沖田総司に似た密偵の部下

□6.溜め息
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──あ……

沖舂次は音を聞いて振り向いた。
溜め息のような、静かな息音。
藤田警部補が自分の後ろで立ち止まる時、決まって聞こえる音だと知っていた。

「藤田警部補、お疲れ様です」

煙草を口から外して出るこの息音が、沖舂次には自分に対する溜め息のように感じられた。
感情の読めない上司に、沖舂次は事務的な挨拶をした。声には気遣いと戸惑いの色が含まれている。

「フン」

今度は鼻でならした音。
返事をするのが面倒で、声も出さない時の挨拶だ。
沖舂次はじっと斎藤を見つめている。

「何だ」

「いえ……」

「『この人は何を考えているんだろう』、そんな顔でジロジロ見るな阿呆、いい気がせん」

そう言って斎藤は一度煙草を口に戻し、一呼吸おいてから長い息を吐き出した。
言い訳があるなら考えろ、言え、そんな間を与える。

「すみません、でもそんなつもりじゃありませんよ」

「どうだか。図星じゃないのか。微笑んでいるが微かに引き攣った口角、目の動きと瞳孔の具合から興奮と動揺が窺える」

斎藤は僅かな表情の変化から沖舂次の感情を読み取った。
本人がより動揺するのを知りながら指摘する。指摘する斎藤には何の変化も見られない。

「そそっ、そんなこと考えていませんよっ、ただ藤田警部補が来たなぁって、元気かなぁって顔を見るのが人情ってもんです」

人情という言葉に斎藤がにやりと口を歪めた。
昔馴染みがよく使っていた言葉だ。
目の前の部下とよく似た顔の男が、好んで使っていた。

「そう簡単に心や考えを読まれては、真剣勝負の場ならば隙を突かれるぞ」

「それほど顔に出ていますか」

「あぁ、嫌と言うほどな」

沖舂次は疑念の目で斎藤を見上げた。

「では、何と出ているんです」

何も考えていないのだからどうせ当たらないと高を括った問いに、斎藤はピクと眉を浮かせた。

──そう、これは昔よく見た表情だ。昔見た表情によく似ている。
単純な心が表れている。
不満が少し、それから好意、信頼。上司と部下には必要なものか。

──だがもう少し進んだ感情も窺える。あの男からは感じなかったものだ。
この先、はっきりと別の名で呼べるものに発展する感情が。

部下の顔から感情を推察した斎藤は、今度は本物の溜め息を吐いた。

「面倒だ」

「えっ」

「いちいち説明するのが面倒だと言ったんだ。自分で分からんのなら説明しても分かるまい」

分かるようになられては尚更、面倒だが。
斎藤は沖舂次を今一度、目視した。

「藤田警部補だってじろじろと見るだけ見ましたね」

「お互い様だな。ま、俺が近付くとすぐ気付くのは毎度見事だ。その調子で人の感情も読めるようになれ」

「それは……」

溜め息が聞こえるから分かるんです。
沖舂次は目を伏せて言葉を途切れさせた。
色恋を知らぬ若い密偵が、未熟にも不安に睫毛を揺らしている。
斎藤は俯く沖舂次から顔を背けた。

「ま、本当に面倒なんだよ。だから、頼んだぞ」

「は…い……って、何をですか! 頼まれますよ、新しい任務ですか、詳細下さい、ご指示は明確に!」

そんなつもりで言ったんじゃないと斎藤は睨むも、面倒だから何か任務を押し付けるかと思い付いた。

「阿呆、いいからついて来い。任務はしっかり伝えるさ。話が漏れない場所でな」

歩き出すが斎藤は呆れた顔で振り返った。よく密偵に就けたものだと戒めの視線を向けると、沖舂次が感情を見事に顔に表していた。
足取りにも感情が乗っている。

斎藤は無意識に沖舂次を見極めていた。
単純、素直、感情の起伏が激しく表に出やすい。
悟られやすいが同調も得やすい。市民の協力や同情を得られるのも一つの才能か。
己と正反対の性質、それも密偵としては役立つやもしれん。

──だが俺は同調などせんぞ

斎藤が部下の存在意義を認めると同時に否定した時、沖舂次の前で煙草を吹かす息音が響いた。
 
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