おつまみ

明】雪代縁・十年陽だまりの花
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「俺のおかげ……」

「そうです、縁のおかげです」

縁は「俺の」と繰り返した。夢主に見つめられ、不思議そうに見つめ返している。
自分のおかげだと感謝された記憶がない。そう感じて記憶を辿っていた。上海の十年は恨みしか買ってこなかった。日本に戻って騒ぎを起こしてからの十年は人と関わらずに生きてきた。考える縁が、あっ、と一つの記憶を掘り起こした時、夢主が首を傾げた。

あった。姉さんが言ってくれたじゃないか。忘れてしまうなんてどうかしている。
嬉しくなった縁は、夢主に柔らかな表情を見せた。

「そうか、良かったナ」

姉のことを思い出していた。悟った夢主も、にこりと微笑んだ。

「兄に似ていると、言ったことはありませんよね。縁は少しだけ、兄に似ているんです」

愛しい誰かに思いを重ねているのは貴方だけではないとでも言うように、夢主は打ち明けた。
最初は兄に似ていたから気になった。でも今は、そんなこと抜きで会えたことが嬉しい。
縁も少しはそう思っているのだろうか。そんな疑問を交えて微笑みかけた。

「あぁ。だが人から聞いた。お節介な男から」

「ふふっ、オイボレさんですね、私もお世話になりました。元気にしているでしょうか」

「前と変わらず元気だろ、しょっちゅう娘に会いに行っているようだ」

「娘……さん」

「あぁ」

さぁこの話はここで終わりだ。そんな雰囲気を醸し出して、縁は視線を遠くに移した。
通りを再び見て、呉黒星の手下たちが戻って来ないか確認した。

敵襲を警戒して縁が夢主を庇うように立ち、縁が動くたびに夢主の顔を縁の体が掠める。
夢主が幼かった頃、共に旅をした時の名残なのか、二人の距離は大人が並び立つには近過ぎた。
最初は気にしていなかった夢主だが、一度意識すると気になって仕方がない。

「今は……兄に似ているとは思っていません」

「んっ」

神経を尖らせて周囲に気を向けていた縁は、夢主の言葉を聞き返した。

「何でもありません」

夢主が俯くと、背が高い縁にその顔色は分からない。真っ赤な顔を隠す夢主に気付かず、縁は通りに意識を戻した。
ボスが倒れた時、自分ならばどう動くか。自分がボスだった時、考えられない事態だが自らが倒れた時に、部下に勝手を許すだろうか。

「今夜は動かないナ」

「えっ」

「行くぞ、宿を取る」

「でもっ、診療所のみんなが心配を、それに私、もう陸蒸気に乗るお金しか持ってないの」

「気にするナ。診療所の連中も一日くらい構わないだろう、出る時に言ってなかったのカ、折角の横浜を楽しんで来いと」

「言ってたけど」

「だったらいいだろう。鞄が要らないなら帰ればいいガ。ソイツは俺が返しておく」

夢主はうっと唸って鞄を抱きしめた。自分の物に良く似た阿片入りの鞄。本物の鞄を、小国診療所の金で購入した高価な新薬を持ち帰りたい。待ってくれている診療所のみんなや、患者さん達の為にも。

夢主は決意が籠った表情で頷いた。
見れば、縁の向こうの空が、朱色に染まり始めている。美しい色に気を引かれる夢主。やがて、どこか遠くを見るさまを不思議に思い、縁が間近で自分を見つめていると気付いた。
目が合った途端、夢主は再び顔を火照らせた。咄嗟に顔を伏せて、赤らんだ自分を隠す。ますます不思議に思った縁が顔を覗き込んできて、夢主はくるりと体を背けた。

「い、行きます、あの、案内を……お願いします、横浜の宿、分かりません……」

「あぁ。任せろ」

何事もなかったかのように歩き出す縁。夢主は大きな呼吸を繰り返してから歩き出した。鼓動が激しくなり、おさまらない。胸が騒ぐ理由は分かっている。
どうか気付かれませんように。夢主は祈りながら縁の後を追いかけた。
 
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