斎藤一京都夢物語 妾奉公・弐
□110.藤田五郎
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同席する家老の一人が見兼ねて口を開くが、斎藤は表情を変えずに耳を傾けた。
「左様、悪ふざけでしょう。ここ会津には、いや鶴ヶ城には手に負えないお転婆三人娘がおりましてな・・・みな揃い器量良しで教養もあり賢い・・・はずなのだが如何せん気が強く、我々が考え付かないような行動に出る。八重などは鉄砲を持ち出す始末、もう一人はお転婆が過ぎてその鉄砲を持って戦に出てしまいましてな、銃弾に倒れました。時尾は友を失い、半ばやけになっているのでしょう。優れた女子なのだが全く手も掛かる者達で」
「フッ、それはまたご家老がたも大変ですね」
「全くだ!だから時尾殿の悪ふざけに付き合う必要は無いのだぞ!!」
家老の男は斎藤に聞かせるには大きすぎる声を張り上げた。
しかし斎藤はひるまず冷静な態度で頭を下げた。ヤケになっているのかと周りが勘違いするほどだ。
斎藤自身は至って平静を保っており、時尾の悪戯を可愛いものだと言い返した。
「悪ふざけでも結構、乗って差しあげましょう」
「山口殿!」
「いえ、どのみち再び名を改めねばなりません。考える手間も省けましょう。五度目の名ですから・・・そうですね、五郎。藤田五郎と名乗りましょう」
顔を上げ、斎藤が作り笑顔を披露した瞬間、向かい合う斎藤と容保のそばで突然襖が開き、時尾が飛び出して来た。
「貴方は何をお考えなのですか!」
「これ!時尾!!無礼ですぞ!!」
「いいえ、言わせてくださいませ!!江戸で待つという人の気持ちを考えていないのですか、余所の女の名など持ち帰って、嬉しいはずがありませんでしょう!」
お前の持ち込んだ悪ふざけだろう、斎藤は言葉を飲み込んで、怒りでわなわなとする時尾を見上げた。
「フッ・・・それが幸か不幸かあいつは物分りのいい女なんでな」
「なっ」
「あいつは・・・随分前に、会津にはいい女がいると教えてくれた。もしかしたら俺が添い遂げる程の存在だと。俺が会津に行くと知っていたのさ」
「何を仰っているのです・・・」
理解出来ない言葉に驚きながら、時尾は斎藤の真意を探っている。
「もしかしたら、それがあんただったのかもしれない。だが俺は・・・あいつのもとに帰りたい。俺が惚れて命懸けで守りたい女が今、俺を待っている。時尾、お前は強く賢い女だ、必ず幸せになれる」
「山口様・・・」
「今は既に山口ではない。謹慎名簿にあるのは、いちのへなんとやらと、奇妙な名を付けられたばかりだが」
「それに関しては誠に申し訳ない、だが咄嗟のこと、許してくれ」
時尾の呟きに新しい名で返す斎藤を見て、己への厭味かと、黙り込んでいた佐川が間に入り、素直に謝った。
「フッ、仰せのままに」
許しますよと冷たく目を細める斎藤に、佐川は頭を掻いて誤魔化した。
「あの髷は俺の身代わりだと思って煮るなり焼くなり好きにしてくれ、それで気が済むならな」
「いえ・・・そのような事は致しません。大切に・・・致します」
大切に墓まで持って参ります・・・そう伝えたかった時尾だが、重荷を与えるだけと口を閉ざした。
目の前の男の優しさと可笑しさ、人としての素晴らしさを知ってしまった事を後悔していた。
・・・一緒になれぬのなら、せめてお幸せに・・・山口様・・・
「お心遣い、ありがとうございます」
「構わんさ」
時尾はその場の全ての者に頭を下げ、場を乱した詫びをして去って行った。
「話は分かった山口、いや、藤田五郎・・・良いのだな」
「はい、藤田の名、有難く頂戴いたします」
こうして、斎藤は藤田五郎の名を得た。
その後、容保は江戸から名を改めた東京に身柄を移され蟄居を強いられた。
それから季節が変わり、照姫も東京へ移る時。
会津を経つと知った人々は、割り当てられた宿所の前で見送り許され、喜んで屋外に出て道を埋めた。
やがて見えてきた一行、照姫は用意された立派な籠に姿を隠しているが、数十名にも及ぶお付きの者達は自らの足で行列を作っている。
斎藤も自らの宿所の前でその行列を眺めた。
昔ながらに地面に頭を付け見送る人々の後ろで、斎藤は時尾の姿を探す為、顔を上げて視線を送った。
・・・いる・・・
刹那、二人の目は合っただろう。
しかし時尾はただ黙って頭を下げて通り過ぎ、斎藤はそれを見送った。
厳しい会津の雪の季節は既に過ぎていた。
温かい風が吹き、斎藤と時尾がそれぞれの道を選んだ季節が終わろうとしていた。
「斗南にも桜は咲くか・・・」
春を思わせる風に桜を思い出し、壬生の桜を夢主と愛でた日を思い出した。
胸の隠しには今も割れた桜の猪目が忍んでいる。行列が消えた後、斎藤は胸に手を添えて温かな風を肌で楽しんだ。