警視庁恋々密議
□1.追懐、会津で見た女鬼
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「確かに体躯と腕力じゃ敵わない。かといって、女の体が全てに於いて劣るわけでも無い」
刀を下ろしたまま、夢主は斎藤を睨んだ。斎藤は何のつもりだと訝しみ、警戒しつつも気を許している。
殺気は無い。だが冗談でもなさそうだ。夢主の腕はピクリともしない。
「正確さと速さでは優る。勝機は私に」
二人の目が合った瞬間、切っ先が斎藤を捉えた。おや、と斎藤の細い目が俄かに開く。咥えていた煙草が切られ、火のついた先端が床に落ちた。
夢主は目じりを下げた。剣客には思えぬ艶やかな唇が、嬉しそうに動く。
「どう」
「悪くない発想だ。初動を消して無拍子から最短最速で正確無比に突く。使えるよな。あるんだよ」
「えっ」
斎藤は指先で切っ先をそっと逸らした。
手袋をしていれば触れて刃に脂が付くこともない。視界を遮るものが消え、斎藤は夢主を見下ろした。夢主は何とも言えぬ表情をして、刀を動かせずにいる。
「悪いな、俺の得意技の一つだ」
斎藤の声は、どこか嬉しそうだった。得意の牙突のうち、威力は最も劣るが何かと便利な四式。暗殺にはもってこいの瞬撃特化、静かな牙突だ。
まさか、と夢主は顔を紅潮させて納刀した。勝ったと思ったら同等だった。派手に音を立てて、恥ずかしさと苛立ちを誤魔化した。
「貴方もやるのね、貴方の剣、見たこと無いから。……いつか見る機会があれば、比べさせてもらうわよ」
「ご自由に」
「それに、次は勝ってみせるから!」
「ほう、そいつは楽しみにしてるぜ」
ニッと笑った斎藤は、心からの言葉を口にした。
ここまで食って掛かる女は初めてだ。同僚や部下の男連中でもここまで噛みついて来ない。
それに宣戦布告を受けるのは久しぶり。斎藤は無意識に懐かしさを覚えていた。
剣筋が良かっただけに、面白い挑戦だと受け止めていた。
嫁の話はさておき、悪くない。すらりと細い手足は品がある。制服の下でそれ以上は分からないが、凛とした佇まいは悪くない。顔の好みに拘りは無いが、挑戦的な目は好ましい。生意気な唇もなかなか唆る。
不躾な視線を向けてしまい、斎藤は気付かれる前に新しい煙草を手に取った。
「次に会う時は一本取るわよ、覚えてなさい!」
夢主は肩を怒らせて怒鳴ると、つかつかと斎藤の横を通り過ぎて扉に手を置いた。
「どこへいく。用は済んだのか」
「警視総監に呼ばれているのよ!」
「ほう」
激しい音を立てて夢主が出て行った。
見送った斎藤の口端がニヤリと上がっていた。
警視総監。
斎藤に命を下す人物。苗字夢主も同様である。
「斎藤、苗字、二人で組んで任務に当たれ」
姿勢を正しているが、夢主が気まずそうに口を噛みしめている。俄かに歪んだ表情。ほんのり耳の血色が増している。
斎藤は堪えきれずに喉を鳴らした。
「何を笑っている斎藤」
「クククッ、いや、何でも無い。失敬、クククッ」
「うぅう煩いわね、斎藤一っ!」
川路は既知の仲かと紹介を省き、短く任務を言い渡した。
それから関連する資料の束を斎藤に渡した。
二人は警視総監室を出て、無言で資料室へ戻った。
夢主が赤い顔で黙り込んで目を逸らしていると、斎藤は川路から受け取った資料をその赤らんだ顔に当てた。
「っ、何をする!」
「先に読め。俺は後で構わん」
「……分かった」
さっさと知りたいものね、と夢主は資料を受け取った。窓から陽が差し込む席に座り、資料を捲るが、そばで待機する斎藤を横目で度々見てしまう。集中しなければ。
いけない、と首を振って資料に目を凝らす。暫くして顔を上げると、背後から斎藤が資料を覗き込んでいた。
「っひゃ、ちょっと、何してるの!」
「待つ手間が省けるだろう。それにしても集中していたな」
「悪かったわね、背後にいるのも気付かない間抜けで」
「俺は褒めたんだが? ここで背後に気を配る必要は無いだろう。気を緩める場、張りつめる場を区別せず四六時中気を張っていては擦り減るぞ」
「だからいつもスグに煙草を吸うの?」
「まぁな」
答える斎藤の手に、今まさに火をつけようと燐寸が握られていた。
「煙草は嫌いか」
「どうでもいい。好きでも嫌いでもありませんから」
「ならば遠慮なく」
シュッと小さな音を立てて、斎藤は燐寸を擦った。即座に独特の香りが広がる。
「私、煙草よりは燐寸の匂いのほうが好きかも」
「変わっているな」
「そうかしら。でもどっちも体にいいものじゃ、ないわよね」
そうだな。斎藤はニッと口元を歪ませた。
良しとされない存在。まるで俺達のようだなと、笑んでいた。
世間に蔓延るダニを排除する仕事は必要だが、煙たがられる。
「それでも構わんさ」
ククッと笑うと、夢主も笑い返していた。仕方がないわねと言わんばかりに、付き合いで返した笑いだった。