おつまみ

明】雪代縁・幼い熱
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「迷惑でも一方的でもナイだろ。十年前に借りは返して貰っている。言っただろう、お前のおかげで姉さんに会えたと」

続けて思いをぶつけようとしていた夢主から勢いが消えた。縁の言葉が引っ掛かる。

──姉さんに……

「でも……、守ってもらったし、あそこから連れ出してもらったし、今回も縁には関係ないのに危険な目に合ってまで鞄を取り返してくれるなんて、釣り合わないよ」

「じゃあ別のコトを考えればイイだろ」

「別のコト」

「俺が撃たれたら弾を取り出せ、医者だろ。撃たれないがナ」

「縁!」

「冗談サ、言っただろ、俺に弾は当たらない」

もぅ、と夢主は肩を怒らせた。もっとまともな提案はないんですかと口を尖らせる。

「他で、と言われても何もナイ」

何もかも不自由はない。自信たっぷりに言い切る縁に、夢主は落ち込んだ。それは良かったですねと言いながら、少しも役に立たない自分を恨めしく思い、深い溜息を漏らす。

「じゃあ、お前」

あまりに落ち込む姿を見て、縁が夢主の手を掴んで引き寄せた。
何が起きたか理解する前に体が傾く。夢主は布団に手をついて堪え、縁はその下で、ごろりと転がっていた。
何をするのか、縁を見下ろす夢主はこれ以上ないほど真っ赤な顔をしていた。縁にまで伝わってしまうのではと思うほど、激しい拍動を感じる。
だが縁は暗い部屋で夢主の異変に気付かず、平然と言った。

「寝かしつけてくれヨ」

夢主は目をぱちくりと瞬いた。自らの下で寝転がる縁に驚き、予期せぬ願いに思考が停止していた。

「それでお相子だ。今夜は連中も動かない。俺が起きている必要はナイ。何だか懐かしい気分なんだ、お前を見ていると」

姉さんがしてくれたみたいに、寝かしつけてくれ。縁の願いの意味に気付いた夢主の肩から力が抜けていった。
可愛い願いに頬が緩みそうだ。
きっと想像もつかない苦労を重ねてきた人。自分よりずっと年上で、力強い男の人。本当に一人で何でも解決してしまいそうな頼もしさがある。そんな人が、こんなに幼い表情を見せるなんて。夢主は目を細めて頷いた。

「布団か、久しぶりだな」

上海でも、戻ってからもベッドでばかり寝ていた。落人群から今日までは地面の上がほとんどだ。
縁は布団を一撫でした後、目を閉じた。久しぶりの感触、体を受け止める柔らかさが心地よい。
このまま眠れそうだと縁が意識を失いかけた時、不意に頭に違和感を覚えて目を開けた。

「どういうつもりだ」

「寝かしつけようと……入院している患者さんにはこうやって」

「いつもこんなコトをするのか」

張りのある白い髪を流すように、夢主が縁の頭をそっと撫でていた。
縁の強い口調に手が止まり、睨まれて手を離した。

「寝かしつける時は……小さい子供だよ、親兄弟が一緒に泊まれない事もあるから、その時は私がこうしてあげるの」

頭を撫でたり、背中や体をとんとんしたり、子供をあやすだけ。
縁は「そうか」と小さな声で言い、

「俺は子守唄がイイ」

ぼそっと呟いて寝返りを打った。
子守唄。診療所でも歌うことがある。話しかけているうちに寝てしまう子供が多いが、たまに歌ってとせがまれる。大きな背中が可愛く見えて、夢主は背中に向かって頷いた。

「わかりました」

縁は目を閉じて耳を澄ました。横になって子守唄を聞くと、本当にあの頃に戻った気がする。薄暗がりの中、縁の頬が緩んでいた。

眠りの妨げにならぬよう、小さな声で響く子守唄。夢主が歌い出してすぐに、縁がくたりと腕を落とした。

「縁……縁、」

余りに早い気絶のような寝入り。夢主は驚いて、眠っていれば聞こえない小さな声で呼びかけた。
背を向けていた縁がごろりと仰向けに転がる。目は閉じて、体の力は抜けていた。

「もう寝ちゃったの、縁」

反応がない。夢主はわぁと口を手で覆った。呼吸はある。とても落ち着いた呼吸だ。

「本当に寝ちゃったんだ……昔は私が眠るまで起きてたのに、」

「何だよ、起きてるゾ」

「わっ」

「何だその反応ハ。どっちなんだよ、先に寝て欲しいのか起きていて欲しいのか」

縁は眠そうな顔で夢主を睨みつけている。不機嫌に、けれども夢主の望みを聞いている。

「まだ誰かにくっついていないと眠れないのかヨ」

夢主は落人群ではオイボレに、旅の途中は常に縁に身を寄せて眠っていた。
眠る良い場所が見つからず、縁にお前はソコで眠れと示された時、珍しく言うことを聞かず、しがみ付いて拒んだ。縁には、寝ている間に一人ぼっちになる事態を恐れているように見えていた。

「ちっ違いますっ」

縁に甘えて眠っていた頃を思い出した夢主は、否定する声が上ずった。何も考えず、膝の上で眠った夜さえあった。今では考えられない。
違いますよと繰り返し呟く夢主を気にも留めず、縁は再び背を向けた。

「だったら先に眠らせてくれ。誰かと一緒に寝るなんて……久しぶりだ……人が……そばに……」

声が徐々に弱まっていき、言い切る前に縁は寝息を立て始めた。
夢主は今度は囁くように確かめた。

……えにし、

縁は本当に寝入っていた。人のそばで眠る。家族がいれば毎日得られる温かな眠り。家族でなくとも寄り添ってくれる誰かがいたならば。縁はこの十年を一人で生きてきたのか。この十年だけではない、落人群に入る前から一人だったのかもしれない。

夢主は縁の頭を撫でそうになり、手を止めた。
再会してから縁の話を何も聞いていない。明日、聞けるだろうか。夢主は静かに首を振った。

縁が落人群にいた理由を知らない。姉を失っていること以外、何も知らない。
夢主は宿に着く前に見た縁の獣のような呼吸を思い出した。十年前にも一度見た、我を失いかけた姿。
それにあの異常な神経。狂経脈、一人で気を張って生きてきた結果に違いない。想像を絶する人生、落ち着いた眠りを得られないほど、昂った精神状態で生き抜いた十数年。

すっかり寝付いた縁の寝顔はあどけなさすら感じる。ずっとこんな顔で眠れたらいいのに。許されるなら毎晩でも寝かしつけてあげたい。

「毎晩……」

言葉にして恥ずかしさを覚えた夢主は顔を手で覆った。あの頃してもらった事を返せたら、毎晩寄り添って眠れたら。縁の安らぎの為にと思ったが、そうして欲しいのは自分だと気が付き、頬を染めた。

縁は幼子のように背中を丸めて寝ている。今ばかりは背負ってきたものを下ろして、安らいでいるようだ。
夢主は縁を起こさぬよう、隣にそっと横たわった。布団を引き上げると、狭い空間に二人並んでいると良く分かる。

──おやすみなさい、縁……

夢主は早まる鼓動を感じながら、心でおやすみと呟いて目を閉じた。振り向いてみたいけれど、縁を起こしてしまう。振り向いても、今の自分には背中に甘えることも出来ない。もうあの頃とは違う。自分に言い聞かせ、背中越しに感じる縁の温かさを安らぎにして、夢主も眠りに落ちていった。
 
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