警視庁恋々密議

□14.髪
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夢主の髪は変幻自在。
長さはあるが量は程々、一纏めにすれば制帽の中に隠すことが出来る。
任務によって女髷に結い上げたり、流行りの髪型マガレイトや英吉利結びの形に纏めたり、時と場所、会う相手により変化をつけて、髪で様々な女を演じる。

普段は面倒を厭い、結い紐で縛るだけの下げ髪だ。
夜の書類仕事など根を詰める作業の時は、一つ結びすらせずに、少しでも楽になるよう下ろし髪にすることさえある。
要は夢主の気分次第で、拘りがない。夢主にとって、髪は便利な道具の一つに過ぎなかった。


ある日、斎藤が部屋に入ると、夢主が紐を咥えて髪を結い直していた。
思わず「ほぅ」と細い目が見開かれる。

「なぁに、その顔」

「いや、珍しい姿だと思ってな。他意はない」

「そう」

他意を感じたんだけれど。夢主は瞼を半分閉じて、異議を唱えた。
すると斎藤も黙って仕草で応じる。片眉をピクリと浮かせ、まぁその通りだと意義を認めた。
女が物を咥えるさまはいいもんだ。色目で見て悪かったなと目を伏せて、夢主から距離を取る。
夢主は咥えていた結い紐を指で絡め取った。

「まぁいいけど、人にとってははしたない行為よね、人前で髪を結い直すなんて」

「気にしちゃいないが」

「別の意味で気にしたのね」

「んんっ」

斎藤は軽い咳払いで、それ以上責めるなと抗議した。
夢主は斎藤が現れて気が削がれたせいか、後頭部で髪を掴んでいた手を離してしまった。
腰に届く長い髪がはらりと垂れる。

「何だ、手伝って欲しいのか」

「馬鹿、いらないわよ。集中が切れちゃったわ」

「先日の傷の手当ての礼にしてやってもいいぞ」

「あれはお昼ごはんでチャラになったでしょ」

「そうだったか」

忘れたフリをして煙草を取り出す斎藤に、夢主の視線が突き刺さった。
女の髪結いは得意だぞと言い掛けた斎藤が、声にせず正解だったなと黙り込む。しかし、夢主は本音を見透かした。

「女の髪結いは得意とか言うんじゃないでしょうね」

そう言って頭を振り、髪を揺らす。
長くとも筆のように纏まった髪。綺麗に揃って揺れて、斎藤の目を惹き付ける。揺れに添い、濡れ髪のように黒々とした髪の表面を、艶が流れていった。

「言うかよ阿呆。そもそも俺も以前は結っていたんだ、それくらい出来るだろ」

「髪だけじゃなくて帯も得意とか思ってるんじゃないの」

「ん、んっ」

資料室に再び斎藤の咳払いが響いた。
夢主はくくっと笑っている。図星を突かれた、強面の警部補の愛らしい動揺が可笑しくてならなかった。

「貴方は髪を仕上げるのが楽そうよね」

「まぁな、面倒はご免だからな。油で撫で上げて終いだ」

斎藤は咳払いの名残を感じさせず、悠々と紫煙を燻らせた。
斎藤の髪は伽羅の油でひと撫で。落ちてくる前髪を直す気はもはや無い。顔周りで揺れる前髪には慣れていた。

「羨ましい」

夢主は再び髪を後ろで持ち上げた。

「面倒なら切ればいいだろう」

「便利なんだもの。貴方だって今、見てたでしょう」

「ククッ、そうだな。便利なもんだ」

男を扱ううえで髪は使える道具。斎藤は身を以て味わった。
滑らかに揺れて艶めく髪は、時に女の体そのもののように見える。己に見立てて見せつけることで、相手を誘惑することも可能だ。

夢主は男嫌いだが、男の特性をよく把握しているらしい。斎藤は思わず唸った。

ただ髪を結い上げるだけの所作が、妙に整って見え、目を奪う。細かな動きで紐を巻きつける指、浮いた肘を通って腕を辿れば華奢な肩に辿り着く。しなやかに反った背から剣帯を帯びた腰、床を踏みしめる足まで、筆で引いた線のように美しい。己が手でその線を辿ってみたくなる。

