夏目友人帳

第八話「会えぬ者」
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「あの…。一体、私に用ってなんですか?」

的場と巴は、駅から少し離れた小さな喫茶店を訪れていた。
まだ煙草が許されている喫茶店らしく、人は少なかったが少し煙たい。
二人は窓際の席に腰かけ、巴は何も話さない的場に少しだけ腹がたった。

人をいきなり誘っておいて、何も言わないなんておかしな人だ。
巴は小さくため息をつき、店内の様子を眺めた。

ここは、どうやら普通の喫茶店のようだ。
もしかしたら祓い屋の集まる場所なのかとも思ったが、気になるものは特にない。
恐らく夜はバーになるのだろう。
カウンター席の後ろには様々なボトルが置いてあり、常連客らしき男がバーテンと会話をしている。
的場がこういう「普通」の店に出入りするのは、ちょっと不思議だ。
しかし、妖怪が見えるといっても大半の人は「普通」の生活をしている。
巴もそうだ。
的場には祓い屋としての顔以外に、「普通」の面があるのだろうか?

巴がぼーっと考えていると、的場がやっと口を開いた。

「さて、そろそろいいでしょう。」

そういって、満足そうに息をつく。

「すみません。さっき駅にいた妖怪が、どうもしつこく探しているようでしたから。」

あなたを、と的場が付け足す。

「私を?」

「前にあの妖怪を見たことは?」

「ありませんけど…。」

的場は嘘を言っていないか確かめるように、鋭い瞳で巴を見つめる。
その眼をしっかりと受け止めながら巴はもう一度振り返ってみた。
しかし、思い当たる経験はなかった。
あの辺りはこちらに来てから頻繁に行き来しているが、あの妖怪は見たことがない。
そもそも、なぜあの妖怪が私に構う必要があるのだろうか?
的場が危険だという妖怪と、私に何の接点があるというのか。

「あの妖怪、なんですか?私には危険だと思えませんでした。」

「それは今は置いておきましょう。」

的場が軽く流す。
話を振ってきたのは、的場の方じゃないか。
巴はまたしても苛立ち、少々ふてくされて的場が勝手に頼んだアイスコーヒーを飲む。

「梶原巴さん。的場一門に入りませんか?」

唐突な言葉に巴は驚き、的場の顔を思い切り凝視してしまった。

「え?なんですって…?」

「今日あなたと会って確信しました。この間は好依の霊力のせいで、自信がありませんでしたが…。」

的場は真剣そのものな顔で巴を見つめる。

「まあまあですね。しかし、女性では珍しい。」

「あの、何がまあまあなんですか?」

巴はわけがわからず、先ほど的場に苛立ったことも忘れて質問した。

「あなたの霊力の話です。本来、私たちの業界では男性が強く、女性の祓い屋は極稀なんです。あなたはその極稀に含まれそうですね。」

霊力が強い?的場は何を言っているのだろうか?
確かに、妖怪は見ることはできるから普通の人間よりは霊感がある。
だが、妖怪を祓うとかそういうレベルのものではないはずだ。
今までそういう経験はしたことがないし、それに霊力が強いというなら、特殊な技が使えたりするのではないだろうか?

私にそんな能力があるわけがない。

「なぜ好依があんなに、何かを隠すような妖力を纏っていたか、分かりました。」

的場は困惑している巴を観察しながら、納得する。
恐らく、好依はこうなることを予想して彼女の霊力を隠していたのだ。

「で、どうなんです?」

「嫌です…。」

巴は戸惑ってはいたが、それでもきっぱりとそう言った。
確かに、祓い屋の一員になれるのは良い経験かもしれないが、的場のやり方は好きじゃない。
それが本音だ。

「こちらもすぐにとは言いません。ただあなたは身を守る術を学んだ方がいいと思いますので。」

的場はそう言って、懐から名刺を取り出す。
巴は嫌と言ったのだが、聞こえなかったのだろうか?
巴はしぶしぶ受け取った。

「またこちらから連絡します。それと…。」

不意に的場が窓に視線を移し、目を見開いたかと思うと、突然テーブルに身を乗り出した。

同時にガシャーン!と耳をつんざく音が聞こえ
、巴は驚いて目を瞑った。
窓ガラスが、割れたような音だ。

欠片が落ちる音を聞きながら、巴はそっと目を開けた。
テーブルの上にはガラスの破片が散らばり、足元にもキラキラと落ちていた。
顔を上げると、的場が巴を破片からかばうように身を乗り出していた。

「お客様!お怪我はございませんか?」

慌てた様子で店員が駆け寄ってくる。
的場は興味深げに、巴を庇った自分の左腕を眺める。

「ええ…こちらこそ、すみません。不注意でした。」

店員はホッとした様子で、テーブルの上をクロスで拭き始めた。
的場が身を乗り出した際に、テーブルのグラスを倒してしまったようだ。
そこで、巴はハッとした。
慌てて先ほど割れたであろう窓を見るが、割れていない…。
床もテーブルにも、散らばった破片は一切ない。
巴は信じられない思いで周りを見渡す。
他の客は何もわかっていない様子だ。

さっき、窓が割れたはずなのに…。

的場を見ると、何食わぬ顔で店員と会話をしていた。
一体、何が起こったのだろうか。

「どうやら、見つかってしまったようですね。」

店員が去った後、的場が面白そうに言う。

「窓が…。」

巴は的場に確認しようとしたが、突然の出来事に上手く伝えることができなかった。

「怪我はありませんか?」

「え?ないです…あの…。」

「ああ、外から何かが突っ込んでくるのが見えたものですから。しかし、窓は割れませんでしたね。音も破片も見たんですが…。」

的場も同じものを見ていたらしく、巴は少し安心した。
ふと的場の腕に目をやると、袖から見える肌に火傷のような跡があるのに気付いた。
先程、巴の方に伸ばした腕だ。
もしかして、さっき的場が言っていた何かにやられた痕だろうか?
視線に気付いた的場が素早く腕を引っ込めた。

