写真はスシローにて撮影した『特選寿司 鮪盛り』です。




寿司を喰う女 その2



 いつものように回転寿司のカウンターに座っていると、鈴木ともこが隣に座った。
 ここで見知っている我々は軽く会釈をした。今日も百円皿の寿司ばかり食べている彼女に……思い切って俺は、中トロ、大トロ、赤身鮪など六貫盛り合わせた特選寿司の鮪盛りを勧めた。 
「二皿頼んだんで、もし良かったら食べてください」
 いきなり特選寿司の大皿を目の前に置かれて、ともこは目を丸くしていた。
「どうか遠慮しないでください。間違って二つ注文したんですから……」
 カウンターの上のタッチパネルを押し間違えたと言い訳したが、スマートな勧め方ではないことは自分でも分かっている。そんなベタな嘘をついてでも、ともこに旨い寿司を食べたさたいという衝動を抑えられなかった。
「いいんですか?」
「どうぞ、どうぞ」
 俺は愛想笑いを作って勧める。
「……実はこれ食べてみたかったんです。一回のお寿司代は八百円までって決めてるんで注文できなかった」
「そうでしたか」
 特選寿司の鮪盛りは九百八十円プラス消費税なので、彼女の予算を越えてしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えて、いただきまーす」
 そういって、寿司を口に運んだ。
「あら、美味しい! ほっぺが笑っちゃう」
 ほっぺを両手で押さえて、お茶目な風にそういう。
「それって? ほっぺが落ちるんじゃなくて……?」
「ええ、嬉しくてほっぺがひとりでに緩んでくるんです」
 ともこの笑顔は無邪気でとても可愛いかった。
「寿司が好きなんですね」
「母方の実家が寿司屋だったんです。小さい頃、お店に行くとカウターの中で注文した寿司をお祖父ちゃんが握って食べさせてくれたんです。とっても美味しくて……今も忘れられない味なの」
「個人経営の寿司屋さんは少なくなりましたね」
「お祖父ちゃんのお店も今はありません」
「それは寂しいですね」
 しょんぼりと項くともこ。
「最近は回転寿司ばかり……。けれど、お寿司が安くで食べられるので助かります」
「同感です!」
 こうして、ともこと俺の話の糸口が結ばれた。
 旨そうに寿司を食べるともこの横顔を見ていると、なぜか俺まで満たされた気分を味わった。
 二人は寿司が取り持つ縁だった――。

 離婚直後、大学時代の先輩が輸入雑貨の会社をするので手伝ってくれないかと声を掛けられた。 
 別れてからも、金の無心や復縁を迫りに会社まで押しかけてくる元妻が疎ましく、今の会社を辞めて、誰も知らない土地で暮らしたいと思っていた俺は、先輩の誘いを受けることにする。収入は以前の半分になったが、一生独身で自由気ままに暮らそうと、離婚で手痛い目にあった俺はそう考えることにした。
 先輩の会社はイタリアのヴェネチアン・グラスと装飾タイル、インテリア用品や食器類、美術品も一部取り扱っていた。一年の半分を先輩はイタリアに渡って商品の買い付けをしていた。イタリアから送られてくる荷物を得意先の店に納品するのが俺の仕事だった、他にパートの四十代主婦の寺田さんが事務と電話番をしている。
 いつも社長は出張中だし気楽な仕事だった。
暇な時には、寺田さんとおやつを食べたり、テレビを観たり、のんびり過ごしていた。
 雑居ビルの三階にある2LDの事務所の奥の八畳間を自由に使ってもいいというので、その部屋を住居として俺は暮らしていた。だから、あまり金も使わなかった。
 余談だが、イタリアに一年の半分は出張している社長である先輩には、どうもイタリアに愛人がいるようだった。シルビアというイタリア人で、時々、国際電話で話しをするが、日本に五年間留学していたというから、なるほど流暢な日本語を喋る。地元のバイヤーとの細かい交渉はどうやら彼女がやっているようだ。先輩とシルビアは日本で知り合い二人でこのビジネスを始めたということだった。
 だが、先輩には日本にれっきとした妻がいる。五歳と三歳になる子どももいるのだ。
 イタリアにいるシルビアとの二重生活を今後どうするつもりなのか心配になる。先輩の奥さんがどこまで気づいているのか知らないが、もし気づいていたとしても今の生活を捨てる気がないなら、わざと気づかない振りを続けていくつもりだろうか。
 俺が両親に離婚を打ち明けたら時、母は「離婚なんて……世間体が悪いわ」と息子の心配よりも世間体を気にした。父は「もう少し我慢できなかったのか」と辛抱が足りないように言われた。それ以来、両親とは会っていない。元妻に居場所が知れたら困るので、今の住所も教えたくない。
 結局のところ、結婚なんて体裁ばかりだと思った。こんな風に結婚生活とは欺瞞に溢れたものなのだと学習させられた。――そして、俺は心底失望していった。










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