スモーカー×ロー
□月が夢見る雪の色
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臨時で入ったらしい仕事が忙しいらしく、部屋に帰ってくるのは夜中を過ぎる事が多かった。
明日が最終日らしいので呼び出されたローは、無人の部屋に合鍵で入って扉を閉めた。
能力を使えば鍵など必要のない事なのに、それを渡す意味。
そして受け取った意味を考えて、こそばゆい思いになる。
繋ぎ止めていたいのは、自分だけではなく、相手も同じだったのだと。
その思いに、随分と女々しい感情だと自嘲する。
テーブルに置かれた灰皿の中には、どうやって積み重ねたのだろうというくらいに、大量の葉巻が山を作っていた。
適当な袋に吸い終わっている葉巻を入れて匂いを嗅ぐと、キツい匂いにローは思わず噎せ込んだ。
「ゲホ…ッ…、煙の方が全然マシじゃねェか…」
煙よりも、吸う前の新しい葉巻の匂いの方が更にマシだと、むしろ新しい葉巻の匂いは好きなローは、テーブルの端に置かれた新しい葉巻を手に取った。
暫く葉巻を見つめた後で匂いを嗅ぎ、先端をナイフで切り落とした後で火をつける。
吸おうという気にはならなかったが、漂う煙の色と匂いに、ローは満足そうに笑いながら葉巻を灰皿に置いた。
軽く食べられそうな物でも作っておくかと、葉巻を堪能したローはキッチンに向かう。
はじめの頃は乏しい中身だった冷蔵庫も、この部屋に来る度に何かを作るという事が当たり前になった今、それなりに数種類の食材が保存されていた。
食材を見て作れそうな物を考えたローは、料理に取りかかる。
ガチャリと扉の音が鳴る頃には、作り終えた全ての料理がテーブルの上に並べられていた。
2人掛けのテーブルは小さいものだが、客人といえばローくらいのものなので、新しく買い替える必要もない。
部屋に入ってくる気配に、ローが口を開く。
「お帰り、白猟屋」
「………ああ…」
部屋の入り口にあるポールハンガーにコートを掛けたスモーカーは荷物を置いた後、一瞬だけ何かを言いかけたが、言葉を飲み込んで椅子に腰を降ろした。
先に手を洗えとローに言われて渋々椅子から立ち上がり、スモーカーはシンクに向かう。
その後をローが続き、スモーカーの背中に自分の背中を合わせて凭れかかる。
「さっき、何か言いかけただろ」
ローの問いかけに返ってくるのは、バシャバシャと手を洗う水の音。
「なあ、何て言おうとしたんだ?」
水の音が止むと、変わりにスモーカーのため息が聞こえる。
ローはそれ以上何も言わない。
無言の要求に、背中にローの心地好い温もりと重さを感じながら、スモーカーは口を開いた。
「帰ってきて、お前にお帰りと迎えられるのは嬉しいもんだ」
静かに言葉を紡ぐと、スモーカーは後ろを振り返り、ローの身体を反転させて抱きしめる。
「ただいま…」
「ああ、お帰り」
久し振りに感じる温もりに、ローもおとなしく抱きしめられていたが、スモーカーの手が不穏な動きをはじめた為、慌てて腕の中から抜け出した。
「飯! 冷めちまうだろ」
折角作ったのだから早く食べろと椅子に座ったローの姿を残念そうに見ていたスモーカーだが、その耳が赤く染まっていた事に知らずの内に笑みが浮かぶ。
落ち着いたら遠慮なく抱いてやろうと、そう思いながらスモーカーは用意された料理を食べた。
「おい、ロー。明日は昼から出かけるぞ」
食後のゆったりとした時間。
後片付けを終えてスモーカーの座るソファにローが腰を降ろそうとすると、不意に声をかけられる。
「明日の夜まで仕事じゃなかったのかよ」
「休みにしてもらった」
スモーカーはそう言いながら、持ち帰った荷物の中から紙袋をローに手渡した。
「何だこれ?」
ローは紙袋の中から長い布をズルズルと取り出す。
黒っぽい布はやたらと長く、不思議な形をしていた。
「浴衣だ」
「浴衣?」
朧縞の浴衣は紺色よりも黒色に近い。
もうひとつの紙袋から出した浴衣は両滝縞で、灰色をしていた。
他にも生成りの帯や雪駄が出てきて、ローは首を傾げる。
「明日が祭りの最終日らしいからな。今日まで何の問題もなかったし、明日は休みにしてもらったから、一緒に行かねェか?」
視線を合わさずに葉巻を吹かすスモーカー。
ローはスモーカーを見て抑えきれない笑みを浮かべる。
「ここまで準備されて、おれが断るとでも?」
素直に行くと言わないのはローの性格である。
スモーカーは灰皿に葉巻を置き、ローを抱き寄せた。
「寂しい思いをさせたな」
「は? 別に寂しがってなんか…」
「おれを待ちきれず、葉巻の煙で寂しさを紛らわせていたんだろう?」
ソファの前のテーブルには、灰皿の上にローが放置したままの葉巻と、スモーカーが吹かしたばかりの葉巻が置かれてある。
「…っ…!」
言い逃れようのない証拠に、ローはスモーカーに身体の自由を奪われながら顔を赤く染めた。
否定しようものなら、認めるまでありとあらゆる手段で散々追いつめられるのだから、ローは無言で肯定を顕す。
それでも、そんなローを追いつめたくなるのはスモーカーの性格である。
