□始まりの日
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山間独特の澄んだ空気は夜になると一層際立つ。
どこまでも透き通る様なそれは、夜空に浮かぶ数多の星をそのまま地上へ落とし込んだ。
ジョウト地方の中でも有数の秘境の地。

それがここチョウジタウンである。

ふっと風が通る度、山の木々が音を奏でた。耳障りの良いその音に耳をすませれば、一体誰が気付いただろうか。

それは、葉擦れに紛れた一つの気配。

トンと木々の間を飛び回る影はひとつ。
闇の中をかける姿は、当然見えるはずもなかった。

影はそのまま町を通りすぎ、更に深い山間の闇へと消えた。その時、月光に僅かに照らされた影の姿は、目映いばかりの白銀の輝きを放っていた。

「おかえりなさいませ。」

ひっそりと佇んではいるが、その場所に似合わず立派な屋敷があった。
周りを森の木々が余すことなく、まるでその家を隠すかの様に取り囲んでいる。
ただ、頭上は屋敷分ぽっかりと穴が開いたように開けているため、星と月の光が舞い込む。

そのお陰か、屋敷に漂う雰囲気に鬱々とした重たいものは感じない。
輝く夜空の光に照らされた屋敷は、どこか清廉な雰囲気を纏う。

「ただいま。こんな時間になって悪かった。」

夜も深い時間であるにも関わらず、にこやかに帰宅を迎えた侍女に苦笑を漏らす。幼いときからよく知る笑顔がまた小さく笑みを溢した。

「相変わらず、仕事の後はその口調ですね。」

クスッと笑う侍女に指摘されて、ああまたか。と頬を掻いた。

「ユキナ様は本当に仕事熱心ですね。」
「そんなことない。」

ふいっと気恥ずかしげに視線を剃らすと、後ろでまた小さく笑みをこぼしているようだった。

「ハルが毎回仰々しいからよ。」
「仮にも当主様ですから。」

ハルは柔らかな瞳を瞬かせると、栗色の髪を揺らして悪戯に微笑んだ。

「わかったからその口調、もうやめてよ。」

根負けしたように振り替えりユキナは蒼い双眼を歪ませた。

「ごめんねユキナ。意地悪しすぎたわ。」

「ハルの根性悪。」
「もう!ごめんねったら!」

他愛もない話を続けながら二人は長い廊下を進む。木造の屋敷はどこか張り詰めた空気さえ感じる美しさ。
初代がかつて、歴史の長いエンジュから呼び寄せた者に作らせたと聞いている。

自室の前に辿り着くとハルがすっと懐から何かを取り出した。

「はい。これマツバ様からです。」
「ああ、いつものね。」

濃紺のジャケットを脱ぐとハルからそれを受けとる。ユキナはその紙を一瞥すると深くため息をついた。

「そんな顔しないの。これもお仕事でしょう?当主様。」
「ハルったら他人事だと思って。」

「今回は何だって?」

顔を歪めながらユキナは広げたその紙をハルに手渡した。
整った顔立ちをしているのにそんなに歪めては勿体ないのに、とひとり思いながら手渡された紙に目を通す。

送り主の性格を表したような洗練された文字を辿る。
長らく交流のあるエンジュの知人は、度々こうして連絡を寄越す。互いに利害の一致した、謂わば仕事仲間である。

「これってどういうこと?」

読み終えたハルが小首をかしげながらユキナを見つめた。

「仕事の以来でしょ。」

疲れた体を畳に落とすと
ユキナはより一層忌々しげに眉を寄せた。

「人使いの荒い奴。」
「・・そんなに大切なのかしら。」

書面に再び目を落としたハルがうーんと考え込むように首を捻る。

「"ポケモンの卵を送り主に渡してほしい"なんて。」

この世界に生きる人間と違う種族のポケモン。人間と違い同じ種族であっても、自然から派生した物や獣のような物まで存在する生き物。
そしてそれらは概して、人間には到底なし得ない超上の力を備えている。

「わざわざユキナに依頼するってことは、相当すごいポケモンなのかしら。」
「さあね。用件の核心を伝えてこない辺りがアイツらしくて腹が立つわ。」

仕事から帰ったばかりでさぞ機嫌が悪いのか、ユキナはハルから紙を取り上げるとすっと放り投げた。
見事にゴミ箱へと沈んだ様にハルは「あらすごい」と手を合わせる。

「まあ何にしても、今日はゆっくり休んでね。おやすみなさい。」

触らぬ神に祟りなし。
機嫌の戻らない当主に笑みを向けると、ハルは静かに戸を閉めた。
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