夏目友人帳

第弐話「赤い瞳」
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なかなかの良い日だ。
巴は良く晴れた空を見上げ、自然と顔がほころぶ。

「今日は良い一日になりそうだな。」

夏の真っただ中だが、道には木の陰も多く暑さをだいぶ凌げている。
セミの声が耳に心地よい。

この静かな空気と、風景は都会では滅多に見られない。
こんな日常が、当たり前にあるんだなと巴は懐かしさとちょっとの切なさで胸がいっぱいになる。

昨日この町に着いてから、明日は祓い屋の屋敷に行こうと意気込んではいたものの、何分情報が足りず、やはり今日は情報取集のために時間をかけようと思っている。

「何故って、どこもかしこも雰囲気のある森ばっかりなのよね。」

巴は周りを見渡しため息をつく。
サークルの先輩から聞いた情報は、暗い森の奥にあるということのみだ。
その時は失念していたが、この町は、というより田舎には森なんて辺りにたくさんあるのだ。

そんなことで、巴は森に向かうあぜ道を歩きながら自分の馬鹿さ加減を恨んでいた。

ここまで住宅街を抜けて、適当に歩いてきたが、今のところ何とも出会っていない。
人間にも、そうでないものにもだ。

昔は人間と妖の区別が付かなかったが、今はもう大丈夫だ。でも、本当にそっくりなものも存在しているので、完全にわかっているかどうかは微妙なところではあるが。



「おーい!どこにいったんだよ、先生!」

森に入った直後、右手の繁みから男の子の声が聞こえた。
何事だろうと覗き込むと、高校生くらいの男の子がペット用のリードを持ちながら、自分の足元の周りを見渡していた。
リードの先には何も繋がれていない。
すると、彼の犬がどこかへ逃げてしまったのだろうか?

「この辺に駆け込んだのが見えたんだけどな。」

男の子は首をかしげながら、なおも捜索を続けるようだ。

巴はしばらく様子を伺っていたが、この森の中を一人で探すのは大変だろうと思い、飼い主の手伝いをすることにした。
巴自身はやらなければならないことはあったが、ペット捜索の方が大事だ。

「犬が行方不明ですか?」

巴は気軽な声を意識しながら男の子に声をかけた。
彼はすぐさま巴を振り向き、たいそう驚いた様子で巴を見つめた。

「あ、ああ。いえ、大丈夫です。」

彼は大げさとも思えるほど巴から一歩引いて、かなり苦しい笑顔を見せた。

やはり、驚かせてしまっただろうか。

「探す手伝いでしたら、私も協力しますよ。この森、とっても広いですし。」

「大丈夫です。今回が初めてじゃないし、そのうち帰ってきますので。」

男の子は慌てた様子で繁みから出て、先ほど巴が通ってきた道を辿る。
巴は心配そうに見送るが、その視線に気付いたのか、男の子が振り向く。

「ほんとに大丈夫ですから。ありがとうございます。」

そう言い残し、何もつながれてないリードを肩にかけたバッグに入れて速足で森から出ていった。

巴はもやもやした気持ちで、少年がペットを探していた場所をしばらく見つめていた。
私が声かけたから、居づらくなってしまったんだろうなあ。

「そうだよ。知らない人に声かけられたら逃げるよね。」

巴は申し訳なくなり、自分の軽率さを恥じた。
それにしても、少年の犬の名前は”先生”?
とっても珍しい名前ではないか?
巴はそれを思い出し、一人笑いをする。



「今のを見たか。あれが噂の夏目レイコだ。」

「おう、怖い。やはり、この地に戻ってきたというのは本当か。」


木々の間から風と共にささやき声が聞こえてくる。
巴は目を閉じ、声に耳を傾けた。
この声は、きっと妖の声だ。
頭に響くような、あるようなないような、不思議な感触の声なき声だ。

「それに、あそこに人の子。」

「人の子だ。われらの森に。」

「腹立たしい。」

ここまではっきりと声が聞こえるのは何年ぶりだろうか。
巴は感心し、同時に恐怖を感じた。
都会にも妖はいる。
だが、こんなにも意識を感じることができたものはそんなにいなかった。
ただそこに存在するだけのものが多かった。