明け方まで鳴かされたローは、昼になるまで起きる事が出来ないでいた。
初めて着る浴衣は、脚が空気に触れているような感覚で落ち着かなかった。
雪駄という履き物も、どうも落ち着かない。
隣を歩くスモーカーは慣れているのだろうか。
ローがチラリと覗き見ると、涼しい顔をしたスモーカーが視線に気づいてこちらを見つめてくる。
その表情と、いつもとは違う姿にローの鼓動が高鳴った。
「何だ?」
歩みを止めたスモーカーがローを見下ろす。
スモーカーを見上げたローは、すぐに視線を逸らした。
「なんつーか、普段見えているものが隠されているのも、妙な気分だ…」
スモーカーの着る浴衣は少し開けているものの、いつもなら見えている胸や腹筋が隠されていて、チラリと見えるだけの胸元がローにはやけに色っぽく映っていた。
「惚れ直したか?」
「なっ!? 何言ってんだっ、バカッ!」
「クククッ、解りやすいヤツだ…」
頭をくしゃりと撫でられたローが、歩き出したスモーカーの後を追う。
灰色のスモーカーの浴衣は、周りを歩く人たちの派手な浴衣の中では見つけやすく、何故か人とはぐれやすいローにとって有り難いものだった。
「朝も昼も何も食ってねェんだ。屋台で何か…って、オイ!」
昼になるまでローが起きなかった為、昨日の晩から何も食べていない2人。
もっとも、ローが起きられなかった原因を作ったのはスモーカーであるのだが。
道を埋め尽くす屋台で何か適当に買って腹拵えでもと言おうとしたスモーカーは、ローの両手いっぱいに抱えられているものを見て思わず声を上げてしまった。
「なあ、スモーカーっ! これっ、すっげーもふもふだなっ!」
ローの目は嬉しそうに輝いている。
「お前…、それが何か知ってるのか?」
「知らねェ」
返されたローの言葉に、頭を抱えたスモーカーが盛大にため息を吐き出した。
こいつは綿あめの存在を知らないのだろうか。
「ロー…。お前、甘いもの苦手だったよな」
「ああ、苦手だ」
「それは砂糖菓子だぞ?」
「このもふもふ、食い物なのかっ!?」
ああ、こいつには初歩から教えなくてはならない。
だったら部屋に飾るとか言い出したローに、それだけは勘弁してくれとスモーカーは言い、食べきれないほど大量に買われた綿あめを、道行く子供に配ってやった。
手元からなくなった綿あめを寂しそうに見ていたローだが、放っておいたらどうせ固くなってもふもふしなくなるとスモーカーが教えてやれば、気を取り直したらしい彼は次の屋台に目をつけた。
「おい、白猟屋! あれは何だ?」
「ダーツだな。高得点で景品を貰える」
「そうか。店主と投げ合うんじゃねェんだな。あれは?」
「射的だ。景品に当てて落ちれば、その景品が貰える」
「何だよ、店主と撃ち合うんじゃねェのかよ」
次から次へと出される物騒な言葉に、一番問題を起こす人間はローなのではないかと、スモーカーは頭痛を覚えはじめる。
今日まで何事もなく迎えた祭りの最終日を、自分が連れてきた人間が問題を起こしたとあれば面目が立たない。
スモーカーはキョロキョロと目移りをしているローの腕を掴まえ、違う屋台に並んだ。
「ほえ、んあいな、はふおーや」
「ちゃんと飲み込んでから喋れ、ロー」
たこ焼きをもきゅもきゅと頬張りながら喋るローに、焼きそばを食べているスモーカーが注意をする。
昔から不思議だったのだが、そのほっぺには頬袋でもあるのか?
ぷくっと膨れたローの頬を見つめながら、スモーカーは今日の夜にでも調べてやろうと焼きそばを飲み込む。
「なあ、あれも食ってみたい」
ローが指差したのは、お茶目な熊の顔をしたベビーカステラ。
きっと誰かを連想しているのだろうと思いながらも、スモーカーはそれを買ってローに渡してやった。
噛むのを躊躇っていたローだが、ベビーカステラを口にして一言。
「甘い…」
「そりゃそうだろう」
辛いベビーカステラなど、聞いた事もない。
万が一そんなものがあったら、大抵の子供は泣いてしまう。
食べられないから食ってくれと言われたベビーカステラをスモーカーは変わりに食べ、スキャンで欲しい景品の番号のくじを引いたローに苦笑を浮かべたのだった。
「銭湯?」
「そうだ。何でも、ヒラタイカオ族が作ったという銭湯は、この祭りの人気のひとつだぞ」
オリエンタルな銭湯は他にはない造りらしく、様々な種類の風呂が入場者を楽しませてくれるらしい。
中でも、銭湯のタイル張りの壁に描かれた絵が人気だとか。
「行かねェ」
「何でだ?」
ほんの少し興味があったスモーカー。
行かないと言うローを見ると、片手に景品の山を抱えた男は拗ねた口振りをする。
「おれは、長風呂は出来ない。絶対に先に上がって、1人で待たされるって解っているからな」
「そうか…」
否定は出来ない。
スモーカーは長風呂が好きだった。
嫌がるローを無理に連れ込む訳にはいかないし、1人で待たせている間に誰かの目に触れさせる事も嫌だったスモーカーは、空いている片手を引いてホテルに向かった。
銭湯に行かないのであれば、残す行き先はひとつである。