沖田総司に似た密偵の部下

□3.切れた糸 -oki-
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今日の任務は資料室から始まる。
奥まった場所にある資料室を目指して廊下を進むと、突き当たりの壁で男が二人、雑談をしている。
袖章、線の太さと数で分かる、新米の私より官等が上の二等巡査二人だ。

嫌な予感がする。
近付きたくないが、男達の手前にあるのが私が入りたい部屋。
目を合わせないように廊下を行くが、男達がこちらへ来るのを感じた。

「よぉ、新米で特務担当だってな。随分な抜擢じゃねぇか」

思った通り、どうでもいい話で足を止められた。

「私は選ばれる立場でしたので、何も言うことはありません」

男達は私の言葉が癪に障ったようだ。
無駄話してないでさっさと持ち場に戻れ、そう言いたかっただけなのに。
いや、もともと私に言い掛かりをつける気で待っていたのかもしれない。
明かな悪意を向けられ、私は身構えた。

「お前、噂通り沖田総司にそっくりだな」

「よく言われますが、私は沖田総司を知りません」

呼び止めてきた男に気を取られていると、いつの間にか後ろに回ったもう一人に揶揄われ、慌てて振り返った。
何だかんだで動きが速い。

「いやぁ、実によく似てるぜ、顔も声も、その生意気な目もそっくりだ」

「あぁ、見ていると腹が立つな。似過ぎだぜ、本人なんじゃねぇのか」

「沖田総司は生きていたってな、ありえない話じゃねぇよなぁ」

前と後から交互に話しかけて来る。
至近距離で双方どちらも警戒しなきゃいけないなんて不利だ。
私はなんとか二人を同時に視界に入れようと、じりじり後退した。敢えて壁から離れ、廊下の中央で二人を睨む。

「馬鹿なことを言いますね、気になるなら上官に確認してください」

「面倒臭ぇじゃねぇか、それより手っ取り早くこういうのはどうだ」

一人がいきなり殴り掛かって来た。
危なかった、壁際に退いていたら追い詰められていた。

「何をするんですか! ここは警視庁、警官同士ですよ!」

拳を避けて怒鳴るが話を聞く気が無いらしく、二発目の拳が飛んできた。

「くっ、いい加減にしてください! っあ」

「よしっ、掴まえたぜ!」

「離せっ!」

殴り掛かる男に気を取られた隙に、もう一人が後ろから私を羽交い絞めにした。
警官同士、警視庁の中だと思って油断した自分が恨めしい。

「貴方達は馬鹿ですか、こんな事をして処罰の対象になりますよ!」

「なんとでもなるんだよぉ、新米ちゃんは知らねぇだろうなぁ、ククク」

「っち、ふざけないでください!!」

「沖田総司じゃねぇって確認したら離してやるぜ、だから大人しくしろ」

「うっ……ぐっ、貴様らっ」

私の身を封じる腕に力が籠り、情けない声を上げてしまった。
なんて力なの。

「お前胸がねぇけど潰してんだろ、それを確認したら離してやるさ。まぁ見ちまったら別の気が起こるかもしれねぇがなぁ」

「何を、言ってるのっ……」

「まどろっこしいぜ、さっさとしろ、早くしねぇと人が来ちまう」

「分かった、ホラよ!」

「っ、ひぁっ!!」

馬鹿力が私の胸元を掴み、制服を強引に開いた。
釦が吹き飛ぶ。上着の釦も、その下の白いシャツの釦までも、一斉に生地から離れて床に転がった。
開かれた胸元の晒を見て、男の顔が卑しく歪む。

沖田総司への恨みがあるのか、顔が似ている相手へ意趣返しとは笑えない。きっと幕末、沖田総司にはとても敵わなかったのだろう。
逆に、私になら勝てると判断したってこと。私は沖田総司には遠く及ばないらしい。悔しいけど、自分でもそう思う。

「ははっ、凄ぇ力だな!」

「あぁ思った通り晒を巻いてやがる!」

「くそっ、支給されたばかりの制服だぞ!」

「そんな心配しなくても新しいの貰えるだろ、貰えなかったら俺が届けてやるぜ」

厭な笑いを見せて男の顔が私に近付く。
汚い顔だ、腕が駄目なら。

「おっと、癖の悪い足だ」

蹴りを入れようとしたが見抜かれて、足まで押さえられてしまった。
これって絶体絶命なんじゃない。こんな場所でこんな目に合うなんて、甘く見ていた。

「本当に女か確かめるにはこの晒が邪魔だな、これも破っちまうか」

「いいねぇ、急げよ」

「なっ、貴方達どこまで馬鹿なの、そんな事したらっ」

「だからな、警察と言えども正義漢が集まってるわけじゃねぇんだよ、なんとでもなるのさ」

「ふざけっ……くっ!!」

馬鹿話で隙を作ったのは男達。
抵抗していた私は咄嗟に力を抜いて、均衡を失った男の腕から抜け出した。
いずれ必要な時が来る、女なら尚更と言われて教わった護身術、拘束からの脱出術が役立った。
真面目に鍛練しておくべきだと改めて思い知る。

