スモーカー×ロー
□小さな恋をはじめましょう
1ページ/1ページ
部屋が半透明の青に包まれたら、扉の横に置かれた観葉植物が黒装束の男に代わった。
男は鍵をかけてこの部屋の主に近づいていく。
「白猟屋、チョコレートをよこせ」
「てめェは何で普通に入ってこれないんだ、ロー? それに、そのドアノブは何だ」
久々の休暇だというのについてない。
黒装束はローの通り名である死の外科医から死神を連想させるが、スモーカーにとってローは死神よりもある意味、疫病神に近い。
どうもスモーカーはローといると、頭痛が起こりやすいのだ。
それに、わずかばかりの熱の上昇もある。
仮に聖水や十字架や札や経が効くのであれば、全てをお見舞いしてやりたいとスモーカーは思う。
ローはスモーカーの心情など知らん振りで、器用にドアノブを人差し指の上で回転させて笑った。
「入口のノブだ。邪魔が入ると面倒なんでな、斬らせてもらった」
どうせくっつければ元に戻るとつけ加えるローに、鍵をかけるだけで安心出来ない面倒な用事とやらにスモーカーは額に手を当てて盛大なため息を吐き出す。
ローの言うチョコレートの意味が解らない。
最近の事件でチョコレートに関係したヤバい取り引きでもあったかと記憶を辿るがスモーカーは何も思い出せず、隠語の可能性も考えて思いつく限りの単語をブツブツと口にした。
「賭け…ギャンブル…金…大麻…奴隷…売買………ロー…、まさかお前またヤバいことに巻き込まれてるんじゃねェだろうな…」
「何でそうなるんだよ…」
訳が解らないと少しばかり目を開いたローだが、スモーカーも負けずに目を開いてローを見返している。
素直じゃないローはいつでも言葉が遠回しであるものだから、それでなくとも回りくどいことが苦手なスモーカーは人以上に頭を回転させなければならない。
直球で言ってくれればいいものを、この男はいつだって変化球を投げるのだ。
受け取る側の身にもなれと言いたいが、如何せんローは天然で鈍い上に、おまけに恥ずかしがり屋なのである。
遠回しに伝えるのは自身の中に羞恥があるからということを、ローは自覚していない。
それに加えて自身の発言がかなり遠回りになっていることも気づいていない。
指摘したところで本人に自覚がないのだからどうしようもないと、そうスモーカーは理解しているものの噛み合わない歯車に多少の苛立ちを覚える。
いや、むしろ苛立ちというよりも焦燥感が正しい。
苛立ちと共に何故かつき纏ってくる焦りの、その名前はまだ解らないが、スモーカーは毎度このローに振り回されていた。
「おれはチョコレートをよこせと言っている」
「ロー…お前、チョコレートを買う金もねェのか…?」
まさか金に困っているとは思わなかった。
略奪行為をしなかったことを褒めてやるべきか、否、それともチョコレートよりももっとマシな物を食べろと言ってやった方がいいのかもしれない。
それなりに筋肉はついている身体だが、ローはスモーカーに比べれば遥かに華奢で、その腰の細さは抱きしめれば折れてしまいそうだ。
「…って、何を考えてるんだ、おれは…!」
「さっきから1人で何やってんだよ…」
ブツブツ言ったり訳の解らないことを言ったり、かと思えばいきなり自らの頭を殴ったスモーカーにローが腕を組んで首を傾げる。
熱でもあるのかとローが近づき、スモーカーの額に触れた。
額に触れた手が首筋に移動したと思えば、次は額同士を当てられる。
「目の充血に呼吸上昇、微熱に…あァ、脈拍も少し早いな」
ローの行動は的確だが、根本的な何かが違う。
スモーカーは首を横に振り、財布を取り出した。
「いくら要るんだ?」
「…は?」
「診察代だ。チョコレートでも何でも買え…いや、チョコレートも食っていいが、それより先にちゃんとした飯を食え」
プライドが高そうなローは施しなど受けないだろう。
海賊を助ける義理はないが、相手がローであるのなら話は別だ。
それに何より、野垂れ死にされると後味が悪いし夢見も悪いだろう。
スモーカーが診察代として数枚の札を取り出そうとしたら、ローの両手がスモーカーの両頬を摘まんで思いきり引っ張った。
「何をする」
「それはこっちのセリフだ…。金なんか要らねェよ。というか、金に困っている訳じゃねェ…」
「じゃあ何に困っているのかハッキリ言え。チョコレートに困っている訳じゃねェんだろ?」
チョコレート、チョコレートと、お前はどっかの妖怪か何かか?
ローの手首を掴んで頬から離したスモーカーは真相を求めるようにじっと見つめる。
意外にも強い力で掴まえられた手はほどけそうになく、ローはスモーカーの視線から逃れるように横を向いた。
「今日、お前からチョコレートが欲しいだけだ…」
「何でだ?」
それはスモーカーの知りたい答えではない。
ローの腕を引き寄せたスモーカーは、それでもまだ距離があることを許さず、片手の拘束を解く代わりに腰を引き寄せる。
「っく!?」
「答えろ、ロー。何故今日おれに会いにきた?」
真剣な眼差しが痛い。
互いの胸から伝わる体温や鼓動が焼けるように熱く感じてしまい、ローは苦し気に目を伏せた。
先ほどから目的は伝えているのに、どうして伝わらないのかローは解らない。
今日でなければならない、意味がない。
引き下がる訳にもいかず唇を噛みしめると、スモーカーの手がローの顎にかかった。
「ロー、こっちを見ろ」
かけられた声にローがスモーカーを見上げる。
「っ…お前…」
何て顔してやがる。
ローが見上げた先に映ったスモーカーの顔は赤い。
どう反応していいのか解らず、ローはますます切なげに顔を歪めて目を伏せた。
「近ェよ…バカ…。バレンタインデーだからチョコレート貰いに来ただけだ…」
掠れたローの声にスモーカーの息が詰まる。
慌てて離してやると、スモーカーの腕の中から飛び退いたローが距離を取った。
スモーカーを見上げるローの目は潤んでいる。
互いに無言のまま空気が流れていたが、沈黙を破ったのはスモーカーだ。
「悪かった…。チョコレートなんかねェから代わりにコレをやる」
チョコレートを欲しがる理由は解った。
それでも何故、ローが男であるスモーカーから欲しがるのかが解らない。
けれど痛いくらいに脈打つ鼓動に堪えきれず、スモーカーは引き出しから予備のジッポライターを取ってローの手に握らせてやる。
シンプルながらもデザインがいいそれは、ローの手の中にしっかりとした重みを伝えた。
「ふふ…、サンキュー、スモーカー。来月の14日はちゃんとプレゼントするから、楽しみにしてろ」
再びローは観葉植物と入れ替わって姿を消した。
斬られたドアノブがつけられた音が微かに聞こえた後で、ローの気配が完全に消える。
スモーカーは片手で顔を覆ってその場に座り込んだ。
「誕生日プレゼントを渡したいなら、来月直接渡しに来ればいいだけだろうが…。あの馬鹿…」
素直でないローが初めて見せた嬉しそうな顔が忘れられそうにない。
スモーカーは自身を落ち着ける為に葉巻を取り出し、深くため息を吐いたのだった。
END