-短篇
□北@ 紫陽花
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進む二人を見守るように続く紫陽花。
夢主は、手にある紫陽花と道沿いの紫陽花を見比べた。
大切な仲間をごめんなさいと詫びる気持ちと、感謝を念じている。
「紫陽花って、不思議なお花ですよね」
「何故」
「同じ場所に咲いてるのに花の色が違ったり……一緒に咲いてるのにひとつずつ個性があるみたいで。お花に見える部分がお花じゃないのも、不思議です」
「フッ、成る程」
歩き出して、夢主の先を行く斎藤は、ふと脇の紫陽花に目をやった。
紫陽花の不思議さか。気に留めたこともなかったと、笑う。
夢主が語るとそう聞こえるから面白い。
花のようで花ではないとは、武士を装っても武士ではなかった男達のようだ。だが、誰よりも武士だった。与えられた身分で武士を名乗る者達よりも、武士とは何かを体現して生きた男達だ。
それに、同じ場所に在りながら個々に色を変えるとは、同じ道場で剣を握った男達が、やがてそれぞれの道を生きた変化に似ている。
斎藤自身も着る装束を変え、組織を変え、肩書を変えて名前さえも変えてきた。
「俺達みたいな花か」
「えっ」
「いや、土方さんに添えるに相応しいな」
斎藤はちらと振り返り、ニッと上がった口角を見せた。
相応しいかはわからないが、素敵な花。夢主は頷いた。
深い青、少し感じる紫の色味。確かに土方さんを思わせる色だ。
でも……。
段を上る足を緩め、夢主は紫陽花を見つめた。
「お前は何色の紫陽花を好む」
夢主の歩みの変化を察し、斎藤も足を緩めた。
何やら考え込みそうな夢主の思考を断ち、気を逸らす為、些細な問いを与える。
すると、夢主の足は更に遅くなった。
「色ですか……」
考えたこともない。全部綺麗だから。
手にある紫陽花は美しい青。
夢主は紫陽花をゆっくりと回して見つめた。
「この色、とても好きです」
「そうか」
「もう少し濃かったら、一さんの色ですね」
斎藤は、うぐっと息を乱した。
煙草を咥えていたら咳き込むところだ。
「阿呆、警官はみな同じだろうが」
「ふふっ、私には特別なんです」
この色は、土方さんより一さんに似合う色です。
そんな微笑みを見せる夢主を、斎藤はフンと笑った。
「でも、一さんにお花は添えませんよ」
微笑みに反した言葉に、斎藤の眉が小さく動いた。
何、と反射的な言葉を呑み込んで、僅かに首を傾げる。
「だって一さんは不死身ですから、私より先に死んじゃうなんてありません。でも、私も、先に死んじゃうなんて、考えたくない……」
「おいおい」
おかしなことを口にして、夢主は目を潤ませた。
碧血碑まで階段はまだ続くのに、完全に立ち止まってしまった。
緑の中で俯く姿は、神隠しにでも合いそうな危うさを感じる。
「場所にあてられたか」
斎藤は階段を数段、夢主のもとまで下りた。
指で、夢主の目尻に溜まった涙を拭い去る。
片目ずつ、されるがままに涙を拭いてもらった夢主は、斎藤の指が離れると、自らの指でもう一度目尻を拭った。
「俺もお前も死にはしない。いや、いつかはそんな日が来るが、……泣くな阿呆。今から泣く阿呆がいるか」
「はぃ」
夢主が濡れた声で返事をして、ぐすんぐすんと鼻をすする。
その時、どこからともなく黒い蝶が現れた。
「ぁ……」
夢主は顔を上げて、感嘆すると声を失った。
麓の入り口からここまで、虫一匹もいなかった。
それが今、数えきれない黒蝶が舞っている。同じ場所で、ひらひらと回り、羽ばたいていた。
「綺麗……」
まるで、箱館戦争で亡くなった黒い軍服の人々が、姿を変えて現れたようだ。
蝶の群れは二人の周りで暫く羽ばたいた後、いずこかへ消えてしまった。
