沖田総司に似た密偵の部下

□4.斎藤さん -sai-
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さて、馬鹿な二等巡査達に絡まれて、俺の部下は初めての屈辱を味わったようだ。
いい歳して随分と泣き喚く。
だが泣くなとも言えなかった。
上着が一枚汚れるだけで済むなら、まぁいいだろう。

部下を甘やかす気はないが、放置も出来まい。
沖舂次に何をしてやるべきか。
二つの考えが浮かんだ俺は、手っ取り早い策に打って出た。
針と糸と共に持ってきた、予備の上着を沖舂次に渡す。

「飯に行くぞ」

「飯……でもまだ着いたばかりで」

「俺は朝飯を食い損ねた。ついて来い」

俺が行きたいんだと強引に誘うと、沖舂次は黙って頷いた。
この場を離れたかっただろう。
外を歩き、何か腹に入れて気分転換すれば、元気も出る。

二人で資料室を出ると、人が増えていた。
沖舂次を連れて警視庁内を歩くと、必ずと言っていいほど、ひそひそ囁く声が聞こえる。
こいつはこんな声をいつも聞いて歩いているのか。
まぁ、俺が京にいた頃の新選組に対する囁きも様々だったが。

「気になるか」

「気にしていませんよ、大丈夫です」

「そうか」

強がっているのか、弱い自分を見せまいと堪える所が沖田君に似ているとは、本人には言えんな。
本人に気付かれないよう横目に入れて歩いていると、警視庁を出て暫く行ったところで沖舂次が口を開いた。

「私って……そんなに似ているんですか」

「んっ?」

「沖田総司さんに……」

あんな事の後だ、似ていないと言うべきか。
だがここまで周りから言われているのだ。
偽りの答えより、真実を伝えて受け入れさせるしかあるまい。

「あぁ。俺が言うのも何だが、似ている」

「そうですか……そっか、一緒にいた藤田警部補がそう思うんなら本当にそうですよね。……藤田警部補も今とは違う名前だったんですよね」

名前は幾つか持っている。
その中でも、あの頃名乗っていた名前に一番思い入れがあるとは、伝える気になれない。

「昔の話だ」

「斎藤……さん」

「っ!」

勘付かれただろうか。
俺の心臓が強く跳ねたことを。

驚いた、本当に沖田君に呼ばれた感覚がした。
もう一度この声を聞けるとは思わなかった。
いや、違う、これは沖舂次の声、沖田君ではない。

分かっているが、体に染みついた記憶は勝手に反応してしまう。

「言ってはいけない名前でしたか、すみません」

「いや、構わん。今でも斎藤と呼ぶ人間は多い」

「そうですか、良かった」

まずい発言だったかと眉根を寄せた沖舂次が、ほぅっと安堵して力を抜いた。
随分と気を張っているな。

「斎藤さん……私が知らない藤田警部補ですね」

まただ、胸の奥がぐらついた。
不意を突かれて俺の記憶が幻聴を、錯覚を引き起こす。
目の前の女が、あの男に見える。

「藤田警部補?」

「いや……なんでもない。今日は屋台ではなく、座れる店に行くぞ」

落ち着いて座りたい気分だ。
俺が動揺していては沖舂次が余計に困惑する。
悟られないよう深い呼吸を繰り返し、俺は気持ちを静めた。

沖舂次はずっと傍に置いておきたいような、いっそ遠ざけてしまいたいような、心を乱す存在。
だが私情で異動させるなどしてはならない。良く働くいい部下だ。
至らないのは懐かしさで動揺する愚かな上司、俺の方だ。

「藤田警部補、具合でも悪いのですか」

「平気だ、着いたぞ」

「わぁ、私もやっぱり頼んでいいですか、なんだかお腹空いちゃいました。香りには勝てませんね」

暖簾をくぐって見せる屈託の無い笑顔。

──あぁ……
認めざるを得ないのは己だと理解した。

沖舂次が受け入れているように、俺も受け入れねばなるまい。
沖田君に似ているこいつを。
それに、似ているせいかはどうでもいい、名前を呼ばれると何故か嬉しく感じる自分を、楽しそうな姿に自分まで楽しくなっている事を。

自信を喪失してしょげていた顔は、すっかりいつもの元気を取り戻していた。
部下が元気に走り回って任務に励む、いいことだ。

今は難しい仕事を一人でこなせるよう成長させる、それが俺の立場で成すべきこと。
俺は自分を戒めるつもりで、沖舂次の笑顔を己の目に焼き付けた。
 
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