沖田総司に似た密偵の部下

□2.藤田警部補の指定場所 -oki-
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「あーーっ、ここも違う! 蕎麦屋って! どこの蕎麦屋なの!」

私は沖舂次、警視庁特務担当、いわゆる密偵になりたての新米警官だ。

舂次は「つくし」と読む。たまに「そうじ」と読み間違えられるが、舂は穀物を"つく"言葉。
「春」に似てるし、食と生命に繋がる縁起のいい字で気に入っている。

私の上司は強面で有名な藤田五郎警部補。
実は新撰組の生き残りらしく、めっぽう強い。それでいて案外部下の面倒見はいい。
恵まれた環境で働ける、そう思っていたのだが、藤田警部補との待ち合わせだけはいつも難儀していた。

「……あぁあっ、もぅ! ここにもいない!」

『新しい情報が入った。待ち合わせ場所は蕎麦屋』
そこまで知らせてくれるなら、どうして蕎麦屋の情報も伝えてくれないのか。
伝言を受けて先輩の張さんに助言を求めたが、

「探すしかないで、あのオッサンほんまに!」

と苛立たせてしまうだけだった。

泣きたいのを我慢して東京を駆け巡ること一時間、ようやく一軒の蕎麦屋台で藤田警部補を見つけた。
川沿いにある店に他の客はいない。

「見つけました、藤田警部補!」

「遅い」

「遅いって……もしかして一時間もこの屋台にいたんですか?」

「そんな時間の無駄はせん、阿呆。辺りを廻っていたさ」

「どうしてどこの蕎麦屋か教えてくれないんですか、って言うか警視庁で良くありませんか?」

「昼飯ついでで丁度いいだろう。お前も食うか、走って腹が減っただろう」

腹が立つのに変な所で優しい上司。
いりませんと怒鳴りたいが、腹が正直に空腹の音を鳴らした。

「じゃぁ……お言葉に甘えて」

「遠慮するな。ご主人、こいつにも一杯」

藤田警部補は慣れた口調で蕎麦を頼んでくれた。
そもそも仕事上の待ち合わせなのに、呑気に蕎麦なんて食べていて、いいのだろうか。
でもお腹が空いたから、聞くのは食べてからにしよう。

「走り回らせて悪かったな」

「えっ」

「例の件だが追加情報だ。蕎麦を食い終えたら、この覚書にある場所を探れ」

そう言って藤田警部補は私の胸の隠しに小さな紙を押し込んだ。

──あの……仮にも女性の胸なんですよ……

任務中は晒を巻いて潰すから、女性らしい胸の膨らみは見てとれない。だから気にも留めていないのかな。
けれども紙が胸部の制服に触れた瞬間、私は自分の顔が熱くなったのが分かった。
緊張したのを知られたくなくて、私は単調な声で

「分かりました」

と返した。
ちらと見れば、私と同じ制服姿の警部補が座っている。
何でもない、職務上の服装。
なのに、胸の隠しに覚書を押し込まれて妙な感覚を抱いてしまった。

お揃いの制服……うぅん、私の馬鹿、同じ制服の男性は沢山いるのに。

「へい、お待ち」

店の主人の明るい声と共に、目の前に蕎麦が置かれた。
ごちゃごちゃした私の考えを遮ってくれる。

「いい香り……美味しそうですね!」

ふふっと笑うと、隣で藤田警部補も「フッ」と小さく笑った。
珍しい。でも警部補はたまにこうして私を笑う。

私は藤田警部補が新撰組にいた頃、共に闘った男の人に似ているらしい。
多分、それが私を見て笑う理由。

新撰組一番隊組長、沖田総司。
動乱の京で不逞浪士たちを震え上がらせた剣客の一人、なんでも警部補の背中を預かる存在だったとか。双璧と呼ばれた最強の二人。
そんな凄い人なのに、病で戊辰戦争には参加せず、ひっそりと息を引き取った。
なんだか淋しい人。

警視庁にも幕末の京を知る人が幾人かいる。
私が本当に沖田総司に似ているのか聞いてみたら、みんな揃って頷いた。
中には私が女というだけで「あの沖田総司を抱けるのか、こいつぁいい」と卑猥な言葉を浴びせる者もいた。
新撰組を目の敵にしていた者には、私が好奇の対象だと知った。

どうやら似ているのは本当みたい。
でも、思うの。
そんな私が傍にいて、藤田警部補は辛くないのかな。悲しいことを沢山思い出させる顔なんじゃないのかなって。

「どうした、食わんのか」

「いえ……いただきます」

沈んだ声になってしまい、藤田警部補がさりげなく私の顔を覗いた。
やっぱりこの人は優しい人だ。
心配させたら悪いから、思い切り笑顔で突っかかってみた。

「あの、せめてここのお蕎麦屋さんって決めませんか、合流場所! いつもありえないくらい走り回るんですけど!」

「駄目だ」

「だって誰かに狙われているわけでもありませんし、万一狙われたって藤田警部補なら平気ですよ、私だって」

「阿呆、俺を探してお前や張が走り回れば、町の状況を把握できるだろう。運が良ければ不審人物を見つけられる。おまけに体力まで付くんだ、一石二鳥どころじゃない」

「でもぉ!」

今の私には少しも思い付かなかった。
藤田警部補が、むかし京の町を走り回ることで情報を得て体も鍛えられた、それと同じ体験を私にさせようと考えているなんて。
同じことを繰り返すうちに洞察力が付き、物事を冷静に分析して策を見出せば、捜索の時間は徐々に縮まっていく。
危険な任務の中で私が負傷しないよう、体力と経験を与えてくれているなんて。

「いいから、さっさと食って午後の任務に行け」

「はぁい」

何だかんだで私が食べ終わるまで隣にいてくれた藤田警部補。

「ふふっ、ご馳走様でした」

屋台を出て次の調査地へ向かう為、藤田警部補に別れを告げると、わざわざ私を見送ってくれた。
いつもより穏やかに見える顔。切ない影が見えなくもない。
大袈裟に手を振ると、警部補の顔が崩れるのが見えた。「阿呆が」と笑ったのかな。

もしかしたら私ではなく、沖田さんを見送ったのかもしれない。

「それでもいい、警部補が嬉しそうなら」

任務を成功させてもっと喜んでもらおう。
いつしか仕事の目的がずれてしまった私だけど、目的地に向かって一目散に駆けだした。
川沿いの道は水面の光が良く見える。目を細めたくなるほど、眩しく輝いていた。
 
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