-短篇
□明】肌の触りの記憶に触れて
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覚悟を決めたのか、夢主は自らの指先にたっぷりと薬を取った。
それを俺に塗り込んでいく。
包むように撫でながら、無難な仕草で手の甲から指先へ、表も裏も行き来する。余程意識しているのか、照れた様子は見せない。
ところが、夢主はすぐに固まってしまった。
薬を塗るなんざ一瞬で終わる。これ以上どうしていいか分からないのだろう。
それで終いか、俺は誘うように夢主の指の間を割って撫でた。
「あぁっ、もう、指を動かさないでください」
「駄目か」
「塗りにくいです」
「もう終いだと思ったが」
「ま、まだですっ」
それに、何か厭らしいですよ。
夢主は、聞かせたいのか否か判断し兼ねる小声で呟いた。
「ほら、続きがあるんだろう、頼むぜ」
「は、はぃ……」
困った夢主は、更に薬を追加した。
これ以上塗りたくってどうする気だ。これでは手袋をする気になれん。
俺は言いたいのを堪えて見守った。
強情になったお前は、今度は爪の先から付け根に向かい、指を摘まむように薬を塗り込み始めた。
遠い昔に施された按摩もどきを思い出す。悪くない刺激だ。俺は黙って見守り続けた。
左右ともに五本の指を一本ずつ、先の宣言通り丁寧な行為。
時間稼ぎとも捉えられるが、必死な姿は何とも言えぬ好さがある。
「フッ」
「な、なんですか」
警戒は続いていたのか、俺が漏らした息に過剰に反応を示す。
夢主の手はピクリと止まった。
「そう構えずとも良かろう」
「だって、いつも厭らしいことする一さんがいけないんですよ」
「厭らしいこと、ね」
自業自得か、ククッ。
自嘲気味に喉を鳴らすと、夢主の顔に陰りが見えた。言い過ぎたと自省したのか、どうやら俺を気遣っているらしい。
突き放しておいてそんな顔を見せるとは、なかなかどうして、無意識に煽ってくれる。
「俺はあの按摩もどきを思い出していたんだが。覚えているだろう」
「按摩……マッサージですね、そういえば最近していません。良かったら今……忙しくて体も強張っているのでは」
「大丈夫だ、もう行かねばならんのでな」
「そうなんですか……」
「お前、少しほっとしただろ」
「そんなつもりはっ、……ちょっとだけ、だって朝から、その……困るじゃありませんか」
朝から、何だ。随分と厭らしいことを望んでいるな。ただの想像では無いんだろう。
動きを止めた夢主の手が、小さく動いた。その場で何かを掴む仕草を見せる。手の中にあるのは恥じらいか、もじもじと何もない空間を弄っている。
「ま、続きは今夜だな」
「なななっ、何の続きですか、大丈夫ですから、お仕事専念なさってください」
「今はこれだけだ」
「あっ」
咄嗟に何かを悟り慌てた夢主を、俺は逃さなかった。
とは言っても、本当に戻らねばならない。
掴んだのは手だ。異様に塗りたくられた薬、正直邪魔になるほど塗られた。
俺は過分を夢主に移そうと、手を握りしめた。
「一さんっ、駄目ですよ」
「阿呆、薬をお前に移すだけだ、逃げるな。お前が塗る手間が省けるだろ」
自分でもやり過ぎた自覚があったのか、夢主の体は逃げるものの、手は大人しく俺に預けている。
「……そうですね、ちょっと多かったかもしれません」
「大分、だ」
俺は先程阻止された、指の間への侵入を試みた。
細い指の間、五指で掴んでは離して、薬を移しながら指の間を下りていく。
手の甲に指が届くのは、すぐだった。もう夢主の指は閉じようがない。
俺は手を握り、掌を擦り合わせた。薄い手だ、同時に指の腹で手の甲を強く押してみる。
すると夢主は恥ずかしそうに目を伏せた。
「一さん、もう大丈夫です、あの、ちょっと痛いです」
「悪い、力が過ぎたか」
少々やり過ぎた。が、お前の手は見るからに柔らかな肌に変わっている。
これは体中に施して見たくなるな。俺は口にすれば怒られる妄言を心で呟き、笑った。
お前は解放された手を擦り、肌の変化を確かめてから、本当に痛んだのか、慰めるように何度か撫でている。
「大丈夫か」
「はい、すべすべになりました。ちょっと疑ってたんですよ、ふふっ、ごめんなさい」
「全く阿呆が」
その警戒、解くには少々早過ぎたな。
俺は躊躇いなく夢主に口づけた。
出立前の挨拶だ。
お前から潤いを受けた手でお前の頬に触れ、髪をすくい、そのまま後ろに手を流す。逃れられぬようお前を引き寄せて口づけ、お前が驚くさまを感じ取った。
それから俺は、夢主が俺を信じたことを後悔する程度には厭らしく、執拗い口づけを繰り返した。