おつまみ

明】雪代縁・食い込む指
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「どうしたンだよ、また赤いんじゃないのか。のぼせたのカ」

黙って首を振る夢主を訝しんで、縁が眉間に皺を寄せた。縁が食事をとる間に風呂を済ませた夢主。短い時間ではのぼせないか。
縁は納得すると、もう一度、夢主を呼んだ。

「こっち来てくれヨ、約束だ」

寝かしつけろ。縁は太々しく手枕をして寛いでいる。まるでこの部屋でずっと暮らしているような馴染んだ姿。
縁はなかなか動かない夢主をベッドから眺めている。姉の香りの中で見る夢主。

「その簪、ガキだったお前を慰める為に差したんじゃない」

「ぇ……」

縁は横浜での夢主の言葉を覚えていた。それは端から夢主に差すつもりで姉から貰ってきた物。簪を差す年頃になるまで元気で暮らせと願いを込めた。何故そうしたか自分でも不思議だが、姉に導かれたと思っている。
願いは届き、夢主は簪が似合う年頃に。生きる術を持ち、笑顔で過ごしている。いいナ、縁はふと思った。

「なァ、簪外してみてくれないカ」

「簪を……?」

「ダメか」

いいけど……と後ろ手に回して、夢主は簪を引き抜いた。
はらりと崩れる髪。全てが垂れて、夢主はこれでいいの、と首を傾げた。
縁は寝転がったまま夢主を見て、やっぱり綺麗だなと呟いた。

「お前は姉さんには似ていない」

「えっ」

「何でもナイ」

似ていないのに、一緒にいて感じる何かが姉さんに似ている。こんなに寛いだ気分になれるのは、姉さんと過ごす時だけだった。
縁は夢主の全身を隈なく眺めて言った。

「早く来いヨ」

「あっ、うん、ごめんなさい……」

夢主がベッド脇の椅子に腰掛けると、縁がおもむろに体を動かした。ベッドの端に寝転がって手を伸ばし、驚く夢主の髪に触れて、指先で掴んだかと思えば、梳くように指を入れて毛先まで撫でていく。指先で何度も愛でて撫でている。指の動きが髪を通じて伝わると、夢主は動けなくなってしまった。

「ぁ……縁……」

「好きなんだヨな、お前の髪」

「そっ、そうなんだ……」

私も縁の髪が好きだよ、髪だけじゃなくて、多分……全部……。正直、ただの憧れなのか、それ以上なのか、まだ自分でも分からない。でもきっと……。心の中で打ち明ける夢主、自分の髪に触れる縁と目が合い、真っ赤な顔で目を逸らした。

「またダ」

縁が体を起こして夢主の顔を覗いた。
赤い顔はほんのり熱を持っているが、火照っているだけ。夢主は平気だよと訴えるが、縁は大丈夫かと顔を近付けた。

「また赤い。本当に平気なのカ、お前こそ医者が必要なんじゃないか。あのジイさん呼んでくるカ」

夢主は必死に首を振った。縁が離れてくれたら治まるんだよ。真実を告げられるはずもなく、懸命に目を逸らしている。

「夢主、こっちを見ろ」

腕を掴まれて目を合わせてしまった夢主、縁の瞳に感情の色が見えた。縁自身にこの感情が何かは分からない。けれども心配そうに、夢主を見つめている。
縁の言葉に応じた夢主は泣き出しそうな顔をしていた。振り絞って出した声は、微かに震えていた。

「縁は……私がお姉さんに似てないって言ったけど、縁もだよ……縁も、私の兄には似てないの。昔は……そっくりだと思ってた。でも、違うの……」

「そうカ」

「そうだよ……」

どうして突然そんなことを言うんだと疑問を抱くが、縁は素直に聞き入れた。
どこか淋しそうな目をした縁が、恥ずかしさで頬を染める夢主を見つめている。

「どうしてそんな顔をするンだ」

夢主の瞳が溜まった涙で揺れ始めた。

「分からないんだヨ、どうすればいいか」

縁はらしくもなく、困っていた。どうすればいい。こんな事に苦慮するなど初めてだ。縁はかつて自分が涙した時の記憶を掘り起こした。

「これしか思いつかない。何かは知らないガ落ち着け」

縁は夢主をそっと抱きしめて背中をトントンし始めた。

「トントンはいらないと言ったが、お前にするハメになるとはナ」

「っごめ……ごめんなさい……」

「どうでもいいから謝るナ」

堪えていた夢主の涙が落ちて、縁の服を濡らした。
落涙を感じた縁は驚いて手を止めた。

「とりあえず泣きやめ。お前が泣くのは、何か嫌ダ」

他人の感情なんてどうでもいい。興味を持たずに生きてきたが、夢主に泣かれると何かがモヤモヤする。
縁は夢主の背中をさすり始め、夢主は小さく頷いて、自分を抱きしめてくれる縁にしがみ付いた。

やっぱり縁は頼もしい。夢主は縁の存在を体で感じていた。鍛えられた胸板から感じるのは自分より高い体温。回された腕の太さは全てを抱えてくれるようで、もっと抱きしめてと願ってしまう。
穏やかな気持ちに包まれるのに、同時に胸の奥が握り締められるような苦しさがある。どうして、やっぱり……。自分に問いかける夢主が縁の胸に顔を擦りつけて涙を拭くと、縁は子供染みた仕草に頬を緩めた。

「姉さんは俺が泣くとこうしてくれた」

落ち着きなさいと背中をトントンして、落ち着きを取り戻すと暫く背中をさすってくれた。その後、貴方は雪代家の長男なのよと小言を受けた事すら懐かしい。縁は姉の優しさを思い出して真似ていた。

「優しいんだね、お姉さん……」

涙声で夢主が言うと、縁は目尻を僅かに下げた。

「あぁ。姉さんは優しい。お前も優しいだろ」

体を寄せて聞く声は互いにくぐもって聞こえる。体を通して聞く声は柔らかくてどこか温かい響き。夢主が目を細めると、また涙が頬を伝い落ちた。

「……縁も優しいよ」

「無理しなくていいゾ、自分の事ぐらい分かる」

「ううん、縁は優しいよ……」

夢主が縁の胸に顔をうずめて呟くと、縁はもう言い返さなかった。
自らに縋る細い指が肌に食い込み、刺激を与える。痛くはない、夢主の力など高が知れている。もっと強くしがみ付いてみろよ。縁は夢主を抱く腕に力を込めた。

──本当の貴方は、強くて優しい子だから……

縁の中で、姉の笑顔を取り戻した夜の声が蘇る。本当に俺にも優しさなんてものがあるのか。自分が犯した罪と、姉や夢主が言う自らの優しさが、縁の中でせめぎ合っていた。

二人を包む白梅香の香りが少しずつ濃くなっていく。
夢主は気持ちが静まるまで縁にしがみ付き、縁はひたすら夢主を抱きしめていた。
 
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