警視庁恋々密議

□7.夜更けの長椅子で
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斎藤が夢主に茶豆を勧めたのは、眠気覚ましに役立つからだ。
それともう一つ、何かを与えたくなったから。
奇妙なものだ。雄の本能なのか、斎藤にも分からない。

今日は溜まっている座り仕事を処理する日。
面倒な書類が山積みだ。自ら筆を走らせねばならず、他人任せに出来ぬ煩わしい作業。
書類業務は、深夜まで続いた。

机上には、空になったカップが二つ置かれている。
一度は片付けたが、夜が更けて新たに茶豆を持ち込んだ。それもすぐに飲み飲み干してしまった。

「まだまだ終わらないわね」

「朝までには終わるだろう」

「そうね、半分は切ってるし。……貴方っていつもこんなコトしてるの」

夢主は必死に姿勢を保っているが、実のところ、今にも机に突っ伏したい気分でいっぱいだった。
自分の向かい側、斎藤の背後に長椅子が見える。あそこに倒れ込んだらどれほど気持ち良いだろうか。何度も心を奪われていた。

「大きな案件が片付いた後は特にな」

「ちょっとだけ尊敬しちゃうわ、私はここまで書いたこと無いもの」

二人を囲むように様々な書類や帳簿が積まれている。
全て二人で処理しなければならない物だ。

「フッ、これからは毎度のことになるぜ」

「嘘っ」

これまで夢主は任務の後、上役の川路に口頭で任務報告をするだけで良かった。
そういった任務を割り当ててくれていたのかもしれない。
実力を測り終えて、より難しい任務、事後処理が複雑な任務を充てられたのならば、しっかりこなすことが期待に応えることになる。

夢主は悲壮な顔をして斎藤に訴えた。
外に出て走り回るほうが余程良い。物陰でジッと待機するのも構わない。激しい戦闘もお手の物。だが、座って行う書類業務は、数時間が限界だった。
朝から始めた既存書類の確認、新たな書類を作成し記入する作業、途中に雑務を挟んだが、既に半日以上続いている。

「大丈夫よこれくらい、驚いただけ、こなして見せるわ……」

茶豆の効果も虚しく、夢主は睡魔に襲われていた。
うつらうつらと、舟を漕ぎ始める。カクンと大きく頭が揺れて我に返り、首を振る。斎藤に気付かれていないか、ちらりと見た。

斎藤は気付かないふりをしていた。先程から今にも寝てしまいそうな様子に気付いている。
敢えて触れずにいたが、視線を感じて、フッと口角を上げた。

「一旦休むか。俺も外の空気を吸って来る。長時間の作業、気分転換も必要だ」

「そうね……」

休めと言えば、夢主は強がり、拒むのが目に見えている。
斎藤は双方の休憩を訴えて煙草を手にした。

「長椅子で休むといい、俺もたまにする。少し座るだけで違うぞ」

固い板の座面が体を支える椅子と違い、革張りの長椅子は中に綿が詰って柔らかい。
斎藤も行う休憩方法ならばと、夢主は素直に長椅子に移動した。
体を預けた途端、何とも言えぬ心地良さを感じた。

「はぁ、いいわねこの椅子。気持ちいい」

「横になれ。後で起こしてやるぞ」

「貴方の前で横になんかならないわよ」

目を閉じて椅子の心地良さを味わっていた夢主、このままでは寝てしまうと目を開けた。
斎藤を視界に入れることで、少しは気が引き締まる。

「随分と警戒するな」

「するわよ、初対面から変なコト言う貴方が悪いのよ」

「お前の条件は守るさ」

斎藤は座ったまま振り返り、夢主を見てニヤリとした。
夢主はそんなの当然でしょと、威嚇するように顎を上げた。突っかかっているように見えて、はにかんで口もとは歪んでいる。

「ま、今は何もせんよ。さっさと目を閉じろ」

斎藤は姿勢を戻し、作業に戻ってしまった。

「俺も切りのいいところで席を外す。この煙草が終わる頃には出て行くさ」

「じゃあ、その時に横になるわ」

夢主は斎藤の背中に話しかけて、暫く後ろ姿を見つめていた。
休まず動く手元。腕の動きが一律で、一行書き終えては次の行に移るのが分かる。少し間を置いて再び動き始める。後ろ姿から、斎藤が仕事を進める様子を感じていた。

斎藤が隣の書類を見て何かを確かめた時、横顔が見えた。
すらっと伸びた鼻筋は綺麗だと思う。額も綺麗、口が悪いくせに真面目そうな横顔。奥まって影が差す目はあの性格にぴったりね。でも瞳は影が無くて、いい色をしてる。この人、どんな景色を見てきたんだろう。あんなに深い皺が刻まれるほど、厳しい景色だったのかしら。
夢主は重たい瞼に耐えて、ぼんやりと斎藤を見つめていた。

視線を感じた斎藤は、自らの手元を目で追いながら、背後に話しかけた。

「交代で一刻ほど眠るか」

「うぅん……そう言うわけにも……」

「眠らなければ明日に響く」

「それもそうね、一刻もあれば十分だし。貴方、本当に席を外すのよね、私、お先に……休ませてもらうわね……」

慣れない作業に神経をすり減らしたのか、話の終わりには夢主は眠りに落ちていた。
斎藤は長椅子に体を倒した夢主を振り返った。何だかんだで信頼を得ているようだ。

「限界だったな」

フッと笑った斎藤は、一人、作業を続けた。
 
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