夏目友人帳

第陸話「好依の過去と的場という男」
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「好依!いないの?」

巴はいつもの神社を訪れていた。
昨日の会合での話のことを聞きたいと思ったし、何より好依のことが気がかりだった。

妖怪は、いつの間にかいなくなったりするものだ。
そんな不安があり、巴は朝起きてすぐに好依の神社に足を運んだ。

改めて敷地を観察してみるが、的場の言う通り昔はさぞ力のあった社なのだろう。
荒れ果ててはいるが、本殿も様々な装飾が施されていた。
過去を知った今、この様子がとても切なく感じられる。

「おや。今日は早いね。」

好依が鳥居の下に立っていた。
巴はその姿を見て安心した。

「好依。ごめんねこんな朝早くに。」

「大丈夫だよ。今日もまた、妖怪研究か?」

好依はいつもと変わらない顔で言う。
巴は少し躊躇したが、思い切って言葉を発した。

「あのね、あなたの過去のことを聞いてみたくて・・・。」

好依は巴の顔を覗き込む。
表情からは何も読み取れなかったが、拒否されているようには感じなかった。
好依はふっと笑みを浮かべ、巴の髪にそっと触れた。

「いいよ。そうだね・・・私も話しておこうかと思ったんだ。謝らなきゃいけないこともあるし。」

「謝る?」

巴は不思議そうに好依を見上げる。
すると好依は困ったような顔を見せた。

「ああ、それは追って説明するよ。」




「長くなるけれど、いい?」

「うん。最後まで聞かせて。」

好依と巴は暑さを凌げそうな、敷地の端に横たわった倒木の上に腰かけた。
















もう何百年も前の話だ。
私は古くからこの地に住む神だ。
人々が安定を求め、ちょうどここに神社を建てた。
それからは私はここに住み、人々の願いを聞き、叶えていった・・・勿論、全てに手が回ったわけではないが、私は真に忠実だっと思う。
神の暮らしは楽しかった。
人の喜ぶ顔を見るのが好きだったのだ。

だが、同時に退屈でもあった。
この地から離れることもせず、人のために存在していた。
何十年もすると、私は日々に刺激がほしいと思い始めたのだ。
ちょうどその時、ある男に出会った。

「男?それは人間なのね?」

巴が驚いたように聞く。
好依はうなずく。

「そうだ。私の評判を聞きつけてやってきた男だった。奴も私のことを見ることができた。」

好依は久しぶりに、その男のことを語るようで、楽しそうな話し方をする。

「もしかして、好依が前に人間と過ごしたことがあるって言ってたのは、その人と関係のあること?」

「その通り。」

好依は巴を見てにっこりと微笑む。



その男は、弥生という名であった。
詩人であり、同時に拝み屋をやっていた。
前から、私の姿を見ることのできる人が神社にやってきてはいたが、その中でも弥生は力が強かった。
遊び半分で幾度か勝負もしたことがある。
大半は弥生が負けてうち伏せられるのだが、たまに私が負けると毎回、詩の勉強に付き合わされるのだった。
弥生は自分で詩を詠むし、故人が残した詩集をそれはもう熱心に研究していた。
そのおかげで、私も大分詳しくなった。

私たちが仲良くなるのに時間はかからなかった。
私は話し相手ができたことに喜びを感じたし、弥生も自分の詩を聞いてくれる仲間ができたことを嬉しがっていた。
数年の後、弥生がこの地を去ることになった時、私は弥生について行くことに決めたのだ。
最初は断られたが、私が根強く頼み込んだ。

「今思うと、あそこまで強引になれたことが不思議だ。」

好依は恥ずかしそうに自分の鼻を掻く。
巴はフフッと笑う。

「それほど、一緒にいたかったわけだよ。それで、弥生さんと一緒にこの地を離れたんだね?」

「そう。弥生は旅をしながら詩を書くのが好きだったようだ。私の神社に訪れたのも、その道中だったんだ。」




弥生との旅は全く飽きなかった。
多少の喧嘩もあったが、すぐに元に戻った。
私は初めて見る外の世界にとても感動したし、弥生の詩の腕も上達していった。
いつか、お上に献上するんだと息巻いていたな。
それくらい自作の詩は増えていき、ひとりで詩集を作ってしまいそうな勢いだった。

生活に困ると、道中で拝み屋をこなしていた。
弥生の洞察力は凄まじかった。
恐らくあれは私を上回っている。
次第に拝み屋としての知名度も上がっていき、寄る場所寄る場所で様々な人の困りごとを解決していった。
もっとも私も少しばかり力をかしていたから、弥生だけの成功ではないが。

そんな毎日の中、いつもの様に道端で店を広げていた時にある人物が接触してきたのだ。
その男は、好依の姿も見えるらしく執拗に弥生に付きまとってきた。
男はどうやら弥生を仲間に引き入れたいらしく、熱心に語っていたのを覚えている。
仲間というのは、妖怪退治屋のことだ。

男は名を「的場」といった。




「的場?それって、昨日の的場と関係あるの?」

巴はぞっとした。
こういう繋がりがあったなんて。
何百年も前から的場という祓い屋が存在していたのだろうか?