斎藤は結局、夢主が一纏めにした髪を制帽に押し込むまでの全てを見つめていた。
吹かし続けた煙草は限界を迎えている。

「もう終わりよ、いつまで見ている気」

「見せつけておいてよく言うぜ」

厭らしくフフッと笑んで、斎藤は煙草を新しいものと持ち変えた。綺麗な灰皿に一本目の吸い殻だ。

斎藤が煙草を咥えて夢主を見ると、自ずと睨み下ろす視線になる。
視線がぶつかるなり、夢主は顎をクイと上げて、斎藤を煽った。

「貴方のその目」

「んっ」

斎藤の口端からは白煙が漏れる。

「前に、貴方の過去に興味があるって言ったわよね」

「あぁ」

「もうひとつ興味が増えたのは、気付いてる?」

「……さぁて」

斎藤は深く大きく煙草を吹かした。

「貴方のその目、目が好き」

ほぅ、と唸る斎藤はまんざらでもない顔を見せた。
気になる女に褒められる。男ならば少なからず嬉しいものだ。目付きが悪いと言われ続けた男には、夢主の言葉は新鮮なもの。先日、瞳の色を覗き込んだのは、気まぐれな興味ではなかった。

夢主は珍しく、にこりと目尻を下げた。
瞬間的に惹き付けられる斎藤だが、続く言葉は、己が人に向ける言葉のように棘があった。にこりとした視線にも棘がある。

「でも、私を睨み下ろす視線は嫌」

「気を付けるさ」

「……ふふっ」

「何だ」

「してるじゃない」

「こいつは」

「くくっ」

「まぁいい、気を付ける。それでいいか」

「生まれつきだって言えばいいのに」

揚げ足取りに、余計な一言。
まるで己を見ているような気分になった斎藤は、生まれつきの視線ではなく、意図して夢主を睨みつけた。
睨まれた夢主は、怯むどころか楽しそうに首を傾げる。

「ふふっ、怒らないでよ。ムキになって。何だか今の貴方になら簡単に勝てそうな気がするわ」

「ほぉう、言うな。今から手合わせするか」

「いいわよ、って言いたいけど、これから出なきゃいけないの」

夢主は鯉口を切るフリをしたが、「しないわよ」と大袈裟に指をすかした。
剣帯を馴染む位置に直して、出立の素振りを見せる。

「任務か」

「そう、久しぶりのね」

夢主はもう一度刀に触れた。
嬉しそうに愛刀の鞘を撫でて、宥めているようだ。

「道理で機嫌がいいわけだ。単独任務か」

「そうよ、貴方は聞いていないでしょう」

私だけの任務。言葉に喜びが溢れている。
夢主は任務前に身支度を整えていたのだ。退屈な書類仕事が続いていたが、今日は違う。加えて、斎藤は机に向かい続ける中での単独任務。
夢主は「私の勝ちね」と言いたげに片目を眇めた。

「じゃぁね、机の前で頑張って」

「フン、ヘマするなよ」

斎藤は灰皿に二本目の煙草を押し付けようとしたが、反射的に手を止めた。
灰皿に、抜け落ちた夢主の髪の毛が一本かかっている。たった一本の髪の毛に目を止めて、この上で火を消すか否か、可笑しな迷いを持って見つめている。

「フッ」

くだらん、と斎藤は髪の毛を払い、煙草をにじり潰した。じりっと鈍い音が鳴り、斎藤の眉間が寄る。煙草は、消すにはまだ長すぎた。

夢主は斎藤の様子などお構いなしに扉を開けた。
新しい空気が取り込まれて、部屋の臭いを流す。斎藤は空気の流れに心地良さを感じたが、すぐさま次の煙草を咥えた。燐寸を擦ると同時に、閉扉の強い音が響く。

扉が閉じると爽やかな流れは失せ、清しい空気は煙草葉と巻紙が燃える臭いに覆い消された。斎藤が払った夢主の髪の毛も、何処かへ消えている。
斎藤は窓辺へ寄り、門を出て行く夢主を盗み見た。煙草の灰が床に落ちるまで、目的もなく窓の外を見つめていた。
 
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