創作小説

第一話
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7月もそろそろ終わるであろう季節のTokyoでは、寝苦しい夜が続いていた。都会にしては落ち着きのある住宅街でも、どの家も窓を閉め切り、冷房に頼っているようだった。
しかし、麻琴の家はそうではなかった。家のすべての窓は開いており、どうやら冷房を使っていない様子。二階の部屋のカーテンが、時折優しく揺れる。
まだまだ夜は長い。


とうとう我慢できずに麻琴はベッドから起き上がった。
今夜は特に暑い夜だ。麻琴は喉を潤すために一階のキッチンへと向かった。

この家はどうして、クーラーを使わないんだろうとマコトは思う。今年だけじゃない。去年も、一昨年も、その前も、気付いた時からずっと使っていない。その理由はこうだ。

「エネルギーの無駄遣いだからさ」

そんなことを大真面目に言う叔父は、ちょっと変な人だと麻琴は思う。叔父にとっては無駄遣いでも、麻琴にとってはそうじゃない。周りの人間だって、無駄だと思ってる人なんていないはずだ。
それでも麻琴はこの方針に従うしかなかった。何せ、まだ中学生だ。母も父も、叔父のエネルギー消費作戦に賛成していたし、麻琴の反対が通るはずがなかった。
麻琴はコップを洗い、自室に向かう。家族はぐっすり眠っているようだ。過ごしやすい夜を想いながら、麻琴はベッドに寝転がった。






「すごく眠そうだよ。大丈夫?」

学校に着いて、朝のHR前に友達の未来(みく)が麻琴の肩を叩く。未来は友達の異変によく気付く、優しい女の子だ。

「昨日もよく眠れなかったの」

麻琴は大きな伸びをしながら答えた。未来は麻琴の家が冷房をつけないことを知っているので、うんうんと頷く。

「本当、同情するよ。私だったら耐えられないなあ」
「私もだよ。でもしょうがないから我慢してるの。」

二人でいつもの様に会話をしている間に、担任の先生が教室に入ってきた。朝のホームルームの時間だ。
今日の時間割の確認と、体育の移動場所などを先生が生徒に伝える。しかし、今日はこれだけではなかった。

先生が言うには、昨日の夜3時頃、近くの公園で傷害事件が起こったらしい。これを聞いて、生徒がざわつく。
犯人はまだわからず、捜索中であるから気を付けるようにと、警察から学校に連絡が回ってきているという。
本当に物騒な世の中だ。先生が去った後も、生徒たちは盛り上がっていた。気持ちのいい話ではないが、彼らにとって話のタネになるのには間違いない。


帰りのホームルームも終わり、麻琴と未来は箒を持ち、教室を掃除している風を装い夢中になって会話をしていた。

「怖いね。霧が丘公園って、麻琴の家の近くだよね?」

未来が麻琴に聞く。

「うん。それに、私昨日のその時間は起きていたかもしれない。」
「何か見たり、聞いたりした?」
「うーん。特になかったと思うよ。」

未来は少し考えるような仕草をしてから、推理するように口を開いた。

「それって、変だね。被害にあった人って入院してるんだし、とても危険な目にあってたと思うよね?」
「それなら、大声とか・・・出したりするんじゃないのかなあ」

それを聞いて麻琴はなるほど、と思う。確かにそうだ。普通だったら大きな声で助けを呼ぶものだ・・・でも、声が出せない状態だったかもしれない。
しばらくの間沈黙が続いたが、不意に声がかかった。

「あの。桜庭(さくらば:麻琴の苗字)さん?」

麻琴ははっとして振り向く。

「今日、ゴミ捨て当番だった気がするけど。僕一人じゃ持ち切れないから、手伝ってくれないかな。」

声をかけてきたのはクラスの男子「寿(ことぶき)・秀一」だ。

「あ。そうだったっけ?」

麻琴は未来に伝えてから、秀一からゴミ袋を受け取る。


麻琴のクラスは3階にあるので、ゴミ捨て場までは少々遠い。二人で歩きながら、麻琴は秀一を盗み見る。

この人はどうも変な人だ。いつも一人で、休み時間は自分の席で本を読んでいる。誰かと楽しそうに話をしているところは、見たことがない気がする。眼鏡をかけていることは言うまでもないが、見た目はちょっとかっこいい。実際のところ、クラスの女子たちは秀一が気になっている様子。
ただ、本人は女子の熱い視線にも無反応である。
それにしても、会話がないのは少し気まずい。