「いや、関係があるかどうかは分からない。ただの偶然かもしれないが・・・。」

好依は目を閉じ一息ついた。

「可能性はある。的場一門は古くからある家系だ。」



弥生は的場の誘いを断り続けた。
妖怪退治など人間の勝手である、と的場を突っぱねていたのだ。
そしてとうとう事件が起こったのだ。
弥生の頑なな態度に腹が立ったのか、的場は弥生についての悪い噂を流し始めたのだ。

奴のまじないは、悪霊の力だーーー

そんな噂だった。
恐らく、的場は何としても弥生の力が欲しかったのだ。
出会った頃の的場はみすぼらしいなりをしていた。
妖怪退治の仕事が潤っているとは思えなかった。
力も足りず人も足りず、あの頃は厳しい暮らしをしていたのだろう。

噂のおかげで客足は次第に遠のいていった。
もはやこの地で商売するのは難しかった。
しかし、弥生はもう旅を続ける体力は無かった。
それまで失念していたが、人間は老いる。
命も短いのだ。
さらには、弥生に呪いを送ってくるものもいた。
今まで必死に人々を助けていたというのに、手のひらを返したような扱いだった。
呪いは全て返したと思う、私はそういう類のものには強い。
その頃から弥生は床に伏したままだった。
呪いは跳ね返せても、私は病気を治癒させることはできなかった。
わからぬ、心の病かもしれなかった。
私はそばで見守るしかできなかった。

弥生は寝たきりになってからは、いつも私のことばかり気にかけてくれていた。
体調が良い時は、詩も詠んでくれた。
弥生は弱音を吐かなかった。
評判ががっくり下がったというのに、人々を恨んではいないと言っていた。
全く、お人よしであった。

そして、紅葉の季節に弥生は亡くなった。

しばらく姿をもせていなかった的場が、その後すぐに接触してきた。
主のいない私が不憫だ、などと上手い言葉を言いながら私を自らの式にしようとしてきたのだ。
勿論、痛い目に合わせてやった。
全て的場のせいだと、私は思っていた。
弥生は噂のせいで、自分の作った詩を献上することもできなかったのだ。
何年もかけて、様々な場所を訪れて作ったものだ。
それが世に出ることはなくなってしまった。

私はその後、この地に戻ってきた。



「そして、戻ってきたらこの有様だ。人は本当に冷酷な生き物だ。」

好依は肩をすくめる。

「もう二度と、人間とは関わらないと決めたのだが・・・。」

好依は巴の顔をじっと見つめる。
巴は好依にかける言葉を探していた。
こんな過去があったとは、知らなかった。
そうか、それで的場に興味があったわけか。
恐らく、本当は的場をこらしめてやろうと思っていたのだろう。

「あの若い男が的場だと名乗った時、憎しみが沸いてきたが、巴のおかげで抑えることができた。それと・・・。」

好依は頭を下げた。

「すまなかった。そんな目的のために、巴を的場に引き合わせたのだ。」

「ううん、そんな思いになるのは当たり前だよ。私、好依のこと責めたりしない。」

巴は優しく声をかける。
好依は申し訳なさそうに、もう一度頭を下げる。

「ありがとう。」

巴は好依の頭をそっと撫でた。
なんだかとても、好依が儚く思えた。

妖怪は、何百年と生きる存在だ。
一つの思いを長々と引きずってしまうこともある。
好依は弥生を失ってからの人生を、この廃神社で一人で暮らしていたのだ。
それを想像すると、とても寂し気に感じられた。
出会ってしまって、人の温かみも冷たさも経験してしまったのだ。
知らなかった時には戻れない。

それだから、好依は今でも参拝者に施しをしているのだ。
本当にかかわりたくないと思ったのなら、そんなこと絶対にしないはずだ。
冷たい人間もいれば、優しい人間もいる。
好依はちゃんとわかっているのだ。

