斎藤一京都夢物語 妾奉公・弐

□109.さよなら
1ページ/8ページ


会津の山には鬼がいる──

官軍の間でそんな噂が広まっていた。

行軍からはぐれた者、一息吐いて休む者、夜になり浅い眠りをとる者。
襲われるのは決まって官軍の兵士だった。

無残に殺された会津兵の怨霊か、土地を荒らす余所者に怒った鬼の仕業か。
殺された者の殆どが正面から胸を一突き、もしくは首の骨をへし折られていた。声も出さずに殺されたのだ。
死体を見つけた者は、辺り一帯に味方の兵が転がる異様な光景に腰を抜かしたそうだ。

「あれは鬼でも・・・物の怪でもない、お、狼だ・・・」

唯一襲われた闇の中から帰還した男が、味方に囲まれた陣の中で同じうわ言を繰り返していた。

「狼だ・・・狼・・・鬼よりも恐ろしい狼だ・・・」

暗闇の中を次々と倒れて行く仲間の影、その中でギラリと光る金色の細長い目が確かに揺らめいていた。
男の脳裏からは、その燃えるようにギラついた光が消えなかった。

初めは恐怖から来る妄言だろうと誰も信じなかったが、二日、三日、そして十日と毎夜惨劇が繰り返され、ついにある男が動き出した。
真実を確認し事態を収拾しなければならない。
男が山に入ると、これまでの検分では見つからなかった事実が明らかになった。死体に残された傷が全て同じものだと分かったのだ。

山中で見つかった数多の死体を一体ずつ調べる。衣服を剥ぎ、目にした傷痕に男は青ざめた。

「この傷は・・・」

「こちらにも死体があります!川路殿!」

「今、参る」

仲間の死体を検分する男、薩摩藩士の川路は額に浮き出た脂汗を拭った。

「狼・・・確かに狼だ、この傷は壬生狼の得意技・・・片手平突き」

男のうわ言が嘘ではないと証明された瞬間だ。
傷は新選組隊士が揃い得意にしていた技によるもの。
如来堂で全滅したと思われた新選組の連中が生きているのか・・・なんと恐ろしい連中だ・・・敵に回してならない男達だったのだろう。川路は生唾を飲み込んだ。

「恐らく我々では太刀打ちできまい。会津に使者を送れ。会津の狼を鎮めてくれと・・・悪いようにはしない、力を貸してほしいとな。丁重にだぞ。・・・全く、何て奴らだ・・・」

薩摩藩士の川路だが、この男は既に戦が終わった後の事態を思索していた。

戦で功績を挙げている者は圧倒的に薩摩と長州に片寄っている。官軍を支える軍資金もまた薩長からの出資に集中している。
下手をすれば、せっかく覆した権力集中の徳川幕府が薩長政治にすり替わるだけだ。
それではこの日本という国は旧態依然、やがて隙をつかれ諸国の植民地にされてしまう。
避けなければならないのは、異国による支配。

川路は薩長が奢ってしまった時に対抗できる力を備えておかねばならないと考えていた。
薩長に媚びず、堂々と官の悪を即座に斬れる者。
壬生狼の生き残りがいるとすれば、なんとしても生き抜いてもらい、その力を次の時代に役立て欲しいと望んだ。

「この平突きの持ち主なら、尚更だ。必ず生きて会ってもらうぞ、死ぬ事は許さん」

川路は闇に潜む狼の正体をようやく掴んだ。


夜空では下弦の月を過ぎ、日に日に細く暗く、新月を目指していた。

会津は既に降伏し、鶴ヶ城を開城している。
降伏を知った斎藤だが、この夜も一人、暗闇の中で動き始めた。
夢主が美しいと褒めてくれた月明かりで黄金色に光る瞳も、今は官軍兵士に恐怖を植え付けるものでしかない。

「光った!何かいるぞ!」

「そっちだ、行ったぞ!」

狼の正体が官軍兵士に周知されておらず、頭数を揃えて山に入った男達は、狼を見つけると数で一気に片を付けんと近付いた。
しかし光っては消え、またふと現れる黄金色の光に男達は完全に翻弄されていた。

「これは本当に物の怪では無いのか・・・」

捉えきれない不思議な動きに、男達は恐怖を覚えた。刀や槍、銃を持つ者さえ手に汗を掻いている。
刃先や銃口を右へ左へ大きく揺らして目標を捉えようとするが、怪しい光は一箇所に留まらず、見えては失せるを繰り返した。
 
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