おつまみ
□明】雪代縁・食い込む指
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「どうしたンだよ、また赤いんじゃないのか。のぼせたのカ」
黙って首を振る夢主を訝しんで、縁が眉間に皺を寄せた。縁が食事をとる間に風呂を済ませた夢主。短い時間ではのぼせないか。
縁は納得すると、もう一度、夢主を呼んだ。
「こっち来てくれヨ、約束だ」
寝かしつけろ。縁は太々しく手枕をして寛いでいる。まるでこの部屋でずっと暮らしているような馴染んだ姿。
縁はなかなか動かない夢主をベッドから眺めている。姉の香りの中で見る夢主。
「その簪、ガキだったお前を慰める為に差したんじゃない」
「ぇ……」
縁は横浜での夢主の言葉を覚えていた。それは端から夢主に差すつもりで姉から貰ってきた物。簪を差す年頃になるまで元気で暮らせと願いを込めた。何故そうしたか自分でも不思議だが、姉に導かれたと思っている。
願いは届き、夢主は簪が似合う年頃に。生きる術を持ち、笑顔で過ごしている。いいナ、縁はふと思った。
「なァ、簪外してみてくれないカ」
「簪を……?」
「ダメか」
いいけど……と後ろ手に回して、夢主は簪を引き抜いた。
はらりと崩れる髪。全てが垂れて、夢主はこれでいいの、と首を傾げた。
縁は寝転がったまま夢主を見て、やっぱり綺麗だなと呟いた。
「お前は姉さんには似ていない」
「えっ」
「何でもナイ」
似ていないのに、一緒にいて感じる何かが姉さんに似ている。こんなに寛いだ気分になれるのは、姉さんと過ごす時だけだった。
縁は夢主の全身を隈なく眺めて言った。
「早く来いヨ」
「あっ、うん、ごめんなさい……」
夢主がベッド脇の椅子に腰掛けると、縁がおもむろに体を動かした。ベッドの端に寝転がって手を伸ばし、驚く夢主の髪に触れて、指先で掴んだかと思えば、梳くように指を入れて毛先まで撫でていく。指先で何度も愛でて撫でている。指の動きが髪を通じて伝わると、夢主は動けなくなってしまった。
「ぁ……縁……」
「好きなんだヨな、お前の髪」
「そっ、そうなんだ……」
私も縁の髪が好きだよ、髪だけじゃなくて、多分……全部……。正直、ただの憧れなのか、それ以上なのか、まだ自分でも分からない。でもきっと……。心の中で打ち明ける夢主、自分の髪に触れる縁と目が合い、真っ赤な顔で目を逸らした。
「またダ」
縁が体を起こして夢主の顔を覗いた。
赤い顔はほんのり熱を持っているが、火照っているだけ。夢主は平気だよと訴えるが、縁は大丈夫かと顔を近付けた。
「また赤い。本当に平気なのカ、お前こそ医者が必要なんじゃないか。あのジイさん呼んでくるカ」
夢主は必死に首を振った。縁が離れてくれたら治まるんだよ。真実を告げられるはずもなく、懸命に目を逸らしている。
「夢主、こっちを見ろ」
腕を掴まれて目を合わせてしまった夢主、縁の瞳に感情の色が見えた。縁自身にこの感情が何かは分からない。けれども心配そうに、夢主を見つめている。
縁の言葉に応じた夢主は泣き出しそうな顔をしていた。振り絞って出した声は、微かに震えていた。
「縁は……私がお姉さんに似てないって言ったけど、縁もだよ……縁も、私の兄には似てないの。昔は……そっくりだと思ってた。でも、違うの……」
「そうカ」
「そうだよ……」
どうして突然そんなことを言うんだと疑問を抱くが、縁は素直に聞き入れた。
どこか淋しそうな目をした縁が、恥ずかしさで頬を染める夢主を見つめている。
「どうしてそんな顔をするンだ」
夢主の瞳が溜まった涙で揺れ始めた。
「分からないんだヨ、どうすればいいか」
縁はらしくもなく、困っていた。どうすればいい。こんな事に苦慮するなど初めてだ。縁はかつて自分が涙した時の記憶を掘り起こした。
「これしか思いつかない。何かは知らないガ落ち着け」
縁は夢主をそっと抱きしめて背中をトントンし始めた。
「トントンはいらないと言ったが、お前にするハメになるとはナ」
「っごめ……ごめんなさい……」
「どうでもいいから謝るナ」
堪えていた夢主の涙が落ちて、縁の服を濡らした。
落涙を感じた縁は驚いて手を止めた。
「とりあえず泣きやめ。お前が泣くのは、何か嫌ダ」
他人の感情なんてどうでもいい。興味を持たずに生きてきたが、夢主に泣かれると何かがモヤモヤする。
縁は夢主の背中をさすり始め、夢主は小さく頷いて、自分を抱きしめてくれる縁にしがみ付いた。
やっぱり縁は頼もしい。夢主は縁の存在を体で感じていた。鍛えられた胸板から感じるのは自分より高い体温。回された腕の太さは全てを抱えてくれるようで、もっと抱きしめてと願ってしまう。
穏やかな気持ちに包まれるのに、同時に胸の奥が握り締められるような苦しさがある。どうして、やっぱり……。自分に問いかける夢主が縁の胸に顔を擦りつけて涙を拭くと、縁は子供染みた仕草に頬を緩めた。
「姉さんは俺が泣くとこうしてくれた」
落ち着きなさいと背中をトントンして、落ち着きを取り戻すと暫く背中をさすってくれた。その後、貴方は雪代家の長男なのよと小言を受けた事すら懐かしい。縁は姉の優しさを思い出して真似ていた。
「優しいんだね、お姉さん……」
涙声で夢主が言うと、縁は目尻を僅かに下げた。
「あぁ。姉さんは優しい。お前も優しいだろ」
体を寄せて聞く声は互いにくぐもって聞こえる。体を通して聞く声は柔らかくてどこか温かい響き。夢主が目を細めると、また涙が頬を伝い落ちた。
「……縁も優しいよ」
「無理しなくていいゾ、自分の事ぐらい分かる」
「ううん、縁は優しいよ……」
夢主が縁の胸に顔をうずめて呟くと、縁はもう言い返さなかった。
自らに縋る細い指が肌に食い込み、刺激を与える。痛くはない、夢主の力など高が知れている。もっと強くしがみ付いてみろよ。縁は夢主を抱く腕に力を込めた。
──本当の貴方は、強くて優しい子だから……
縁の中で、姉の笑顔を取り戻した夜の声が蘇る。本当に俺にも優しさなんてものがあるのか。自分が犯した罪と、姉や夢主が言う自らの優しさが、縁の中でせめぎ合っていた。
二人を包む白梅香の香りが少しずつ濃くなっていく。
夢主は気持ちが静まるまで縁にしがみ付き、縁はひたすら夢主を抱きしめていた。