弥生さんのことを忘れろとは言わないけど、好依には悲しい思いせずに暮らしてほしい。
巴はそう思った。



「それじゃ、またね。」

巴は鳥居をくぐり、振り返った。

「ああ。」

好依はそう返事をした。
巴は好依に手を振り、帰路についた。
今度来たら、七辻屋のお饅頭買ってこよう。
そう巴は思った。





















それから3日ほど、巴は神社には行かなかった。
ゼミの課題以外にもやらなくてはいけないことがあり、この三日間で仕上げようとしたのだ。

「ああ〜。やっと終わった〜!」

巴は伸びをして、畳の上に寝転がる。
ふと、会合の時に使ったメモ帳が目に入った。
手を伸ばし、寝転がりながらメモ帳を開く。

「あ・・・。」

とあるページから名刺が落ちてきた。
忘れていたが、そういえば名取の名刺をもらったんだった。
巴はそれをしばらく見つめた。
まだ、この町にいるのだろうか。

巴は体を起こし、久しぶりに好依に会おうと思い外に出かけた。








「好依〜!」

巴は七辻屋の紙袋を本殿の前の石段に置いた。
きょろきょろと見渡してみたが、好依の姿は見えなかった。

「お散歩?」

巴は不思議に思いながら本殿に目を向けた。
すると古ぼけた賽銭箱の後ろに、何か置いてあるのをみつけた。
桜の樹の枝と、下に和紙が置いてあった。

巴はハッとして動きが止まってしまった。
もしかしたら・・・。
恐らく、これは好依が置いて行ったものだ。
巴は震える手を伸ばす。

和紙を開いてみると、何やら書いてあるが巴には読むことができなかった。
辛うじて、自分の名前と、好依の名前は読み取れた。

「好依ー!」

巴はもう一度叫ぶように名を呼んだ。
だが、気配が全く感じられない。
巴は桜の枝と和紙を握りしめて、茫然と立っていた。
手紙の内容は読めないが、何となく伝わってきた。

どうしようもできなかった。

「お饅頭・・・買ってきたよ。」

巴はそう呟き、力が抜けたように地面に座り込んだ。

不意に背後に何かの気配を感じ、巴は期待して振り向いた。
だが、そこに立っていたのは好依ではなかった。

「あれ?君・・・梶原巴さんだっけ?会合以来だね。」

名取がにこやかに挨拶をしてきた。
巴は挨拶する気もおきず、ただ黙っていた。

「ここに力の強い妖怪が居るっていうから、見に来たんだけど・・・どうかしたの?」

名取は巴の様子がおかしいことに気付き、心配そうに聞いてきた。
今日は名取の後ろに一つ目の仮面をつけた妖怪が立っていた。
恐らく名取の式だろう。
巴は立ち上がり、仮面の妖怪に和紙を差し出した。

「これ・・・なんて書いてありますか?」

仮面の妖怪は名取に指示を伺うように顔を向けた。
名取は不思議そうな顔だったが、うなずいた。





私はしばらくここを離れようと思う。

巴と過ごしている間に、昔のことをたくさん思い出すことができた。

ありがとう。

弥生の詩集は、あともう少しで完成する。

私が最後まで弥生を手伝おうと思う。

また会いましょう。

好依




巴はそれを聞いて目頭が熱くなるのを感じた。

「この感覚だと、この妖怪はもう近くにはいないな。」

仮面の妖怪が和紙を巴に返しながら言った。
巴は手紙を受け取り、涙をこらえた。
その様子を見ていた名取が気づかわし気に巴の肩を叩いた。

「あんまり悲しいことではないさ。いつかまた会えるよ。」

名取なりに慰めてくれているのだろうか。
でも、今優しくされると悲しさは倍増されてくる。
耐えられなくなって、巴の瞳からボロボロと涙が落ちてきた。

「だって・・・!直接なにもいわないなんて!」

泣きながらそう訴えた。
聞いてほしかった。
自分の思いを、誰かわかってくれる人に聞いてほしかった。

















「そうか。ここの強い妖怪が、君と会合に来ていた好依なんだね。」

巴はしばらく泣いた後落ち着きを取り戻し、その間名取が一緒にいてくれた。
巴はうなずいた。

「多分、直接お別れするのが嫌だったんだろうね。」

名取が鳥居の上を見つめながらぽつりと言う。

「名取さんは、こういうこと経験したことがあるんですか?」

「さあ・・・。どうだったかな。」

名取は帽子を被り直し、巴と向き合った。

「もう大丈夫かい?」

「あの、はい。大丈夫です。」

巴は恥ずかしそうに俯きながらそう言う。
名取は安心したように微笑んだ。

「それじゃ、おれはそろそろ戻ろうかな。何かあったら、いつでも連絡して。」

「本当にありがとうございました。・・・あなたも。」

巴は名取の式にもお礼を言い、二人が見えなくなるまでその姿を見送った。
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