「テメェ!!」

「掴まえろ!!」

「もう捕まりません、さぁどこからでも掛かって来てください!」

勢い余って挑発したけど、ここは逃げるべき。
逃げる気はないと戦う意思を示して両拳を体の前で構えると、男達は私の胸元に気を奪われいた。
本当に男って馬鹿なんだ。
でもこれで男達の初動が遅れる。今のうちに逃げようと振り返った時、見慣れた人物が立っていた。

「何をしている」

「げっ、藤田警部補っ!」

男がみっともない声を上げた。
正直、私も同じ声を上げそうになった。

騒ぎを聞きつけたのか姿を見せた藤田警部補。
違う、資料室に用があるんだ。
私もここに来たのは資料室に入ろうと思ったから。

「何でもありません、すぐに済みます」

これくらい、自分で片を付けなければ。
警部補の前で逃げるなんて出来ない。
正面から二人同時は無理だけど、一人ずつなら。

改めて構え直して隙を窺うが、男達は戦意を喪失していた。

「あっ、ぁああ! もう終いだな、じゃ、じゃあな! 任務頑張れよ!」

男達はわざとらしい言葉を残して逃げて行った。
本当に馬鹿々々しい。

藤田警部補が不審の目で男達を見送る傍ら、私は身を屈めて散らばった釦を拾い集めた。
上着の大きな釦は目に付く。すぐに全てが揃った。
足りないのはシャツの釦。小さくて軽いから遠くまで飛ばされてしまったのかもしれない。

屈んだまま、床の上を向こうまで見ていると、目の前に大きな手が現れた。

「ほら、これが最後の一つだろ」

「すみません助かりました、ありがとう……ございます」

「気にするな。大丈夫か」

「大丈夫じゃありませんよ、針と糸を借りられますか」

むすっと口を尖らせて立ち上がると、警部補は何が面白かったのか、ククッと笑った。

「そんな口が利けるようなら平気だな」

言い終えて、警部補の視線が私の胸元へ向かう。
仕方がない、こんな恰好の娘がいたら私だって目を向けてしまう。
それに、稽古の時に晒が人の目に触れるなんて珍しくない。
今も別に気にしていない。
だけど少しだけ、胸の奥が重たく感じる。嫌なんじゃなくて、なんだか……熱っぽい。

「ほら」

「え……っと、」

当たり前のように藤田警部補は上着を脱いで私に渡した。
目の前に差し出されると受け取らざるを得ないから、私は素直に掴んでいた。

「縫うなら脱ぐだろ。これを着ていろ」

「あ……ありがとうございます。でも晒姿ぐらい平気です」

「阿呆、またあんな連中に見つかったら絡まれるぞ。面倒を起こすな」

「分かりました……ありがとうございます」

「針と糸、持って来てやるから中で待ってろ」

そう言って針と糸を取りに行ってくれた警部補。
心なしかいつもより早足に見えた。

言葉に甘えて先に資料室へ入り、可哀想な姿になった上着とシャツを脱ぐ。
藤田警部補の上着を羽織ると、温かかった。

「まだあったかい……それに、」

比べ物にならないほど、大きい。

さっきの連中もそうだ。
私を掴んだ手は、私の手と比べ物にならないほど大きかった。
たまたま頭も精神も弱い連中で、下心から隙が生まれた。
だから身に付けた護身術で窮地を脱せた。

でも、藤田警部補みたいに抜かりの無い男が相手だったら、勝てなかっただろう。

男も女も関係ない。
そう育てられて、自分を信じてきた。
事実、そこらの男には負けない。

「だけどっ……」

温かくて大きい上着に包まれて感じるものに反し、涙をこぼしてしまった。

「悔しいっ……」

どう足掻いても力では敵わない。
生まれて初めて思い知らされた。

稽古でも負けたことが無かった。相手の竹刀を叩き落とすなんて簡単、力の差なんて技術でどうとでも補えると感じていた。
でも今日は。
相手が複数だったとはいえ、腕力の差は歴然だった。

後ろから押さえられ、あのまま力を加えられたら私の骨は折れていた。
釦を引き千切られたが、その気になれば手足だって壊されていた。

「悔しいよ、悔しいよっ……」

力で敵わないなら他で勝負するしかない。
理屈では分かるが、涙が止まらない。

「うぁあああっ!」

私は叫んで机を叩きつけた。
八つ当たりされた机が怒ったのか、上に置かれた釦が床に散らばってしまった。
せっかく拾ったのに、また探さないと。

目を動かしても全ての釦が確認できない。
藤田警部補が拾ってくれた最後の一つの釦も、また見えなくなってしまった。

「もう……馬鹿……私の、馬鹿……」

こんなことで落ち込んでいては密偵失格だ。心を乱して物に当たるなんて以ての外。
でも堪えようとしても、涙は流れ続けた。

藤田警部補の上着が濡れてしまう。
もういっそ、潔く怒られよう。
私は大きな上着に縋るように激しく泣いた。

早足で去って行った警部補は私の涙が止まるまで、戻って来なかった。
 
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