「行っちゃいました」
「あぁ」
「なんだか、一さんに挨拶をしていたみたいです」
「お前だろ」
泣き止めと励ますように飛んでいるじゃないか。
斎藤は、なっ、と夢主を覗き込んだ。
「わかりません、でもそうだったら……嬉しいです。優しいですね」
この地で命を落とした者の中には、夢主が知る者もいた。
爽やかな風が吹いた気がして、心地よさに、夢主はふふっと笑った。
「もう一度奴らに囲まれる前に行くぞ」
そう言うと、斎藤は夢主の手から紫陽花を奪った。
えっ、と戸惑う間もなく、斎藤が夢主の口を塞ぐ。
んんっ、と困惑の声を漏らして、夢主は斎藤にしがみ付いた。
口の中に侵入する舌を感じて顔を顰めると、歪んだ視界の端に、ひらひらと舞う黒蝶が見えた。何事かと確かめに戻り、舞っているように見える。
「んっはァッ、はじめさっ」
「もたもた歩いていると、上に着く前に全て済ませるぞ」
「なっ、何をっですかっ」
ククッと笑った斎藤は、早く碑前で手を合わせて宿に戻るぞと囁いた。
「久しぶりの再開で俺が何もしないとでも思ったか」
期待していたんだろ、お前も。
斎藤が続けて囁くと、夢主は耳に触れる息に耐えかねて、完全に斎藤に身を委ねてしまった。
斎藤は凭れかかる夢主を支えて抱き直し、もう一度深い口づけをした。
今度は困惑ではなく、与えられる刺激を素直に感じて漏れる声が響く。
遠のいていた感覚が、夢主の身を襲った。
「んっ、はじめさンッ、ンぁっ」
「本当にここでイく気か」
「ンんっ」
口を弄ばれるだけでこれ程の昂りが起こるなんて。
夢主はいやいやと体を捩り、恥じらって顔を振った。
「お参り、します、土方さん達に手を合わせて、」
「あぁ、そうしたいものだ。行くぞ」
すべき事はする。
手早く手を合わせて挨拶を済ませるぞ。
斎藤は夢主を開放すると、紫陽花を返した。
「お前が持って行け。……黒蝶も消えたな」
紫陽花を受け取った夢主は、斎藤の後を追って階段を上り切った。
突然開ける視界。
草が生い茂る広場、奥に大きな石碑が聳え立つ。
碧血碑、箱館戦争で命を落としたものを弔う想いが込められている。
夢主は困った顔でちらと斎藤を見上げた。
不安が滲む目で見られた斎藤は、フッと表情を和らげて、碑の前まで進めと促して顎を振った。
「行くぞ。安心しろ、宿に戻るまで何もせん」
「は、はぃ……」
碧血碑の下に紫陽花を供える。
二人で手を合わせ、懐かしい男達に言葉を伝えた。
労わりの言葉を念じ、生き残った者達の近況を伝え、ようやく訪れた平穏な日々を守ってみせると約束した。
それから、斎藤は密かに土方に伝えていた。
夢主は自らのもとにいると。任務で離れてしまうが問題ない関係だと二人の絆を伝える。
誰のものでもない、夢主は俺のものだと少し性根の悪さを見せて、心の中で笑っていた。
土方が好んでいた斎藤の性分。喜んでくれるだろう。
「俺の勝ちです、土方さん」
「賭けは私の勝ちでしたね」
二人は同時に呟いて、顔を見合わせた。
「……ふふっ」
「……フッ、フハハツ」
夫婦揃って土方さんに報告した内容が勝利宣言とは。
きっと土方も笑っているだろう。
「勝利を見せつけるか?」
斎藤が夢主の肩を掴み、夢主は慌てて振りほどいた。
「いぃいいえっ、お宿に戻るまではって言ったじゃないですか!」
「ほぅ、早く戻りたいと見える」
「違っ……違わない……です」
ニッと笑んで、斎藤は手を離した。
次にお前に触れるのは宿で触れる時だとでも言いたげに、手を遠ざける。左手はいつものように腰の刀へ、右手は見せつけるように髪を撫で上げた。
真っ赤な顔で斎藤を見上げる夢主の横を、黒い蝶が飛んで行く。
供えられた紫陽花の周りを、数匹の黒蝶が舞っていた。