斎藤一京都夢物語 妾奉公・弐

□110.藤田五郎
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「桂さんの一筆、通行証のような物だ。これを持つ者を見なかったことにして通せと、丁寧に大久保さんの署名まで添えられている。それを見せれば新政府軍の面倒な詮索から逃れられるだろう」

「緋村さんは・・・」

「俺は顔が利くし、何より一人だと人を避けて行動できるから。そもそも必要ないんだが、旅立つ時に渡されては受け取るだろう」

遠慮は要らないと伝える緋村に甘え、夢主は桂の通行証を受け取った。
緋村は別れると北へ、二人は南を目指した。

山を抜けて西の道を選べば会津・・・夢主は歩きながら何が見える訳でも無いが、つい右手の景色を眺めてしまった。

「いいの、夢主ちゃん・・・本当に東の道で・・・」

「はい。近付いたら、会いたくなっちゃいますから・・・それに今、会津に近寄るわけには行きません・・・」

大丈夫、斎藤さんを信じてるから・・・
歩きながら、体を包む乙女椿色に染まった着物に触れて斎藤を想った。
鋭く美しい瞳や、力強く抱きしめてくれた逞しい腕を思い出す。

離れていても思い出すたびに、夢主の中では斎藤が残した熱い印が蘇った。
気遣うように触れてくれた唇の感触、唇の間を突然分け入ってきて支配されるように強く絡み弄ばれた口の中、首筋にチリチリと付けられた痕、着物の上から体を這う骨ばってもしなやかな手のじれったさ・・・

ひとつひとつが夢主の体に熱を生み、心と体の中で決して離れない斎藤の存在を感じさせた。

「江戸に・・・帰ります。一さんは、必ず戻ってくれます」

夢主の気持ちを確かめ、二人は江戸へと急ぎ歩いた。

会津では、斎藤が再び時尾の件で容保のもとへ呼び出されていた。
理由が分からず解せない思いで一杯の斎藤は不機嫌な顔だ。歩く足が荒っぽく大股になる。

「何故貴方まで、佐川さん」

「良いではないか、共に会津の山で最後の足掻きをした仲であろう」

「フン、面白がっているだけでしょう。やれやれ・・・」

きっぱりと断わり、終わったと思った縁談はまだ何か続くのか。斎藤は深い溜息を吐いた。
しかも面白半分でついて来た佐川が横にいる。
山で危険の中を共に過ごした事もあってか、佐川はすっかり斎藤に気を許している。
斎藤は面倒に感じながらも、藩内では立場が高い佐川の同行を許した。

容保のもとへ辿り着くと、嬉しそうにも困っているようにも見える、そんな不思議な顔で出迎えられた。

「度々呼び出してすまぬな。山口よ、実はだな・・・縁談は破談になった。だがその時尾からお主に贈りたい物があるそうだ」

「贈りたい物・・・」

妙な気遣いは無用だ、いらぬ物は受け取りたくないとしかめっ面を見せる斎藤を容保は心の中で苦笑いした。

「そうだ。縁談を断る為、お主に武士の魂である髷を差し出させてしまった。詫びにそれなりの物を返さねば顔が立たないと引かんのだ」

「しかしあれは私の一方的な振る舞い、時尾殿に何の責めもございません」

「まぁだが、それで引かぬ女子なのだよ。京にいた頃もあったであろう、名乗らぬ怪しい侍を斬ったら実は馴染みの藩の侍で、命に別状は無かったにも関わらず騒ぎを起こした罪と腹を斬ってしまった。それが故に何の責任も無かったそなたの仲間が、藩の命令も同然で侍の顔を立てる為に切腹せざるを得なくなった・・・今にして思えばなんとも非情で理不尽な話じゃ・・・」

「それは・・・」

「理屈で生きる者もおるのだ」

京の出来事は確かに理不尽だった。だが時尾は戦いの最中、既に髪を切ったと聞いている。
では釣り合う為に何を差し出す気なのか、斎藤は時尾の行動が読めず、眉間の皺を深くした。

「高木時尾が藤田の名を差し出すと言っておる」

「名を・・・」

短い問いに容保は大きく一度頷いた。
周りは斎藤がどんな態度で返すのかと緊張している。髷を斬ったようにまた無謀な行動を起こしはしまいかと、いつでも身柄を押さえられるよう身構えていた。

「藤田とは」

「高木時尾のもう一つの姓と言うべきか、時尾の母の姓だ」

「成る程。分かりました」

どんな反応を見せるにしろ、断るだろうと決め込んでいた周りの家臣達はどよめいた。
意表をついた答えに、容保すら目を見開いていた。

「なっ何をおっしゃるか!山口殿!」

「お主正気か!!」

「もちろんです。謹んでお受け取り致します」

「断っても良いのだぞ、これは時尾の過ぎた悪戯、悪ふざけだ」

時尾の本心を見抜いている容保は斎藤に断れと勧めるが、ニヤリと顔を澄ますばかりで断る気配が感じられない。
同行した佐川はぽかんと口を空け、ただ斎藤の顔を眺めていた。
 
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