おつまみ

明】雪代縁、ちからの先
5ページ/5ページ


道中、娘はたまに言葉にならない声を漏らすだけで、縁も好んで会話をするわけでもなく、二人の旅は静かなものだった。

中山道を行く二人。
初めて見る景色なのか、娘は通りすぎる景色に度々新鮮な反応を見せた。
最初は不安を滲ませていたが、旅が進み、今では晴れやかな顔をしている。
落人群では見られなかったものを、縁は黙って見守っていた。

宿には止まらず野宿で過ごす二人。
縁は手に入れた羽織を娘に与えていた。雪が降り始める前には目的の地へ着くだろう。
夜、娘が寄り添って眠るのはオイボレではなく縁に変わった。落人群とは全く異なる環境でも、娘はすやすやと眠っていた。
道中縁を困らせることもなく、素直に後をついて来る。
たまに立ち止まりたい景色に出会った時、娘が袖を引いてくる感覚に縁も慣れた。娘が花を好きなことも知った。

──オカシナ気分だ。だが……悪くは、ないね、姉さん……姉さんはいつも俺の世話をしてくれていたね……
思えば俺は、誰かの世話なんて……

いや、あの孤島で僅かだが世話をした。
抜刀斎の女、腹立たしかったが、何故か捨て置くことも出来なかった。
悔しかったが、それで良かったんだよね、姉さん……
俺はたくさん間違えたけど……姉さんの望まない事をしてしまったけれど……あの馬鹿女の世話だけは、姉さんも褒めてくれるよね……

「ん……」

姉と語り合おうとして塞ぎ込む縁を心配して、娘がクン、と縁の袖を引いた。

「起きていたのカ」

袖を引っ張る小さな力。娘は手を緩めず、頷いた。
自分は強い。自覚はあるが、こんなにも弱々しい力を感じると、また違う意味で自分の力というものを感じてしまう。

「すまない、気にするナ」

自然と口に出た言葉は、縁自身を驚かせた。


縁が目指したのは東京だった。
小国診療所に娘を預けようと訪れたのだ。
縁は問題を抱える身。一緒に暮らしていくには苦労が多い。この娘は堂々と日の当たる道を歩むべきだ。
世話焼きな性格で負けん気も強い。医者やその手伝いに打ってつけの性格、手に職があれば食い逸れる事もないだろうと、縁は考えた。

家族を誰かに殺やれたらしいが、必要なのは復讐の為の力じゃない。
このガキに必要なのは、あの時の俺が欲しがっていたもの。周りで見守ってくれる誰か、導いて、叱ってくれる姉さんみたいな存在。真っ当に生きていける手段。俺みたいな道は歩いちゃ駄目なんだ、そうなんだよね、姉さん。
縁は度々姉に語りかけて、自分の考えを整えていた。

「高荷恵はいないのか」

孤島にやって来た医者。抜刀斎の連れ。情報ではこの診療所に勤めていた。自分の顔を知っており融通が利きそうだと当てにしたが、既にここにはいないらしい。
応対したのは診療所の主、医者の小国だ。娘と青年が事情を抱えているのは一目瞭然。しかしそんな若者は小国の周りに沢山いる。
凛として賢そうな娘の眼差し。小国は縁から話を聞き、快く娘を引き受けた。

「恵君がいなくなって助手を探しておったんじゃ。ちょうどいい、しっかり学んで恵君の、儂の後を引き継いでくれ」

縁が自分をここに預けて去ってしまうと気付いた娘は、泣きじゃくっていた。
しかし小国の提案にしっかりと頷き、お願いしますと無言で頭を下げた。

「しっかりした娘じゃ、安心しなさい、この町には知り合いも多い。君ぐらいの年頃の子もたくさんいる」

今は淋しいが、きっと楽しいと思える時が来る。
医者の優しい言葉に、娘は何度も頷いた。


さよならの時、縁は巴の簪を取り出した。

「昔、姉さんの髪結いを手伝ったことがあるんダ」

娘の乱れた髪を整えて、慣れない手つきで髪を結う。無骨な指が小さな頭の上で苦闘している。
久しぶりに髪を結ってもらう娘は、苦労する縁を感じて、こんなに大変な作業だっただろうかと思い、涙を止めていた。
何度もやり直してくれる縁に、温かなものを感じていた。

「出来たぞ、似合うナ」

縁は久しぶりの髪結いをやり遂げた。仕上げた髪をしげしげと眺め、得意気な顔をしている。
姉さんに似た綺麗な黒髪だ、似合わないはずがない、姉さんの簪なんだから。縁は自らの感懐にフッと息を吐いて目を伏せた。

大切な姉さんの形見を何故こんな娘に。以前の自分ならそう考えた。
今は何故か、こうすることが良いと感じている。明確な理由はない。ただ、こうすると姉さんが喜ぶ気がした。
簪が見たければここへ来れば良い。京に戻れば大切な日記が残っている。
それに墓参りだって出来る、なんせ姉さんが眠っている場所なんだから。ね、姉さん。

縁が微笑ってくれる姉に語り掛けていると、娘が縁の手を取った。

「あ、と……え、に……し」

求めていなかった礼の言葉に、縁は目を見開いた。必死に声を出そうとする娘の力みが、手を通して伝わってくる。
気付かぬうちに、縁は表情を崩していた。それを見て娘も嬉しそうに微笑んだ。

「きて……あいに……」

この簪が本当に似合うようになる頃、成長した自分を見に来て。一生懸命勉強して、一人前になるから。
言葉にならなくとも、縁に思いは伝わった。

「あぁ」

――また、いつかな

別れ際、縁は無意識に腰を屈めて娘の頭を撫でていた。落人群でオイボレがよくしていた仕草が移ったようだった。
縁に見つめられた娘は、どうしても伝えたいと、勇気を振り絞った。

「夢主……夢主」

「夢主……お前の名前カ」

夢主はこくんと頷いた。

「そうか。夢主」

娘の名前を呼んだ縁は、他の言葉を続けられずに、もう一度娘の頭を撫でた。
夢主。久しぶりに好きな名前が出来た。縁は、姉の簪を差した娘に見送られて、旅立った。
今度は自分の為に旅をしてみよう。姉が背中を押してくれているような気がした。
風がどこからか運んでくる季節外れの白梅香の香りが、縁の体を包んでいた。
 
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