「――あ」

麻琴はこらえきれず声を出してしまった。慌てて口を手で隠したが、遅かった。

「どうしたの?」

秀一が不思議そうに問いかける。
しまった、と麻琴は思う。いつもの様にこの後会話を続ければいいのだが、秀一と何を話すことができるというのか、思い浮かばない。

「えーっと。今日は、暑いね!」
「うん。そうだね。」

麻琴は顔が赤くなるのを感じた。
今のは、人生初の恥かもしれない。ただここで沈黙するのはもっと恥ずかしい。

「えーっと。朝先生が言ってた話、怖いよね。私近くに住んでるから、びっくりしちゃったよ。」

秀一はちょっと驚いた顔で麻琴を見る。

「そうなんだ。何か気付いたことあった?」
「ないよ。でも、それが不思議だなーって、さっき未来と話してたところなの。」
「ふーん・・・」

秀一は思案気な顔で麻琴を見つめる。

「何?どうかしたの?」

麻琴はどぎまぎしながら秀一を見返す。
秀一の瞳は、よく見ると灰色に近い色をしていることに気付いた。

「なんでもないよ。でも、危ないからその公園にはしばらく行かない方がいいかもね。」

そう言って秀一は昇降口を出る。


ゴミ捨て場は校舎の裏にある。裏口もあるのだが、通常生徒は通り抜けができない。
麻琴は秀一に続いて校舎裏に回る。
角を曲がってすぐに、麻琴はは壁のようなものにぶつかった。よく見ると、秀一の背中だった。
麻琴は慌てて謝ったが、反応がなかった。どうやら秀一は、目の前にあるものでいっぱいになっている様子だった。
麻琴は不思議に思い、秀一の目線を辿る。

ちょうど、ゴミ置き場と焼却炉の隙間、陰になっているところに、それはいた。

黒くて、もやもやしている。麻琴は毛虫を思い出し鳥肌がたった。それはゴミを漁っているようにも見える。こんなもの見たことがなかった。

「ねえ・・・あれ、なんだろう。」

麻琴は秀一に聞く。すると突然、今までこちらを気にしてなかった黒いものが、顔を上げて二人を見た。黒い体の真ん中あたりに、白い点が二つあった。きっとあれが目なのだろう。

「うわ!なにあれ!」

麻琴はそれの気持ち悪さに思わず大きな声を出してしまった。
その直後、麻琴は腕を引っ張られるのを感じた。

「逃げよう!」

秀一は持っていたゴミ袋を放り出し、麻琴の腕をつかんだ。秀一のただならぬ行動に麻琴もゴミ袋をとり落とし、秀一に引っ張られながら一番近い裏門から学校を走り出た。

麻琴は走りながら後ろを振り向いて、恐怖を感じた。さっきの黒いものが追いかけてくる。
秀一は麻琴の腕をしっかり掴んだまま、まだ走り続ける。一体どこに向かうつもりなのだろうか。

しばらく走り、人気のない場所についた。この辺りは工場地帯だから、あまり近づく人はいない。麻琴は脇腹をおさえ、はあはあと息をする。
あの変なものから、逃げきれたのだろうか。

「ごめんね、桜庭さん。無理させたよね。」

秀一は申し訳なさそうに言う。その直後、緊張した面持ちになり麻琴を守るように前面に立ちふさがる。
麻琴は近づいてくるものを見た。

逃げきれていなかったようだ。それでも、秀一はもう逃げようとはしなかった。

「まさか学校にまで現れるとは、思ってもなかったよ。」

秀一が、黒いものに話しかけるように声を出す。黒いものは、威嚇するようにビリビリと震えた。

「でも、昨日の事件もお前のせいだろう。早めに見つかってよかったよ。」

秀一はおもむろに制服のポケットから何かを取り出す。一瞬見えたそれは、麻琴には鍵に見えたが・・・。
瞬く間に、秀一の手には大きな武器が握られていた。黒いものが怒りの声を叫ぶようにますます震える。

「いやいや。こっちも仕事なんでね!」

秀一が武器を振り上げ、得体のしれない物体に斬りかかっていった。
黒いものは、凶器を避けもせずに受け入れ、ノイズが走るかのように静かに消えていった。


「あれって、なんだったの?」

あの後、何事もなかったように学校に戻った麻琴は秀一に聞く。きっと答えてはくれないだろうとは思ったが、聞かずにはいられなかった。秀一は麻琴をじっと見てから口を開いた。

「明日・・・まだ知りたかったら、明日霧が丘公園に来て。」

秀一はそう言い残し、鞄を背負って教室を出ていった。

麻琴は思う。今日あったことは、暑い夜に見る悪夢なのではと。

<第一話・終>




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