おつまみ

明】雪代縁・微笑みへの旅立ち
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「これを持って行ってください」

「どうして外す、髪を結うのに必要だろ」

「これなら要らないから」

簪を縁に渡すと、夢主は鋏を取り出した。躊躇いなく髪を切り始める。縁は焦って止めようとするが、夢主は鋏を離さない。下手に手を出して怪我をされては困ると、縁は短くなっていく髪を見守ることしか出来なかった。

「馬鹿!何をしている!」

「髪なんていくらでも伸びるもの、髪が伸びる頃には帰って来て欲しいから」

「髪が伸びるより俺が早く帰ったらどうするんだヨ!簪が無くても俺はっ」

「持って行って欲しいの」

厚かましいと思うけれど、縁から伝えて欲しい。簪を見せて、十年前に簪を差した娘は無事に成長したと姉に伝えて欲しい。そして縁自身の想いを伝えたら、縁の姉は微笑ってくれるはず。縁が見た幸せそうな笑顔できっと、もう一度。縁も喜ぶだろう。

夢主は鋏を置いて、肩に残った髪を払った。

「戻ったら、毎日髪を結ってよ、結えるかどうか試してよ、縁が結ってくれるの、好きだから……」

縁はぽかんと口を開けて落ちた髪を見つめた。何故こんなことをする。約束ならいくらでもするし破りはしない。大切な物を失った気がして顔を上げると、あぁ、そうではないと込み上げるものがあった。ごめんねと微笑む夢主の眼差しに、縁の胸の奥が熱くなる。

「だったら!髪が結えるようになったら俺の話も一つ聞け、交換条件ダ!」

「うん」

「いいのかヨ、話を聞く前から!」

「うん。だって縁だもん、縁の頼みなら私……」

馬鹿、と言いそびれた縁、夢主よりも顔を赤くした。少し困らせたくて言っただけなのに、予想外の反応に困ったのは縁だった。

「いつまでも待ってるからね、私、縁のコト大好きだから」

「っお前!お前ナ!!っく、お前本当にガキだナ!」

俺の気持ちを置いて一人で進むなと真っ赤な顔で怒る縁、怒鳴り過ぎて狂経脈が浮き上がりそうだ。らしくない事で取り乱す縁の姿が可愛く見えた夢主は、ふふふと微笑んだ。

「だって気付いたの、大好きだもん」

怒鳴るのも馬鹿々々しくなった縁は、赤い顔で夢主を睨みつけたが、やがて大きな溜め息を吐いて肩を落とした。
そうだ、お前は素直なところがいいんだ。俺の負けだなとでも言うように、縁は肩を竦めた。

「縁が良ければ……いつか、私も一緒にお姉さんに会いに行きたいな」

「あぁ。次は連れて行ってやる。姉さんの墓参りと、」

縁はオイボレを思い出して再度大きな息を吐いた。

「クソ親父にも会わせてやる。生きていたらな」

「えっ、縁のお父さん?!」

「あぁ。残念ながら生きているだろうナ」

考えもしなかった縁の父の存命。おまけに縁と父の関係は芳しくないのか。夢主は複雑な思いで首を傾げた。
しかし縁の溜め息の理由は別にある。

「お前も知った顔だ」

「もしかして……」

「これ以上は帰ってからだ。全部言わせる気カ」

「ごめんなさい、待っています」

「フン」

しおらしく謝る夢主に対して、不貞腐れているのか恥じらっているのか、縁は唇を僅かに尖らせている。
はにかんだ顔で夢主を暫く見下ろしていたが、短くなった髪に触れて、ぼそぼそと言った。

「髪が短くても、お前はお前だからナ」

ぽっと夢主の頬が熱くなり、見ていられないと縁が目を逸らした。

「くそっ、ケジめつけてスグ戻るかな!待ってろよ!」

「はい」

姉と父へ挨拶を済ませ戻ってくると言う縁。何のけじめだろうと聞きたくなってしまう。夢主は嬉しさ滲む顔で縁を見つめていた。

奇異や憎悪の目に囲まれて生きてきた縁に、夢主が向けるのは無垢で優しい瞳。
幸せそうに微笑んでいるのに、泣き出してしまいそうに揺れている。
どうしてそんな放っておけない顔をする。

夢主を見つめ返した縁は堪らず、唇を重ねていた。
そっと柔らかく触れた唇。驚いて目を丸くする夢主には、目を閉じた縁の顔が見えていた。

「クソっ、待ってろと言ったのに」

我に返った縁が顔を離すと、夢主は耳まで赤く染まっていた。
けじめをつけてからと自らに課した約束を破るなんて不甲斐ない。後悔する縁だが、見ると夢主は戸惑いながらも、幸せそうに頬を緩ませて目を伏せている。

「あぁっくそっ!」

縁は夢主を抱きしめた。恥ずかしさを誤魔化して叫んだ縁も、落ち着きを取り戻していく。
勢いでしてしまったが、それだけじゃない。自分の意思でお前を求めたと伝えたかった。

「お前の笑顔、俺が人生掛けて守ってやるから、お前は人助けを続けろ。みんなの笑顔とやらを守れ、いいナ」

まだ言うつもりではなかった本音を縁が口にすると、夢主は滲んだ涙を拭うように頷いた。

「あぁもう、泣くナ」

もう一度頷いて、夢主はそのまま俯いてしまった。縁は夢主の顎に指を掛けて、顔を上げさせた。目を合わせると思った通り、夢主の目尻から涙が零れ落ちている。

「泣くなヨ、微笑っていて欲しいんだ」

黙って頷く夢主だが涙が止まらない。
大きな縁の親指が夢主の涙を拭った。温かい感触に、夢主の目尻が下がる。

「嬉し……涙だよ……」

「馬鹿ガ」

照れ隠しの一言を吐いて、縁はもう一度唇を重ねた。今度は二人、目を閉じて互いの柔らかさに頬を染めている。
一度二度とぎこちなく優しく求め合って、二人は顔を離した。
縁は短くなった夢主の髪を掬い、すぐに指から零れてしまう感触に目を細めた。物足りない。だけど愛おしい。足りないのは髪の長さなどではない。もっと触れたい、求めたい、分かっている、湧き起ったのは一時の衝動では無かったと。

「お前の髪が伸びる前には戻るし、全てを話す。それでお前が俺をどう思うか、受け入れる覚悟ダ。本当はそれまではと思っていたんだゾ」

堪えきれずにお前の唇を奪ってしまった。申し訳ない。羞恥の色を浮かべた縁に夢主は穏やかな顔で首を振った。
どんな過去でも一緒に背負っていく覚悟は出来ていますと、微笑っている。
縁は改めて夢主を抱き寄せた。もう迷わない。必ず戻って全てを打ち明ける。だから俺が戻るまでこの感覚を忘れるなとでも言うように、強く抱きしめていた。


少しだけ待ってくれと旅立ちを告げた縁。
夢主は縁を信じて簪を預けた。

次に縁がこの部屋に入るのは、二人の新しい生活が始まる時。二人ならどんな苦難も乗り越えられる気がする。擽ったい希望に満ちた日々を夢見て夢主は縁を送り出し、縁は全てにけじめをつける決意で歩き出した。

朝陽に溶けてしまいそうな縁の後ろ姿も、夢主には清々しく輝いて見える。
眩しい光の中、二人は互いの感触が残る唇に触れていた。
 
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