警視庁恋々密議

□1.追懐、会津で見た女鬼
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斎藤は違和感を覚えて立ち止まった。資料室の手前、普段は感じない何か。誰かがいる。

資料室の扉を開けた斎藤は、咥えていた煙草を危うく落としそうになった。
中で資料を手に立っているのは、己と同じ制服を身に付けた細身の女。
斎藤には及ばないが、女にしては上背がある。姿勢良く伸びた背筋が、やけにしなやかだ。
近付く者を察してか、女の左手は剣帯に触れていた。

「珍しい姿を見たもんだ、会津の女剣士」

「……斎藤一。女剣士とは、侮蔑を込めて呼んでくれたのかしら」

「すまん、気を悪くしたか」

斎藤は威勢のいい女をククッと笑った。
女は戊辰戦争の折、会津で密かに剣を振るっていた剣客だ。
薙刀を扱う女娘で結成された婦女隊とは違う。一人、夜闇に紛れて奇襲を繰り返していた。

会津の兵の間でも、新政府軍の間でも噂になっていた。夜になると鬼が会津の町をうろつく。幾人もの兵が討ち取られた新政府軍は、苛立ちを募らせていた。

その鬼が女だと斎藤が知ったのは、戦が終わってからだ。
刀を手に、悔しそうに立ち尽くす女がいた。会津の家老に、あれが例の鬼だと教えられた。

「悪気はない。鬼、と言う噂しか知らんからな。何と呼べば気が済む」

「苗字夢主。今は警視庁に身を置いて特務を請け負っているわ。貴方と同じね。野暮用があってここに寄ったのよ」

「ほぅ、同じ管轄か。そいつは頼もしい」

「本当にそう思ってるの」

「何」

「馬鹿にしてる。感じるんだけど」

「勘違いだ」

斎藤は少なくとも女だからという理由で侮りはしない。夢主は実戦で名を上げた剣客。地獄を生き抜いた女。馬鹿にする理由がどこにある。
卑下するなと、斎藤は肩を浮かせた。

「私の勘違いね、ごめんなさい。正直、女の身で密偵、一人で動いていると面倒が多くてつい」

「ほう、そいつは難儀だな」

「さっさと職を辞して嫁に行けと何度言われたか。男の発想てホント単純」

「行く気はないのか」

「は?」と、夢主は資料を持ったまま固まってしまった。
それから斎藤を凝視して、やがて大笑いを始めた。

「っはははは、だって! 相手がいないでしょう、っふふふふ、自分より弱い男に身を委ねると思う? 唯一譲れない条件よ」

くくく、と斎藤に似た、斎藤よりも少しだけ可愛らしい笑みを見せて、手にしていた資料を机上に叩きつけた。軽くとも、耳につく音が鳴る。

「ごめんなさい、余りにも可笑しくて」

「そんなに嫌か、弱い男は。夫と闘うわけでもないだろうに」

夢主の想いも分かる斎藤だが、過剰な反応を面白がって話を続けた。
答えを聞く間に煙草を咥えて、味わっている。

「嫌でしょう。許せる? 自分より弱い男の言うこと聞ける?」

「任務ならば、必要だと判断すれば俺は動くが」

「……そうね、確かに任務はそうだけど。でも……嫁入りは別」

「ククッ、お前より強い男とは難しい条件だな」

剣腕はもとより、気の強さもお前以上でなければ難しそうだ。斎藤は煙草を吸って余計な一言を飲み込んだ。
面白い会話、機嫌を損ねて終わらせるよりも、続きを愉しみたい。警視庁の男共も歯が立たぬ剣腕の女丈夫とは興味深い。

「でしょう、だから無理なの」

「俺がお前に勝ってやろうか」

面白いから、斎藤は夢主が一番噛みつく言葉を選んだ。この一言で会話は終わらない。むしろ、長引くだろう。フッと笑んで、斎藤は煙草を続けた。

「……はい?」

夢主は今日一番の大きな声を出した。大きな声に、疑問の念を目一杯込めた。自分に勝つことで何を示したいのか、斎藤の考えが全く読めない。

「正気なの、いろんな意味で無理よ」

「何故、自分より強ければいいんだろう」

「それだけじゃないでしょう! それに、貴方が勝てるとは限らないでしょう、甘く見ないで」

"嫁"に関しても含んだ発言なのか。夢主は驚いて声を荒げた。俄かに心拍数が上がっている。

「おい」

夢主は不機嫌な顔で手を刀に掛けた。瞬時に呼吸を整え、音もなく抜刀する。斎藤と同じく、特別に佩刀を許された日本刀。
磨かれた刃が現れて、刀を抜ききると、切っ先が光を集めて強く輝いた。
 
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