警視庁恋々密議

□11.在り香
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不意を突いた接触に、夢主が目を丸くする。あんな厭らしい触れ方をした男が、優しく触れて、手を離した。胸の奥を擽られた感覚がして、気に食わない。
夢主が不満を訴えようとした直前、斎藤の顔つきが変わった。

「血の臭いだ」

気付いた斎藤が、夢主の手首を掴んだ。体を引き寄せて鼻を効かせる。
間違えない、よく知る臭い。
斎藤は怪我かと顔をしかめた。
抗うのも面倒ねと、されるがまま臭いを嗅がせた夢主は、赤らんだ顔で予想外の理由を告げた。

「あぁっ、もう、そうよお馬よ、厭らしい鼻してるわね!」

「そういうことか、悪気はない。血の臭いには敏感なんだ。仕方あるまい」

ほぅ、と安堵の息を吐いて手を離すと、斎藤は自らの髪を撫で上げた。
飛び出た前髪が後ろに流れるが、すぐにさらりと戻って来る。
単独任務で負傷し、一人傷を癒す為に身を隠していたと勘繰った斎藤は、己の勘違いを歓迎した。

お馬とはおおよそ月一度、女性に起こる子宮内膜からの周期的出血。
夢主はお馬が来るたび、忌々しく感じていた。
経血の処理は面倒で、誰かに気付かれる度に嫌気がする。全てが鬱陶しかった。

「まぁ仕方ないわよね、それが分かってるからこっちも避けてるんだし」

「ここ数日顔を見せなかったのは」

「えぇ、そう。以前、警視総監に相談して得た条件なのよ」

自分の不在を随分と気にしていたようだから、丁度いいと先日の悪さの仕返しのつもりで挑んだが、見抜かれてしまった。
夢主は腰に手を当てて、残念、と首を傾げた。

血の臭いに敏感な者が多い警視庁。お馬の日は近寄りたくない。
だから月に数日、お馬になれば警視庁に登庁せず、自宅や町で可能な任務をこなす。川路に訴えて得た任務形態だ。
休んでも良いと言われたが、それでは夢主の気が済まなかった。

「もう大丈夫だと思ったんだけど、さすがは壬生狼、鼻が利くわね」

「お前も利きそうだな」

「利くけど貴方には負けそうよ、気付かれるとは思わなかった」

夢主は静かに斎藤から距離を取った。
自分の臭いを嗅がれるのは気恥ずかしい。
しかも斎藤は血の臭いを嗅いだ後、嫌いじゃないと嗅ぎ直したように見えた。
理不尽に血の臭いを疎まれるよりはましだが、好まれるのも受け入れ難い。

「ほぅ、鼻の利きは俺の勝ちか」

「ちょっ……こんなの勝負じゃないわよ、勝手に勝った気にならないで」

「ククッ」

「貴方のほうが獣に近いだけでしょう」

「ハハッ、かもしれんな」

笑う斎藤が顎をくいと上げた。
鼻を利かせている姿に見えて、夢主は更に距離を取った。
やめてよねと顔を歪めて訴える。

「もう気にしちゃいない、逃げるな」

「逃げるわよ」

そう言うと、溜まっている仕事を片付けるべく、椅子に腰掛けた。
後を追うように斎藤も着席する。
向かいの席から目を合わせてニヤリとする斎藤に、夢主は唇を尖らせた。
左右にある書類の山を二人の机の境目に移動させて、斎藤から自分の姿を隠す。

「おいおい」

子供染みた事するんじゃないと書類の影から斎藤が顔を覗かせる。
夢主は反対から覗き返して、灰皿に積まれた吸い殻を顎差した。

「貴方はまず煙草の吸殻を処理なさいよ、どれだけ吸えば気が済むのよ」

吸い殻の山を指摘されて、斎藤は初めて自覚した。

「空にしてもすぐこれだ。面倒でな。だが、これでは吸えんな」

仕事の前に吸い殻を始末するかと立ち上がった斎藤だが、座る夢主に目を落として呟いた。

「今日は煙草が減りそうだぜ」

「えっ」

「何でもない」

燐寸の臭いが恋しかったのはお前がいなかったからだ。
フッと密かに笑んだ斎藤は、灰皿を集めて部屋を出て行った。

夢主の足もとの塵箱には、空の燐寸箱が幾つも捨てられていた。
 
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