巴は目を開け、肩にかけたバッグをかけなおし歩を進める。
巴は今ひどく動揺していた。
妖の存在を感じただけで、心臓がどきどきとしている。
自分は妖怪には慣れていると思っていたし、小さい頃は自分から話しかけたり、些細な会話もしていた。
だから、もし出会っても平気なはずと思ってはいたが、思っているよりもはるかに臆病になっていたようだ。

先ほどの声を聞いてから、誰かに見られている気配も感じる。
この森は、どうやら人間を歓迎していないようだ。
普通の人間ならいとも簡単に通れる道を、巴はおびえながら通り抜ける。

「結構、くるものがあるな。」

巴は小さな声で呟く。
それでも祓い屋の情報も手に入れないといけないし、この地に来た理由は、妖怪の研究だ。
直接取材ができるこのチャンスを棒にふるうわけにはいかない。

巴は立ち止まり、バッグからお守りを取り出す。
このお守りは色んな文献やアドバイスをもらって出来上がった自作のお守りだ。
形はいびつだし気休めかもしれないが、自分なりに一生懸命作ったものだ。
巴はそれをカーディガンのポケットにしまい、活を入れるように深呼吸をする。

「まずは、情報収集。」

巴は気を取り直し、辺りを見渡す。
とにかくまずは、祓い屋の情報を聞き出そう。
しばらく森の中を探索してると、懐かしい景色が見えてきた。
小さな鳥居があるこじんまりとしたお社だ。
ここは昔、巴が小さい頃によく遊びに来ていた場所だ。
この小さな神社には人の姿をした妖怪が住んでいたことを思い出す。
私は、よくその妖怪に会いに来ていた。
いつも鳥居の上に座って、誰かがその下を通ると、きまって何かを上から落としてくる妖怪だ。
落としてくるものは色々だ。
人間に見えるものであったり、見えぬものであったり。
ただ、不快に思うものを落としている姿を見たことはなかった。

巴は鳥居の手前に立ち、上を見る。
昔見た妖怪は姿が見えなかった。
今はいないのか、はたまた引っ越したのか。
巴は少し残念に思い、だが思い出の地でもあるのでお参りをしようと鳥居をくぐる。

すると、上から何かが降ってきた。
足元を見ると、どうやら桜の花びらの様に見えた。だが、周りには桜の木などないないし、そもそも季節外れだ。
巴は期待して鳥居を見上げると、青空を背に、そこには昔見た変わらぬ姿のままのあの人がいた。

「おや、目があった。」

その妖怪はいたずらな笑みを浮かべて手に持った桜の木の枝をもてあそぶ。
巴は数年ぶりに見た懐かしい姿に目を奪われてしまった。
小さい頃は、気付かなかったことが今ははっきりと感じられる。
人間にそっくりだと思っていたが、今見るとそうでもないのだ。
それでも、その妖怪は優し気な雰囲気を持ち、異様な赤い瞳を巴に向けている。

「人間は、大きくなるのが早い。」

妖怪は鳥居の上から、体重を感じさせない動きで飛び降りてきた。
風はそんなに強くないはずだが、纏った羽織がたなびく。

「私のこと覚えているんですか?」

巴は驚いて聞き返す。
もう10年以上は昔の話なのだが。
妖怪はふっと笑い、巴の手をとり、持っていた桜の花がついた枝を渡す。

「私にとっては、つい昨日のことのようだよ。」

巴は落ち着かない様子で、妖怪を盗み見る。
近くで見たのもとても久しぶりだが、本当に端正な顔立ちをした妖怪だ。
白い肌に赤い瞳、朱を塗ったような赤い唇だ。
まるで日本人形のような出で立ちだ。

「あなたは、変わらないですね。10年前と何も変わってない。」

「そうだね。私は変わらない。ずっと。」

巴は手に持った桜の枝を見つめ、つくづく不思議なこともあるのだなと思う。

出会って思い出したが、この妖怪は”好依(このえ)”という名を持っているはずだ。
小さい頃、教えてもらったことがある。
「名」というものはとても大切なものだということを、巴は知っている。
古くからある陰陽師の流派の研究をした時に学んだことがある。
「名」とは、自分の命、存在そのものである。
そんなことだ。
だから、自分の名前をみだりに使ってはいけないし、また、相手にも教えてはならない。
好依はそのことを知っているだろうか?
勿論、私がこの妖怪をどうにかしようと思っているわけではない。

