-短篇

幕】斎藤さんの励まし
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「その指、どうした」

斎藤は短く驚いた。
前川家の勝手元へ手伝いに行った夢主が、指先に包帯を巻いて戻ってきた。
利き手である右手、覆われていない親指だけが申し訳なさそうに動いている。
無傷の左手が庇うように右手を支えていた。

「大切なお皿を……立て続けにお皿を割ってしまって……片付けようとしたら怪我を……手当までして頂いて、私……」

暫くの間、夢主は勝手元に来なくていいと言われた。
もちろん怪我を案じてのこと。
頭では分かっていても、失敗を重ねた夢主は落ち込んでいた。
まるで厄介払いでもされたように沈んでいる。今にも泣き出しそうな顔をしていた。

そんな顔をするな、屋敷の者達はそんなことを思う人間ではない。
斎藤は言ってやりたかったが、夢主もそんなことは承知で、己の不甲斐なさに落ち込んでいるだけに過ぎない。

ここで責める言葉を口にしてはならないと、斎藤は唇を引き締めた。
以前にも言い過ぎて夢主を泣かせてしまったことがある。斎藤は密かに後悔していた。
必死に気を張り生きている女を、何も考えず遊び歩く隊士と同等に叱責してしまったあの日。
特別扱いはしまいと考えるが故、厳しく当たってしまったのだ。

「来い」

「ぇ……」

「散歩だ。どうせ手伝いが出来んのだ、いいだろう、付き合え」

「ぁ……はぃ……わかりました」

肩を落としたまま、夢主は俯きがちに頷いた。
今の自分に出来ることはそれぐらいとでも言いたげな姿。
堪らず斎藤が太い息を吐くと、夢主がビクと肩を弾ませた。

「お前を責める溜め息ではない。行くぞ」

悲しい顔をこれ以上見てはおれんと、斎藤は夢主に背を向けて歩き出した。
後ろをついて来る気配を確認し、壬生寺まで足を進めた。

「待ってろ」

斎藤はそう言って、夢主を広い境内の真ん中に留めた。
誰もいない広い場所に一人取り残され、不安を感じた夢主。
待つしか出来ず、境内の隅を目指す斎藤を見つめていると、すぐにその姿はこちらを向いて戻ってきた。

「ほら、気休めになるだろう」

一輪の花を、斎藤は摘んで戻って来た。
花が好きな夢主は、思わぬ贈り物に頬を緩ませた。巻かれた包帯も気にせず、花に手を伸ばす。

「ありがとうございます……っ」

花を受け取った夢主の顔が歪み、手から花が落ちる。
咄嗟に花を拾い上げようとする夢主を、斎藤は止めた。

「そんなに痛むのか、すまない。良かれと思ったが」

「いえ、嬉しいです。でもせっかくのお花……」

「阿呆、俺が拾う。それより、掴むのが痛むほどの傷なのか」

斎藤は包帯が巻かれた夢主の指先を己に向けた。
傷に触れては痛みが走る。だが具合が知りたいと、手を添えて指先を見つめた。

「違うんです、傷の場所が悪いだけでたいした傷では……ご迷惑おかけして本当にごめんなさい……」

「謝ることは無い、何も考えずに花など、悪かった」

斎藤が花を拾うと、夢主は傷の無い手で受け取った。

「新しい花を摘んで来るか、砂がついたな」

落ちた拍子に花の形も崩れてしまった。
繊細な花を摘んでしまったものだと、斎藤はまずい選択を重ねた己に、心の中で溜め息を吐いた。

「いいえ、このお花がいいです。斎藤さんが摘んでくださったお花」

ふふっと微笑む夢主は幾分か元気を取り戻していた。
歪んだ花を両手で持ち直し、大切そうに見つめた後、遠慮がちに斎藤を見上げた。

「その、斎藤さんがわざわざ……選んでくださったお花ですから……」

私の為に……
最後まで言えずに言葉を濁して首を傾げると、斎藤は夢主の手から花を抜き取った。

「無理するな」

「あっ」

手から花が離れ、瞬間的に悲しい顔を見せる夢主。
斎藤が取り上げる形になってしまい、夢主の手が花を追いかけた。
巻かれた包帯で動きを制限された痛々しい手。
斎藤はそっとその手に触れた。

「安心しろ、花は屯所まで俺が持ち帰る」

「あ……ありがとうございます」

突然重なった大きな手に驚いて、夢主は頬を染めた。
花を預け、手を引くと少しだけ傷がじんじんと疼く。痛みではなく、触れられた名残だった。

「傷が治るまで無理する必要はない。いい機会だと思って休め。それほどお前は働いている」

「えっ……でも私……」

「働いている。断言してやる。何なら命令だ、休め」

「はっ、はぃ……」

「不服か」

「いえっ、とんでもありません……ただ……お気遣い、ありがとうございます……」

居候の身で休息を頂けるなんて。
恐縮した夢主が、嬉しそうに微笑んだ。
労わってくれる斎藤の存在が、心から嬉しかった。

「フン」

「斎藤さん、お優しいです……」

漏れてしまった本音。

「んんっ」

斎藤は大袈裟な咳払いをして、夢主に背を向けた。
そんなことが言えるなら気晴らしも十分だろうと、屯所へ戻るべく歩き始めた。

傷がそこまで痛むとは思わなかったし、花一つでそこまで喜ぶとも思わなかった。
ふふっと聞こえる愛らしい声。
背後にあるご機嫌な気配を、斎藤はフッと小さく笑った。
 
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