-短篇

明】しょくらあと
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「でもチョコレートなんてお高いんじゃ……」

「気にするな、今日は仕事で横浜に行ってきたんだよ」

どうってコトないと言う斎藤は目を伏せて、夢主の喜びを味わっている。少し得意気に、口端が上がっている。

「横浜っ、遠くまで行かれたんですね」

「陸蒸気に乗ったさ。瓦斯燈は見事だったな」

「だからあんな臭いがしたんですね。凄い、私もいつか乗ってみたいです。横浜の瓦斯燈、見てみたいな……」

「まぁ、そのうちにな」

行灯の明かりとは比べ物にならない眩しい光は、まさに新時代を照らす光なのだろう。
いつか夢主にも見せてやりたいものだ。
斎藤は自分にとっての光である夢主を見つめながら、日が暮れた横浜の町を思い出した。

「楽しみにしています! って、えぇっ、もしかして経費で買われたんですか!」

「横浜の町を調べて把握するのが仕事だ。そこに売っている物を見たり買うこともな」

「そうなんですか……大丈夫ならいいんですけど……あ、一さんも食べてみてくださいよ、美味しいですよ」

「フン、俺はいいさ。甘いんだろう」

お前が気に入ればそれで良いと断る斎藤は、とても楽しげだ。珍しい目元の緩みが、機嫌の良さを表していた。

「そうですけど……そうだ、苦いチョコレートもあるんですよ。今は苦いのが主流なのかな、これみたいに甘い物かな……」

「ほぅ。それはお前好みのようだな、良かった」

「ふふっ、ありがとうございます。そう言っていただけると……嬉しいです」

自分の為に心を砕いてくれた。夢主は微笑んだ後、再び口を手で覆い、口内に残るしょくらあとの名残を舌で密かに味わった。久しく味わっていなかった、独特の甘味。舌先で溶けるしょくらあとは、幸せが溶け出すような感覚をくれる。

「でも折角なので、一さんもひとつくらい……」

斎藤の文机に置かれた箱を覗けば、まだしょくらあとが見える。この幸せの味を知って損は無いはずだ。何せ、調べて把握するのが仕事と言っていた。
何度か勧めるが、斎藤はいらんものはいらん、とばかりに話題を変えた。その様子に興味の無さを感じて、夢主も諦めた。

「しょくらあとと言えば、少し前まで薬として用いられたんだってな。お前なら知っているか」

「そうなんですか、それは知りませんでした」

「栄養補給、滋養の為や、もうひとつ」

「もうひとつですか?」

栄養補給、滋養に、もうひとつ。
小さな粒に沢山の薬効が詰まっている。夢主は興味津々で居住まいを正した。

「あぁ、栄養補給、滋養ともうひとつ」

「はいっ」

「媚薬、だそうだ」

「ぇっ」

斎藤は膳を押しのけ夢主に一気に迫り、姿勢を崩す夢主の背に手を添えた。倒れかかった体を支え、顔を近付ける。

「俺は、お前に媚薬を盛ってしまったらしい」

斎藤は腕の中で夢主が真っ赤に染まる反応を愉しんだ。首を傾げて、煽るように見つめてみる。油断していた夢主は無抵抗だ。見つめる斎藤の目が、にやりと吊り上がった。

「さぁ、どうするか……俺はいけないコトをしてしまったな」

「もっ……一さんてば……」

「味見をしてみろと言っていたな、折角だ、残り香ならぬ後味の味見だ」

「っふ……」

唇が重なり、斎藤の舌が夢主の唇を抉じ開けた。
腕に抱かれたから覚悟はしたけれど……。夢主は体を預ける斎藤に委ねるしかなく、口内を探るように愉しげに動く斎藤の舌に弄ばれた。先ほど、舌で口に残るしょくらあとを舐めてしまった夢主は、自らの食い意地を後悔していた。斎藤の舌は執拗に残されたしょくらあとを探している。

「っ……も、もぅっ、」

「フッ、美味いな」

「やめっ、やめてくださいっ」

夢主の口内を味わい尽くした斎藤が顔を離す。美味いと言ったのは、しょくらあとの味ではない。
ちろりと口角を舐めて舌を見せつける斎藤を恥らって、夢主は目の前の大きな体を押し退けようとした。

「何だ、嫌か」

「だってその……口の中、ですよ……」

「何かを探るのは俺の得意だろう」

ククッ。斎藤が喉を鳴らして笑うと、夢主はますます顔を赤くした。

「それは、お仕事のお話ですっ!」

「そんなに照れることは無かろう、ほら」

「もぅっ駄目です」

再び引き寄せようとする斎藤を、夢主が何とか押し返していると、急に斎藤の力が弱まった。
夢主の体がすっぽり抜ける。倒れそうになり、夢主が慌てる間に斎藤はくるりと背を見せ、何やら素早く済ませて夢主に向き直った。

斎藤と目が合った夢主は、思わず眉根を寄せた。

「一さんっっ」

薄ら開かれた斎藤の口、見える舌先には、しょくらあと。
夢主は、斎藤が見せつけた二つ目のしょくらあとを、押し込まれた。



「しょくらあと……いい品だな。またいつか買って来てやる」

「しっ、知りませんっ!」

口に残る甘い香りを漂わせて怒る夢主を、斎藤は嬉しそうに見つめている。
机に置かれた箱には、まだ幾つかの"しょくらあと"が残っていた。
 
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