「あの…ごめんなさい、私のせいですよね。」

巴は申し訳なく思った。
自分を庇ったばかりに、的場が何か怪我をしたようだ。

「これも務めですから。気にしないでください。」

的場は何でもないようにそう言う。
巴はちょっと驚いた。
的場はそういうようなことをいう人には見えなかった。
力を得るためだけに行動しているような、勝手で傲岸不遜な人かと思ったが…。
巴の考えていることがわかったのか、的場は眉をつりあげた。

「妖怪から人々を守るために、祓い屋がいるんですよ。私もそうです。」

「すみません…。」

巴はうなだれた。
今までの考えは少々改める必要がありそうだ。
巴の恥じいった様子を見て、的場はため息をつく。

「そう思われても、仕方ないですけどね。」

そう呟き、的場は立ち上がる。

「この店に迷惑をかける前に、そろそろ出ましょう。外に出ても私から離れないでください。」

巴はおとなしく的場に従った。







喫茶店を出ると、向かいの通りに駅にいた二人の妖怪が立っていた。

先程駅でみかけた時は黒い人影にしかみえなかったが、今はきちんと人の形をしていた。
二人はよく似た妖怪で、面をしている以外は人間の双子の少女たちに見える。
背格好も巴と同年代のように思えた。
見た目も雰囲気も、そんなに危険には思えない。

「やはりお前たちか。一体彼女に何の用があるんです?」

的場は用心深く妖怪と一定の距離を保ちながら、巴を守るように立つ。

双子は特に何も言わず、お互いの顔を見合わせた。
何か作戦でも練っているのだろうか?

巴は緊張しながら、何かできることはないかと的場の背中を見ながら考えた。
すると、的場が後ろ手で何かの印を結んでいるのが見え、同じ手で腰に隠していたらしい人型の紙をゆっくり取り出すのが見えた。
的場が何をしようとしているのかに気付いた巴は、慌ててその手首をつかんだ。

「なんですか…。」

的場が迷惑そうに、しかし困惑したような顔で振り向く。

「そういうのは駄目、突然攻撃するのは…。」

巴は妖怪に聞こえないように小さな声で言う。

「私に用があるなら、聞いてみます。」

巴は的場の前へ進み出て、双子と向きあうと、彼女たちはすっと巴の方を向いた。
後ろで的場が動揺するような気配を感じたが、無視した。

「あの…私に用があるんですよね?」

「ええ、そうよ。あなたに。」

髪の長い妖怪がすぐに答える。
こんなにすんなりと答えが返ってくるとは思わなかったために、巴はたじろいだ。

「具体的には、あなたというか、…あなたに関係のある人だと思う。」

そう言って、髪の長い少女が巴に何かを見せるように手を差し出した。
巴が手のひらのものを見ると、ピンとくるものがあった。

「あ…!これ…。」

少女の手の中にあったものは、昨日父からもらったものの中にあった…
巴は急いでバックを開け、あるものを取り出した。

「同じ物、ですよね。」

賢吾さんの私物であった、ビー玉。
それとそっくりなものが、私と彼女の手の中にあった。

「やっぱり、そうだった。君と彼、とても良く似てるもの。」

長い髪の少女の口元が微笑む。

「それじゃ、賢吾さんのことご存知なんですね。」

巴は驚きを隠せなかった。
もしかして、賢吾さんも妖怪が見えていたのだろうか。
もっと、色々なことを聞けるかもしれない、そう思って巴は口を開いたが、的場が割り込んできた。

「一体何が起こってるんです?」

「あら、お前には興味ないのよ。的場の人間とは一切関わるつもりはない。」

長い髪の少女が的場の顔も見ずに答える。

「私のこと知ってるんですね…。一体なんのつもりですか?呪いを投げてきたのは、お前たちだろう?」

「呪い?呪いって…。」

巴は恐怖を感じて的場の腕に視線を移す。
もし、本当なら的場はどうなってしまうのだろうか?

「ご心配なく。解呪なら自分でできます。」

的場は少々苛立った様子でそう答える。
この程度で心配されることが不満のようだった。

「私が彼女を庇うとわかってて、あの場所に投げてきたわけですか。」

双子は何も言わず、的場と会話することを避けていた。

「あの…。」

沈黙に耐えられなくなった巴は声をだす。

「的場さん、この妖怪、私の伯父と知り合いみたいなんです。だから、多分大丈夫です。」

「あなたの伯父と、知り合い?」

的場は珍しく驚いた様子を見せた。

「それは随分と興味深い話ですが…。」

的場はチラっと双子を見てから顔をしかめた。

「私がいては、聞けるものも聞けませんね。」

「邪魔者は、退場しなさい。」

髪の長い妖怪がそう言うと、的場は口を開いて反論しかけたが、自分を落ち着けるように目を閉じて、思いとどまった。

「わかりました。何かあれば連絡をください。危険な気配は感じなくなりましたが、油断は禁物ですよ。」

そう言って、的場は軽く会釈をして去っていった。

「さて、的場もいなくなったし…。」

双子は解放されたように伸びをした。

「賢吾の姪さん、少しお話があるの。」







<第八話・終>


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