夏目友人帳
□第伍話「祓い屋の会合・後編」
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「困ったなあ!こんなことになるなんて・・・。」
巴は的場の付き人に通された応接間に緊張しながら正座していた。
案内された応接間は会場の奥まった場所にあり、何枚もの襖をくぐり抜けてようやく落ち着いた。
道中ばれない程度に建物の様子を伺っていたが、どうやら的場自身がこの建物に住んでいるわけではないようだ。
これほど立派な佇まいの古い民家だから、最初は的場自身の家かと思ったが、生活感が全く感じられないので恐らく別荘なのだろう。
この部屋に入ってから随分と時間が経ったような気がする。
巴は不安げに辺りを見渡した。
何かに見られているような気配がするのだ。
目を凝らしても姿は見えないので、完全に監視されているのだろう。
巴は腕時計を確認した。
もう少し待って的場が来なければ帰ろう。
滅多にないチャンスではあるが、ここは居心地が悪いし、時刻は既に20時を回っている。
「気持ちの悪い奴が何匹かいるな。」
好依(このえ)が天井を見て目を細める。
どうやら好依には視線の正体がわかっているようだ。
「ねえ、やっぱりもうお暇しよう。」
巴は立ち上がり鞄を抱えた。
「ここ、なんだか気味が悪いし、私ほんとにもう帰らないと。」
「いや・・・。」
好依はチラッと襖を見てから、巴に座るように促した。
「すぐ来るよ。」
ほどなくして襖が開き、先ほどの若い男性の姿が見えた。
「遅くなってすみません。早めに切り上げるつもりだったのですが、途切れなく人が挨拶に来るものですから。」
男性はにこやかにそう言いっているが、瞳だけは巴を観察するようにしっかりと見据えていた。
男性は巴の前に机を挟んで座り、軽く頭を下げてきた。
「突然すみませんでしたね。私は的場静司と申します。」
案外素直な対応に巴は拍子抜けてしまったが、慌てて同じように挨拶をした。
しばらくの間会話が続き、的場は妖怪研究について興味を持ったらしく、深く追求してきた。
「へえ。それでこの会合にたどり着いたわけですか。随分運が良いんですね。」
「そうですね。良い出会いに恵まれました。」
的場はそれを聞いて少し怪訝な顔をする。
「あなたは素直なんですね。私たちの世界の人間は、大体ひねくれているんですが。」
「そうですか?私の周りには、妖怪が見える人はいなかったのでわからないですが。」
巴は的場を観察しながら考えた。
確かに、妖怪が見える生活っていうのはかなり大変で、環境に影響されやすい人間には生きづらいだろう。
実際巴が高校生の時はこの環境がとてつもなく嫌で、外にあまり出ないようになってしまった時期がある。
母の病気のせいも少なからずはあるが、他の人には見えないものが見えるという環境は、対人関係においてもストレスになるし、自分自身への不信感にもつながる。
だが今はそんなことはないし、妖怪が見えることも一種の個性だと思っているし、友達付き合いも上手くできる。
今巴の目の前にいる的場は、どちらかといえば「ひねくれてしまった」人間だろう。
祓い屋としての力が強いのであれば、毎日の生活は妖怪にどっぷり浸かっているはずだ。
巴は妖怪に依存しない生活を求め、実際にそれらしく生活ができているが、的場は違う。
妖怪に依存した生活を送るしかないのだ。
そんな環境で、ひねくれるな、なんて方が難しいはずだ。
「あなたは祓い屋になるつもりはないんですか?」
的場はちらっと好依の様子を見て、巴に視線を戻す。
「私の知らない術を使っているんでしょうね。あんなものを従えることができるなんて。」
やはり的場でも好依のことが気になるようだ。
そう言えば、的場は先ほど好依に向かって不思議なことを言っていた。
どういう風の吹き回しなのかと問いかていた。
恐らく的場と好依は前に会ったことがあるのだろう。
「いえ、術なんて使ってませんよ。従えているとか、そういうんじゃないんです。」
どう説明しようか言葉を選んでいる時、巴はふと名取が言っていたことを思い出した。
的場がどんな反応をするか興味があった巴は間を置いてしっかりと口に出して言った。
「彼は友達です。」
的場は表情を変えなかった。
笑われるかと思っていたが、的場は真面目な顔で巴を見る。
「本気で言ってます?」
巴は黙り込む。
実際は巴も好依とは友達と言えるような関係ではないと思っているので、本気で言ったわけではない。
巴と好依が友達同士っていうのは、巴の一方的な希望だ。
