斎藤一明治夢物語 妻奉公
□4.上野の山
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夢主は目覚めると、斎藤の文机に積み上げたままの荷物が目に入った。
「一さん・・・帰らなかったんだ・・・」
「おい」
「ひゃぁっ!一さん!」
気付けば温かい体が背中に寄り添っていた。
遅くなっても家に戻ってくれたと思うだけで気持ちが晴れるのが不思議だ。
「後ろからでは、お前は話し掛けんと分からんのだな」
「いえ、そんなことは無いと思うんですけど・・・ただ起きたばかりでぼーっとしてて・・・」
「それとも、こうした方がいいか」
「やっ、一さんっ!」
後ろからするりと大きな手が伸びてきて夢主の体をくすぐった。
胸の膨らみに手が到達する前になんとか止めると、斎藤は残念そうに笑った。
「フフン、まぁいいだろう。それで、昨日は何があった」
「えっ、昨日は・・・」
夢主から手を離して起き上がった斎藤に合わせ、夢主もゆっくりと体を起こした。
「沖田君と買い出しに行って何かあったんだろう、聞いたぞ」
「それは・・・」
・・・雪代縁。一さんには話せない、うぅん、話すべきなのかな・・・でも・・・
「うぅ・・・っと、忘れちゃいました、へへっ・・・」
「ほぉぅ」
「その・・・買う物が多くて、頭が一杯になっちゃって」
「成る程な。まぁいいだろう。お前が忘れたというのなら忘れたんだろう」
フンと鼻をならして顔を逸らした。もちろん分かり易過ぎる嘘など見抜いている。
だが無理に言わせても意味が無い。斎藤は夢主に合わせて話を終わらせた。
「買い出しすまなかったな。一度に揃えずとも良かったものを」
「でも、お店が並んでいたので揃えられたんですよ」
「そうか。まぁ、あとは買った物は押入れにでも入れておいてくれると助かるな」
「はっ、すみません気が付かなくて・・・」
「構わんさ、買った物が良く分かっていいが、お前を信頼しているからな。買ったとさえ伝えてくれれば、そのまま片付けてくれればいいさ」
「はい」
斎藤の役に立てたと笑顔で首を傾げると、斎藤はその顔を見て「そうだ」と口を開いた。
「それから一つ、これからはお前も苗字を名乗れよ」
「苗字を」
確かに今まで苗字は名乗っていなかった。
斎藤と夫婦になるなら当然、藤田夢主になるのでは。
首を傾げたが、ふと思い当たる節に首を戻した。
「あぁ・・・夫婦別姓・・・そっか、まだこの時代は・・・」
「なんだ」
「いえっ、苗字・・・何でもいいのですか」
「まぁ何でも構わんが面倒だろう、何か付けたい名でもあるのか」
「あのっ、斎藤がいいですっ!斎藤・・・夢主・・・」
「阿呆!斎藤は駄目だ」
短く怒鳴って斎藤は顔を逸らしてしまった。
冗談のつもりだったが、夢主の肩がビクリと動く。
「どうして駄目なんですか・・・」
「・・・」
「私、大好きです。斎藤さんのお名前・・・今でも斎藤さんって呼びたくなる時があります」
「フン、好きにすればいい。だが苗字は駄目だ!お前には危な過ぎる」
「私には・・・」
「着る物が変わり髪型も変わった。制帽を深くかぶれば知っていても気付かない者もいるだろう。だが・・・斎藤の名を目に、耳にすれば気付いてしまう」
「だから駄目なんですか」
「そうだ。俺は構わんさ、だがお前には危険過ぎると言ってるんだよ。維新以前の幕命で為した仕事に罪を問わずとも、俺を憎く思う奴らは今でもいるだろう」
「わかりました・・・」
「あぁ。頼むから、俺と同じ藤田でいろ」
「藤田・・・」
「嫌か」
名前の出所を知る夢主は嫌かと顔色を窺うが、夢主はニコリと首を振った。
「いいえ、嬉しいです。同じ名前・・・一さんの・・・お嫁さんなんだなって思えます」
「んんっ、まぁ、そういう事だ」
照れ隠しの咳払いを夢主はクスクスと笑った。