書籍
□えがお
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おれは生前、武士の家に生まれた。兄は七人いた。おれはというと、一番下の八男として生を賜った。七人の兄は体が丈夫で、頭も良く、賢くて、凛々しくて、武術にとても優れていた。
お着物も新しい物を用意してもらっていた。
けれど、おれは、おれだけは、体が弱くて、武術も上手くなかった。相手を傷つけたくはないし、勝負をした時、もし、おれが勝って相手が負けてしまったら、相手はきっと傷ついてしまう。
だから、おれは、武道の時間が一番嫌いだった。
そりゃ、武士の家に生まれたのに、男として生まれたのに、武術が出来ないなんてそんなのは、論外だけれど。
痛いのは嫌だし、傷つけるのはもっと嫌だった。
それを見かねた母はある日、おれを呼び出して言った。
「貴方はいつかこの家から出ていくでしょう。その時、きっと貴方は一人では生きていけない。だから、笑いなさい。どんなに、罵られようと、虐げられようと、自分の都合を考えないで笑いなさい。」
笑いなさい、笑う。どんな時だって笑う。
「ねぇ、母様、おれは…」
数千年経った今でも、貴方の言葉が耳にこびりついて、離れません。
× × × ×
「木舌はよく笑うよね」
「え?そうかな?」
突然、一番下の弟に言われた。サラサラの茶髪を真ん中に分けて、色白の肌を獄卒の制服と外套に身を包んでいる佐疫を見やる。
任務帰りなのだろうか、佐疫の体からは火薬と血の香りが漂う。つい眉間にシワを寄せると、佐疫は慌てて身なりを整え始めた。
「あ、ごめん、任務帰りなんだ。シャワー浴びてくる」
「あぁ、うん。」
「まだ話は終わってないからね、食堂で待っててよ」
そう言って、佐疫は外套を翻し、ブーツを鳴らしながら自室へと姿を消す。残された木舌は黒い綺麗にセットされた髪をグシャリと握りしめ、ため息をついた。
そして宣言通り、食堂でグラスに入っているウォッカをあおいでいると制服を少し着崩した佐疫が入ってくきた。
シャワーを浴びてきたからだろう、先ほどの鼻につく鉄錆びの香りはなく、石鹸の優しい香りが漂っている。色白の肌は湯のあたたかさで白さも通り越す青白い肌も人間らしき艶が出て、頬にも赤みがさしていた。(獄卒に人間らしいという表現が通じるのか、些か疑問ではあるが)
「飲みすぎじゃない?」
「そう?普通だよ。佐疫も飲む?」
「ううん、俺はいい。」
佐疫の言葉に残念そうにグラスを引っ込める木舌。
それより、さっきの続きだけど、と少し冷めたご飯を食べながら佐疫は木舌の青みがかった緑色の瞳を見つめた。水色の目に見つめられるとまるで奥まで見透かされているような錯覚に陥るから、厄介なものだ。
「うん、何かな?」
「……木舌は俺達のお兄ちゃんだけど、無理して笑おうとしなくていいからね」
無理して笑おうとするその姿勢が、どれだけ他人から見て辛そうか、きっと優しいこの兄は知らない。器用な癖して不器用なのは、何も今に始まったことじゃなかった。
「俺達は、木舌の家族なんだから弱みくらい見せても罰は当たらないよ。」
ひとりで生きていくために、
どんなに、罵られようと、虐げられようと、自分の都合を考えないで笑いなさい。
あぁ、そういえば、おれはもう独りじゃないんだ。
一番下の弟の細い背中が、少し逞しく見えた。