「巴は何をしに来たの?」

好依が深い声で巴に聞く。
そう言われて巴は、自分の目的を思い出す。

「妖怪のことを調べるために、ここに戻ってきたんです。」

それを聞いて、好依は顔をしかめた。

「調べてどうするの?」

そうか。巴はしまった、と思う。
妖怪からしたら、私の研究は嫌なことなはずだ。
彼らにも生活はある。それを邪魔しに来たと思われたかもしれない。

「邪魔をしにきたり、追い出そうとしているわけじゃないの。ただ本当に興味があって、祓い屋とか・・・」

「祓い屋?」

好依が「祓い屋」というワードに反応する。
巴はまたしても地雷を踏んでしまったようだ。
妖怪相手にこんな物騒な単語はよした方が良かった。
好依はじろじろと巴を見つめる。

「祓い屋になりたいの?もしかして、既にそういう人?」

「違う違う!そういうことじゃないよ。学問として、勉強なの。」

巴はどう説明したらいいかわからなくなる。
そもそも、妖怪に大学のことや、研究とか課題だとかわかるはずがないのだ。
その他に理解される上手い理由があるだろうか。

「学問?ああ・・・。」

好依は小さく頷き、巴の持っているバッグを指さす。
バッグにはスケッチブックや、この町の地図や探索に必要なものが入っている。

「学者のことだね。」

好依にはバッグの中身が見えているようだ。
どうやら、巴の持ち物を見て研究者だと理解したらしい。

「わかるの?」

巴は驚いた。
人間のことを少しは知っているのだろうか?

「私は昔人間とともに暮らしたことがある。人間の学問は少しなら知っている。」

そうなのか。
長く生きれば、そのようなこともあるのだろうか。
しかし、人間と妖怪がともに暮らす?
そんなことが可能なのだろうか。

「”紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 吾恋ひめやも”」

巴は好依の歌った詩に心当たりがある。万葉集の詩の一つだ。
好依の言っている学問とは、このことか。
どうやら好依はかなり昔から生きる妖怪のようだ。

「祓い屋のことなら、少しわかるよ。」

好依は巴を見つめながら静かに言う。

「私は祓い屋は好きじゃない。」

妖怪にとっては、祓い屋は邪魔な存在だろう。
自分たちの居場所、さらには命までも奪っていく凶悪な存在で、私たちからした人殺しと大差ない認識だろう。
ただ、巴は人間であるから、祓い屋が全面的に悪だと賛成できない。
難しいところだ。
会話に悩んでいる様子の巴を見て、好依は微笑んだ。

「人間のために祓い屋が居ることはわかっている。」

そう言って、巴の髪を軽く撫でる。

「私は、色んな事を学ばなくちゃいけない気がする。」

巴は目の前に立つ人には見えない存在を意識する。

「知りたいし、妖怪のことも。見えない人たちにも何か、残せるものがあるかもしれない。」

そうなのだ。
妖怪が突然この世から消えてしまうことだってあるかもしれない。
この森だって、何かの関係でなくなってしまったら?
この地に住むものたちは一体どうするのか?
消えてしまうのだろうか?身を隠してしまうのだろうか?

昔はあったもので今はないものなんて数えるほどたくさんある。
残せるものは残していくべきなのだ。
それに、妖怪は限られた人にしか見ることができない。伝え残せる人もまた、限られてくる。

「後世に残すために。学問とは、そういもの。」

好依は満足げにうなずきながら言う。

「巴はいつまでここにいるの?」

「私は、夏が終わるまでここにいるよ。」

「それまで、私は協力するよ。」

協力者を得た。巴は内心喜んだ。
暇つぶしのために付き合ってくれるのだとしても、とても助かる申し出だ。

「ありがとう!」

巴は素直にお礼を言い、頭を下げる。
好依はその様子をみて小さく笑い、倣ってお辞儀をする。

「こちらこそ。」





















<第弐話・終>


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