警視庁恋々密議
□12.意地っ張り者の幸運
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夢主が視線を落とすと、古い銃創が目に留まった。
「銃創まであるのね」
「西南戦争、お前も行ったんじゃないのか」
「私は参加してないわ。過酷な環境の中、女がいると士気が乱れるそうよ」
だから志願したけど敵わなかった。
夢主は両手の平を見せて悔しがって見せたが、却下された理由も理解出来た。理解できたが、心残りは消えていない。
「分からんでもない」
「貴方まで」
「悪い、だが本音だよ」
荒んだ状況で女の甘い香りを嗅ぎでもすれば、気が触れてしまう。
一人で小隊全ての男を警戒しながら敵とも闘うのか。過酷すぎる。心身ともに壊れてしまうだろう。
「上はお前を守りたかったんだろうよ」
「……そう思うしかないわね。そうなら、仕方ないし」
「素直だな」
「男が馬鹿なのは知ってるから。味方に寄ってたかって殺され兼ねないもの」
「お前……」
「はい、終わりよ」
「助かった」
処置は終わり。話も終わりよ、と夢主は小さく笑んだ。
黒シャツを取り、斎藤が着やすいよう広げる。無意識に手助けを続けていた。
「次は素直に医務室行きなさいよ」
「またお前に頼むさ」
「全く」
「上手いな、このまま動ける」
包帯の巻き具合が見事。
斎藤は黒シャツを着る過程で、処置の具合を確かめて唸った。
「褒めても何も出ないし、傷が塞がるまでは大人しくしていなさいよ」
「フッ、厳しいな」
「当然でしょ」
上着を着る手伝いまで済ませたところで、夢主はようやく自席に着いた。
何から手を付けようかしらと書類に手を伸ばすが、斎藤が気になり手を止めた。
手当てを終えた斎藤がまずしたのは、煙草を吸うことだった。
「貴方って本当に煙草が好きね」
「茶より先に煙草盆って言うだろ」
「だからって吸い過ぎじゃないの」
「煙草くらい皆吸うだろう」
庶民の間でも嗜好品として親しまれた煙草。とりわけ珍しい物でもない。
幕末も今も男は吸わない者の方が珍しい。
「知らないわよ」
「そうか」
周りに吸う者がいなかったのか。
当前ながら、警視庁内で任務中に煙草を吹かして許される人間は極少数。
斎藤は夢主を眺めながら煙草を吹かした。
紫煙がゆらゆらと広がっていく。
「会津育ちなんだろ、どこだ」
苗字夢主、本人の口から聞いて知った名だ。
旧会津藩、それなりの家ならば把握している。聞けば分かるが苗字家は記憶に無い。
斎藤は灰皿に煙草を押し付けた。
出自を訊くとは我ながら失態だ。
「いや、忘れてくれ。つまらんことを訊いた」
斎藤の周りには、出自を語りたがる男達が多かった。同時に、他人の出自を気にする者は、いなかった。
斎藤自身は、語るのを面倒臭がって生きてきた。これからも聞かれようが話す気はない。余程気が向き、相手が相手ならば話は別だが。
そんな自分が他人を詮索するとは。
夢主は押し付け消された煙草を見て、フンと鼻をならした。
実によく斎藤に似た癖だ。
「会津の、それなりの家で育てられたわよ、学問も武術も身に付けられたのはそのおかげ。でも苗字なんて聞いたことないでしょう。そう、孤児(みなしご)なのよ」
「そうか」
「別に今更気になんかしてないわ。さる御方が故あって育ててくれて……苗字の名は自分で付けた名よ。元服の時に申し出て、受け入れてくださったわ」
女の立場で元服。当時、苗字を持つということは家を持つと言うこと。もちろん夢主に家を興してどうこうしようなどと大それた考えはない。全て己の為だった。
理解ある養父のお陰で自由を手に出来た。
夢主は嬉しそうに微笑んだ。女一人生きる道が険しくとも後悔はない。辛労辛苦は覚悟の上だった。
「こうして無事独り立ちできたんだもの、頭が上がらないわ。親がいたらこんな仕事は出来なかったでしょうし」
「それは一理ある」
斎藤と夢主はククッと笑った。
会津の女鬼として恐れられた働きも、親が健在ならば許されなかっただろう。
それどころか、会津戦争の最中、足手纏いにならぬよう自刃させられていたかもしれない。
「生きて明治の世で己の正義を振るえるのよ、これ以上の幸せはないわ」
「成る程」
それは同感、それに、そんなお前に出会えた俺もなかなかの幸運だ。
斎藤は真意を秘めた笑みを浮かべた。