る。彼女のよく知る学友が、ほの暗い本性を見せるときと、よく似た表情の顔がそこにあった。


「なんだ、嬉しそうな顔だな」


神宮寺に指摘された言葉が、本当か否か、秋穂には確かめることができなかった。

神宮寺がそう言った瞬間、誰かに腕を強く引かれたのだ。倒れなかったのは、引かれた腕とは反対側の手を神宮寺が握ったままだったからだ。その神宮寺は、さっきの獰猛な表情を消し、驚いたように、秋穂の腕を引いた人物を見ていた。


「ウイロウ?」

「……これには俺から言っておく」


柳川は短く、有無を言わさない口調でそう呟く。そのまま秋穂の腕を引いて玄関ホールを突っ切って歩いていった。ほとんど走るような早足で、階段を登り、自室の方へ消えた。


「……あーあ、ウイロウ、怒っちゃったんじゃないの」責めるような口調で言うジュリアス。「伊坂さん――お友達を驚かすようなこと、したから」

神宮寺は苦笑を返す。

純粋な小学生に対しては否定も肯定もしにくい。おそらくあの二人は単純なお友達関係ではないのだと言ったところで、ジュリアスに理解できるかどうか。

思わず目を逸らしてしまったが、ジュリアスは気付く様子もなく、横に立っていた麗亜にどうする、と問いかけた。


「機嫌の悪いウイロウは面倒だよ。フォローに行ったほうがいいんじゃない?」

「……だーめよ。男女の仲に割り込むようなことしちゃ」
麗亜はスーツのポケットからロリポップを取り出すと、慣れた手つきでジュリアスの口に突っ込んだ。レモンに似たフルーツの香りが広がる。


神宮寺は開きっぱなしだった館のドアを閉め、鍵をかけ、肩を竦めた。


「……一人欠けてるが、緊急会議だ。バグの対処。どうする?」


不問でいいんじゃない、と即座に答えたのは麗亜だ。ジュリアスはもごもごとロリポップを口の中で動かしながら、同意するように頷いた。

ジュリアスは置いておいて。神宮寺は麗亜に向き直る。


「本当にいいと思うか?愉快犯じみた人種が一番厄介だぞ」

「だってウイロウの彼女でしょ、あの子。どうしようもないじゃない」

「彼女じゃないって言ってたじゃねえか」

「やーねぇ、男は、言葉を額面通りにしか受け取らないんだから。神宮寺ちゃんがあの子の手を取ったときのウイロウの表情、見た?あれは嫉妬よ嫉妬。無自覚なのかどうかは怪しいところだけど、神宮寺ちゃんからあの子を引きはがしたのも、あの子を守るためでしょ?ウイロウにも騎士らしいところ、あるのねえ」
「騎士ねえ」


ジュリアスに向けたものとは違う苦笑を浮かべて、神宮寺は肩を竦める。

男は言葉を額面通りにしか受け取れないという言葉に反論したいわけではないが、それなら女は愛とか恋とかそういうものを美しく捉えすぎなのではないかと思う。劣情や嫉妬や独占欲、その他にも沢山のどろどろとしたもので成り立つ関係もある。あの二人がそれだとは言い切れないが、雰囲気だとかやりとりだとか態度だとか、ほんのりと漂う空気は分かる、だからこそ麗亜の言葉は否定しなかった。ボーイ・ミーツ・ガール的な青い春の似合う恋が好きな麗亜は、煽りはしても出歯亀じみたことはせず、以外と邪魔もしない。

くしゃりと髪をかき上げ、所在なくしているジュリアスの背を食堂の方に押して、自分もそちらに向かった。

「さあ、休憩にはいい時間だ。紅茶の残りを頂こう。あんなうまい紅茶を残すなんて、紅茶にも、ライバル様にも失礼だからな」





*****





ほとんど無理矢理に柳川の部屋に連れて来られた秋穂は、捕まれた手を、痛い、と言って振り解いた。その行動が柳川の気に障ったのか、柳川の眉がひくりと動く。
「なぁに、不機嫌じゃない。なにが気に障った?反省してないこと?リーダーさんに口答えしてたこと?それとも、リーダーさんに睨まれて悦んじゃったこと?」


じろり、柳川の目がねめつけるようなものに変わって、秋穂の腕を引いた。秋穂がバランスを崩したところを、足払いをかけてベッドに沈める。

いくら柔らかいベッドの上とはいえ、いきなり体勢を崩されたのだ。秋穂の口から苦しそうな声が漏れる。柳川は、意に介さずに秋穂に馬乗りになり、上向いた首に手をかけた。


「全部だ」


いつのまにか苦しげな声は、喉を圧迫されて漏れる呻き声に変わっていた。薄暗い室内で、獣のような双眸を薄目で見つめ返す。自分の中の生命の危険信号が鼓動となって全身を巡るのを感じながら、大きくなる鼓動に同調するようににぃ、と口の端を上げた。






*****





柳川は思う。自分に出会わなければ、この女性は、自分の本質に気付くことなく、もっと穏やかな心持ちで過ごせていたのではないかと。自分が、彼女をこのほの暗い底まで引きずり込んでしまったのではないかと。罪悪感のような、後悔のような感情が、心の奥に溜まっていくのは確かに感じるのに、同じく心の奥にある自分の本質は、手に入れた、己のものだ、とそれらすべてを飲み込んで歓喜に震えるのだ。

これが愛情と名の付くものなのか、答えはきっとNOだ。

きっとこれはもっと醜くて汚くて忌むべき感情だ。何度も反芻したこの感情を、今度は、こころの表面で。頭の中を無遠慮に支配される感覚に、ぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。秋穂が嘔吐き始めて、ようやく秋穂の首から手を離した。生死の縁に立たされ、未だ戻ってこない顔色は苦しそうな赤に染まっていて。自分の節だった手をそのほっそりとした両手で撫で、緩く指を絡ませる動作にもう意識が飛んでしまいそうだ。それでもまだ留めをささない程度に浮上してくる理性の存在を感じて、いっそ殺してしまえるまで理性を飛ばせればいいのにとかすかに残念な心地になった。


普通の恋人のような甘い空気を望んだことがないわけではない。だけれど互いに、毒の含んだもっと重い息をはいているから、そんな暖かなものは手に入れることができないのだろう。今までも、きっとこれからも。
出会いも、出会ってからも、自分自身でさえも捻じ曲がっていたから、こんな伝え方しかできないのだろう。


柳川は秋穂を助け起こしながら小さく息を吐く。雨の音が館の中に響いている。慣れ親しんだ自室の空気がどこか重く感じた。



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