沖田総司に似た密偵の部下

□10.大嫌いな訓練
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「あ〜もう、疲れたっちゅうより歩き飽きたで」

張は今日も市中探索に当たっていた。見た目を裏切って、案外真面目な男だ。
しかし早朝から歩き続けた張は、いい加減任務に新鮮味を失って足を止めた。昼飯は良い言い訳になる。

「さぁて何を食うかやけど、やっぱうどんやなぁ」

気持ちが休憩に傾き、途端に機嫌を取り戻した。
うどん屋を目指して、堂々と通りに出る。目立つ姿だが隠れない密偵を自負する張は、人目を気にせず道の先にあるうどん屋の暖簾を確かめた。

「おろ、その頭、沢下条張ではないか」

東京に出てきたばかりの張、顔見知りは皆、警察関係の人間。
そんな張を、浪人姿の男が呼び止めた。

「おぉ抜刀斎、お久しゅう」

呼び止めたのは抜刀斎こと、緋村剣心だった。
一度剣を交えた二人だが遺恨は無い。張からしてみれば新井赤空最後の一振りを奪われた相手だが、実力の差は身を以て知った。正面から挑んで負けた結果は受け止める。志々雄真実と互角に遣り合った男。張は緋村の実力を認めていた。

「お主、東京にいたのか」

「まぁな」

しかし、これは張にとってまずい偶然だ。司法取引の件は緋村の耳にも入っているが、斎藤の死は伏せてある。
張は、自分が斎藤の下にいることを悟られまいと、早々に逃げ出そうとしていた。

所が、張が「ほな」と言う前に、小柄な警官が走ってくるのが見えた。
事件でもあったのか。それにしてはまるで何かから逃げる勢いで駆けてくる。
張と緋村が何だ何だと眺めていると、小柄な警官は二人のもとへやって来た。

「張さん!……と……」

「おぉつくしちゃん、どないしてん血相変えて」

駆けてきたのは沖舂次だった。

「警部補がっ……あの、こちらの方は」

赤い髪に十字傷。沖舂次は息を呑んだ。
張と親しげな距離で立つ浪人は、聞かされた緋村抜刀斎の特徴と一致する。

「緋村、抜刀斎……」

「はははっ、これはまた懐かしい名前でござるな。拙者は緋村剣心。抜刀斎は昔の志士名。お主は張の同僚か。初めましてで……ござるな」

緋村は沖舂次の姿形に驚くが、浮かんだ考えを否定して、初めて見る顔を熟視した。
確かめるように視線を落として全身を見つめ、もう一度顔を熟視する。目が合い、確かめられていると察して苦笑いする警官が、女だと気が付いた。

「おぉ、つくしちゃんや、新米巡査。ワイの可愛い後輩やで」

「初めまして、沖舂次です」

「沖……舂次……」

沖舂次は、そんなに見られるとさすがに恥ずかしいです、と肩を浮かせてはにかんだ。

「いや、すまないつい」

「構いませんよ、似ているんですよね、沖田総司に」

「あぁ……そうか、自覚があるのか」

「いつも言われます。私自身は沖田総司を知らないんですけど」

「沖田総司は忘れられぬ男でござるからな。拙者も勝ち切れぬ相手だった」

不躾な視線を詫びた緋村は、せめてもの償いに沖田総司の名前を口にした。似ていると言われる男を知らず、気になる存在だと沖舂次の顔に書いてある。

沖田の剣技の話を、張は呑気に「ほぉん」と感心した。

「幕末っちゅうんは恐ろしいなぁ。羨ましい気ぃもするけど、やっぱ明治が一番やな。ほんならワイは先、行くで」

「行っちゃうんですか」

「おっとそうや」

張は去り際、顔を寄せてひそひそと大事なことを告げた。

「つくしちゃん、抜刀斎にオッサンのコト話すなよ、死んだコトになっとんねん」

「えっ」

「ほな、また後で!」

「あっ」

待ってくださいと呼び止めようとした沖舂次だが、体が硬直して追えなかった。離れる間際、張が耳元に息を吹きかけていったのだ。

発端は斎藤にある。
斎藤が沖舂次の耳元で囁く姿を目撃してしまった張、何が起きたんやと狼狽し、斎藤から説明を受けたのだ。
余りに色に弱い沖舂次を慣れさせる為。なんならお前も仕掛けてやれと言われた。ただしそれ以上の事は本人の同意を取れよと戒められた。同意など取れる訳も無く、取るつもりもない。
だが面白いと試した張、予想以上の反応を楽しんでいた。

堪らないのは沖舂次だ。
尊敬、憧れ以外の感情が無かった上司からの仕打ちに加え、先輩からも苛められるのだ。
怒って二人に訴えたが、任務で失敗されては困ると撥ね返された。実際、男からの刺激に弱すぎる自分を自覚してしまった。

「はぁぁっ、もうっっ、張さんたらっ!」

「はははっ、大変でござるなぁ」

「大変ですよ! 大変!」

してやったりの笑顔で去って行った張が完全に見えなくなると、沖舂次は怒りを爆発させた。
 
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