-短篇

大】大正斎藤浪漫譚
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翌朝、斎藤は署長室を訪れた。
部屋は朝から火鉢で温まっている。

「朝から呑気なもんだ」

「いやぁ、部下が気を使ってくれるんです。おかげで家を出た後は、この部屋に入るのが待ち遠しくてですね」

朝晩の冷えこみは厳しい。
資料室は寒いが、火を置く訳にはいかず、申し訳ないと新市は謝った。
斎藤は部屋を借りている身で文句は無いと言い、煙草を取り出した。

「お訊ねの伝言ですが、残念ながら届いておりません」

「そうか。長引いて悪いな、もっと早く片付くと思ったんだが」

「いえいえ、お陰様で資料の整理が進みました。たびたび指摘くださる事項は捜査に役立っております。藤田殿さえ良ければ、本当にこのまま復職を願いたい」

「それは、人探しが終わってから考えさせてくれ」

夢主を見つけて、その後のことなど今は考えられない。
後のことは、その時に何とかする。その自信があれば十分だった。

「しかし、資料室とは違うと言えども気を付けるんだな、近頃の連中は炭入れが拙い。何度も跳ね炭を見たぞ。部屋を燃やすなよ」

「事を急いては仕損じる。炭入れも警察の仕事も同じですね」

「……あぁ」

にこりと微笑む新市に軽い会釈を残し、斎藤は部屋を後にした。
事を急いては仕損じる。
心で繰り返した斎藤は、思い立って上野の山を目指した。



立ち止まったのは、あの日目覚めた場所。町を見下ろして煙草を吸った。
吐き出した煙は風がすぐに連れ去ってしまう。署内で吸うより、味気なく感じられた。

「何か痕跡は残っていないか。日が経ち痕跡も消えちまったか」

あの時、何故この場所をもっと探らなかったのか。今更悔やまれる。あの時、同じ山にいたかもしれない。
自らの足で立ち去ったか、連れ去られたか。
いっそ新聞に訊ね人の記事でも出すか。だか記憶が飛んでいれば、どんな思い出を込めた呼び掛けの言葉も届くまい。

「探し出すのは、得意なんでな……」

そうさ、必ず探し出して見せる。
誓うように呟いた斎藤は、吸い殻を落として踏みにじった。
足元で形を崩した吸い殻。すぐに土に紛れて見えなくなるだろう。

町を見下ろしてかつての我が家を見つけるが、湧いて来たのは虚しさだった。
夜の上野で夢主と町を見下ろし、我が家を見つけた時は違った。
我が家だけではない、江戸城、警視庁、浅草、見つけた全てに感じるものがあったのは、隣に夢主がいたからだ。どの場所も共に歩いたものだ。

今は何かが足りなくて、落ち着かない。
斎藤は新しい煙草を取り出そうとした。気慰みだ、煙草を咥えている間は気分が落ち着く。
溜め息が漏れる前にと胸の隠しに手を入れた時、背後の空気が急激に変化するのを感じた。

「一さん!」

振り向いた時には、夢主が斎藤目掛けて飛び込んでいた。
煙草を取ろうとしていた手は浮き、驚きで口が塞がらない。

今、来たのか。

斎藤は細い目を限りなく大きくして、夢主を受け止めた。
胸にどっしりと感じる存在。小さくとも軽くとも、何より重たい存在だった。
あの時、確かにあった何かを抱いていた感触。それは、夢主に他ならなかった。

「夢主、お前、どこにいた」

「ふふっ、本当に一さんです! 一さん!」

「夢主っ」

突然現れた。まるで空から降ってきたように。
斎藤は力一杯、夢主を抱きしめた。
細い腕で抱き返す夢主から、んっ、と強すぎる力を訴える呻き声が漏れた。

「すまん、ずっと探していたんだ、つい」

二度と離すまいと力を込めてしまった。嬉しすぎて強く抱きしめてしまった。
照れ臭い言葉は言えないが、斎藤は夢主の存在を愛おしんで頬を擦り寄せた。

「夢主、本当に探したぞ、見つけるのは得意だが、今回はなかなか……苦労した」

「ごめんなさい、一さん……自分でも分からないんです。私、私も……一さんも、確かに終えたと思ったんです、生涯を……」

「あぁ。俺もそうさ。だが目覚めたらこの山にいた。そしてお前がいると感じてな、探していたのさ」

やけに穏やかな時だと感じたあれは、共に死を迎える一時だった。
夢主も同じ感覚だったらしい。
波乱万丈な生涯が終わり、ようやく静かに眠れると思ったら何故か共に飛ばされて、俺が先に辿り着いてしまったようだ。

「一さんの声がして、気付いたら目の前にいたんです、一さんが」

「お前に見つけられるとは、俺も堕ちたな」

「違います、一さんが呼んでくださったんです!」

「そうか……」

当たり前のように会話をする二人。
斎藤がおもむろに夢主の顔に触れて、じっくりと眺めた。

「どうしたんですか……」

「記憶がある。お前にも、俺にも。お前がかつて現れた時は違った」

「ぁ……」

「嬉しいんだよ」

何より嬉しい再会だ。
斎藤は再び夢主を抱きしめた。
体中でお前を確かめたい。斎藤は己の中で滾る望みを鎮め、そっと唇を重ねた。優しく何度か触れて、幻ではないと確かめた。

「今更もう一度生きろと言われているのか、厄介な神だか仏がいるもんだ。これからどうする」

「ふふっ、神様の仕業なのか、不思議なことがあるものですね。これから……どうしましょうか」

体を離した斎藤は、簡潔にこれまでの出来事を夢主に伝えた。
そして町を見つめ、その先にある街道に目を向けた。陸蒸気の駅と線路も見える。時代は進み、方々に道は続いていた。

「旅にでも、出るか」

「えっ」

「ま、何をすべきか、共に考えるか。今夜はお前も一緒に資料室だ」

「えぇっ」

話に出た井上道場に厄介になる気でいた夢主は、驚いて斎藤を見上げた。
署長に話を通すのに都合が良いだろ、と首を傾げられ、夢主は渋々頷いた。
若い体に戻った夫が署内でおかしな行動に出ませんようにと祈る。そんな考えに至る自分に笑いが込み上げてきた。

「ふふ……ふふふっ」

「ご機嫌だな」

「いえっ、ふふっ。ねぇ一さん、明日はみんなに挨拶をして回りましょう。おかしな事になっちゃいました、って」

「そうだな」

「みんなお爺ちゃんになっているでしょうか」

「たった十年だぞ。ジジイじゃない、オッサンだな」

「ふふっ、一さんたら」

弥彦に言われたオッサンという言葉を口にして、斎藤はクククと笑った。
長い時を越えたと思ったが、夢主が傍にいるとたかだか十年と思えるのが面白い。

二人揃っておかしな時間の渦に乗ってしまったのだろうか。
再び突然消えてしまうかもしれない。未来へ飛ぶか、過去へ戻るか、記憶が消えるか残るかも分からない。

「また、と考えるとこうするしかないな」

「一さん……」

斎藤は柄にもなく、夢主の手を取り歩き出した。
また消えてしまってもこれなら一緒だろう、と斎藤がおどけて見せる。
きゅっと夢主が握り返すと、馴染んだ感触に二人から笑みが零れた。
今夜は火鉢などいらない夜になりそうだ。
斎藤の悪戯な思いを知ってか知らずか、夢主は頬を赤らめた。
 
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