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□夏の上手な誘い方
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「高木の浴衣姿が見たい」
それは夏の終わり、伊野尾くんの部屋でのんびりしているときに、なんの流れもなく唐突に放たれたセリフだった。
「……突然だね」
テレビや雑誌なんかで披露したこともあるだけに、別段珍しいわけでもないが、突拍子もないそのセリフにオレは微妙な反応しかできない。
まあ、伊野尾くんが唐突なのは今にはじまったことじゃないのだけれど。
「あー見たい、ぜってー似合うもん。超カッコイイんだろうなぁ……」
想像上のオレは一体どんな浴衣を着せられているのか、うっとりとした様子で伊野尾くんが声をもらす。
ちょっと猫撫で声で、ねだるみたいな狙った声色。
そうしてわざとらしくオレを見上げるその瞳は、間違いなく確信犯だ。
「いや、着るのはべつにいいけどさ、浴衣…もってねえもん、オレ…」
「え、まじ! 着てくれる?」
「伊野尾くん話聞いてた? オレ、浴衣持ってねえって」
彼と会話が成立しないのは、わりとよくあることだ。
“着るのはいい”と言ったオレの言葉に目を輝かせた伊野尾くんは、ニコニコと笑ってなにやらガサガサと押入れのほうへと足を踏み入れる。
―――え、まさか。

「オレ、持ってる! この前、高木に似合いそうなやつ買い取ったもん」
「え、まじで!」
「うん、色々盛り上がるかと思って」

にやりと笑う伊野尾くんは、一体何を考えているのやら。
お目当ての紙袋に行きついたらしい伊野尾くんは、それを持ってどこか楽しそうに鼻歌まじりでオレのほうへ近づいてくる。
そして、どうやら浴衣らしいその布を広げ、有無もいわさずそれをオレに覆いかぶせてしまった。
「え、ちょっと!」
雑な扱いにちょっとは異議を申し立てたい気分だが、楽しそうにオレを見る姿にすっかり毒気を抜けれてため息。
悪びた様子もなくルンルンと布をかぶせて「ほらほら」だなんて着替えを促してくる。

まあ、着替えなんて衣装の早替えでやり慣れているし、今更見られたってどうってことはない。
どうってことはないが……こんなに凝視されるとさすがに居たたまれない。
なんだかなあ、とすっかりペースを崩されながらも彼の望み通りに浴衣に腕を通す。
「おお〜、やっぱ高木似合う!」
「いや、羽織っただけじゃん」
「丈もいい感じ〜! オレの見立て、結構よくない?」
少し羽織っただけで満足げに笑うから、オレは渋々頷く羽目になる。
だってそんなに嬉しそうにされると、文句なんて言えっこない。
「まぁ、まず素材がいいからな〜、超かっこいい! 超似合う!」
あーもう、あんまり可愛いこと言わないでほしい。
口元を隠して、まるで女子みたいにうっとり小首をかしげる伊野尾くんは本当に邪悪だ!
手放しで褒められて、思わず顔が熱くなるを悟られたくなくて、返事が素っ気なくなるのは伊野尾くんのせい。

照れ隠しに袖を伸ばしたり襟を合わせたりしていると、とたんにオレの腕の下からするりと伊野尾くんの手が伸びてきて、腰に巻きついてくる。
「なにしてんの!」
「え〜、オレのことは気にしないで。帯だとでも思ってくれていいし」
「はあ?」
前に回った伊野尾くんの手に自然に手を重ねると、肩の辺りにいじらしく頭を押し付けてくる。
その手を軽く引いてやると、伊野尾くんは逆らわずに背中にぴたりと貼りついた。
そのまま何気ない手つきでするりと浴衣の襟に腕を通した伊野尾くんの指先は、やけに艶めかしい。
「……ほんとなにしてんの」
「高木、着てくれてありがとう」
「いや、いいけどさ……」
着てくれて、と言うわりには言葉と行動が一致しないけれど。
その間もずんずんと肩から胸にまで回りはじめる手の動きを止めず、伊野尾くんはオレとかちりを目を合わせるとにっこり笑った。
「……ねぇ、脱がせていい?」
「はぁ!?」
着たばっかじゃん! というオレの正当な意見に伊野尾くんが耳を貸す様子はない。
それどころか悪びれもせずにオレの首筋にさりげなくキスなんか落としてくる。

「伊野尾くんマッジで意味わかんねえ! どこ!? どこでスイッチ入ったの?」
「え〜〜〜だって好きな人に服を贈ったら、脱がすのが礼儀じゃん?」
「……ん、うん?」

理解できるような、できないような。
無茶苦茶な言い分に思わず顔だけで振り返ると、その距離が思っていたよりもずっと近くて思わず息を飲んだ。
息が触れ合いそうな近さで、あの凶悪な瞳で、伊野尾くんがオレを見上げている。
そんな姿からどうしても目が離せずにいると、伊野尾くんがゆっくりと瞼を閉じた。
釈然としないが、誘われるがままに軽く唇を合わせてから顔を離すと、ねえ高木、と伊野尾くんが甘い声でオレを呼ぶ。
「オレ、早く高木に触りたいなぁ」
あーもう、全部伊野尾くんの計算通りだ。
なんだか負けた気がして悔しいけど、こんな風に言われて我慢ができるかといったらできないわけで―――。

ふぅ、と息を吐いてきちんと伊野尾くんに向き直る。
すると、すぐに返事をしないオレに、伊野尾くんは何を思ったのか不意に頬に手を伸ばした。
ぴとりと頬に触れた体温がじわじわと身体中に広がって、ぐんと全身が熱くなった気がした。

「嫌なら高木、抵抗してくれてもいいよ。その方が燃える」

囁かれたのはまるで悪魔みたいなセリフ。
よくもまあ次から次へとそんな誘い文句が出てくるものだ。
煽られてばかりなのが気に食わないけど、ここで乗らなければ男が廃るってもんだ。
オレは自身の首筋に手をかけて、ちらりと浴衣を襟を解いた。

「いいよ、ちゃんと脱がせてね?」

ちゃんと伊野尾くんの好きな声で言えたかな、耳元で囁いて、今度はオレから首筋に唇を落とした。




end.

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