「友達だよ。」
的場が現れてから黙ったままだった好依がそう言う。
「それもずっと前から。巴が小さい頃からだよ。」
巴は一気に胸が熱くなるのを感じた。
助け舟を出してくれたのだ。
嘘かもしれないが、この際嘘でもよかった。
しかし、好依の発言を含めても的場は全く信じていないようだった。
「信じられませんね。私には服従関係にしか見えませんが。ああ、どっちが主かは判断しかねますが。」
巴は顔をしかめる。
この人は一体何を言っているんだろうか。
巴と好依が友達同士とは見えないので、何かの契約に縛られた関係とみるのは妥当だがどっちが主か、とはどういう意味なのだろうか。
「その様子だと、彼の正体を知らないみたいですね。教えて差し上げましょうか?」
的場が切って張り付けたような微笑みを浮かべながら言う。
巴は好依をそっと見る。
確かに好依の正体は知らない。
昔人間と共に暮らしたことがあるとは聞いたが、詳しいことは何も知らない。
巴の視線に気付いた好依は肩をすくめる。
「聞かれなかったから、言わなかっただけだよ。知りたいなら、構わないよ。」
「随分と余裕ですね。その子があなたの正体を聞いてどう思うか予想できないんですか?」
好依はその問いには答えない。
何か恐ろしいものなのだろうか。
「どうします?」
的場が巴に体を向けて聞く。
巴は覚悟を決めて、的場の目を見つめ返す。
「聞かせてください。」
叔母の家に着いた時には、いつもなら寝る時間だった。
携帯もつながらない場所にいたため家に着いた途端に叔母にこっぴどく叱られることとなった。
巴は謝り続け、もうしないと約束をしてやっと解放された。
軽く夕食を済ませ、自室に戻ってから今日の成果を振り返る。
メモ帳のページを捲ってはみるものの、何も頭に入ってこなかった。
原因は確実に的場が話してくれた好依の正体のことだ。
「好依は神格ですよ。」
的場の声が何度も頭に響く。
好依は、大昔この辺りで信仰されていた神なのだという。
あの神社も昔は手入れが行き届き、年に数回の祭事も行われていてのだ。
好依自身の神通力(※)も強力で、住む人々からの寵愛を長い間受けていていた。
元々この辺りは妖怪が多い地らしく、妖怪が見える人間も他の地と比較して多いため、好依の姿が見える者の評判も相まって多くの人間が神社を見学に来ていたようだ。
あの神社には、本当に神が居る。
そんな噂のおかげで参拝客が後を絶たず、信仰が増えるにしたがって好依の力も強くなったそうだ。
ただある時、好依は自分の社を捨てたのだ。
神のいなくなった神社は当然なんのご利益もなく、次第に廃れていったそうだ。
数十年の後、好依はこの地に戻ってきたが氏子も信仰者も消え去っていた。
信仰のおかげでついた力は失ったが、好依は依然と変わらずあの廃神社に何百年と住み続け。極たまに来る参拝者のために施しをしていたらしい。
好依は的場が説明している間、一切口を出さなかった。
的場の言うことを全部信じていいのかはわからないが、恐らく大体はあっているのだろう。
巴は話を聞きながらいくつかの疑問がわいてきたのだが、とりあえずは胸にしまっておくことにした。
的場は好依の存在を知って、つい最近接触したのだという。
神と妖は紙一重だ。
信仰を伴わない神は的場にとっては妖と同類らしく、力の強い好依を手に入れようと試みたのだという。
しかし好依は頑なに拒み、的場を追い返したらしく、そのためもあってか好依と巴が一緒に居ることに興味をもったらしい。
巴は話している的場が嫌に冷静で、さも当たり前のように「手に入れる」という話をするのが不愉快に感じたのを覚えている。
巴は布団にくるまり、好依のことを思う。
好依は夜道を心配して、巴を家まで送ってくれた。
いつもと変わらぬ様子だったのが少し気がかりで、明日また会いに行くつもりだ。
あの後、広間の方で騒ぎが起こったようで好依
と巴は解放された。
去り際、的場はまた会いましょうと挨拶をしていったが、本音を言うと二度と会いたくなかった。
あの人はなんとなく苦手だ。
同じ祓い屋でも名取とはかなり違う雰囲気だ。
巴は目を閉じ、心を落ち着かせた。
今日はもう、何も考えられない。
そう思った。
ほどなくして巴は眠りについた。
<第伍話・終>
※神通力・・・わかりやすく神通力で表記しましたが、神道における神がもつ「ご利益をもたらす力」のことです。
専門用語があるかもしれませんが、知識不足の為神通力とさせていただきました。
好依は特定の力を司る八百万の神とします。