斎藤一明治夢物語 妻奉公

□7.蛍火
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「手を出してみろ」

「えっ・・・」

光の舞いに見惚れる夢主に、斎藤がそっと身を寄せて小声で告げた。

「蛍が止まってくれるぞ」

「・・・でも・・・少し怖いです」

「怖い?」

「綺麗だけど手に止まるのは・・・」

美しい蛍もそれなりの虫、興味はあり手を伸ばしたい気持ちもあるが躊躇してしまう。
戸惑いを察した斎藤が、ならば代わりにと、すぅっと手を伸ばした。蛍が止まりやすいよう指先を水面に向ける。
見守っていると、やがて一匹の蛍がふぅっと真っ直ぐ寄って来た。そしてすらりと長い指先に降りて止まった。

「ぁ・・・」

二人の近くを飛ぶ蛍は警戒心が無い。
止まるかもしれないと思ったが本当にやって来るとは。
夢主が驚き口元を隠すと、斎藤は夢主が見やすいようゆっくりと手を上げた。
目の前で美しく瞬く蛍、幾度が瞬きを繰り返してやがて飛び去った。

「凄いです・・・」

「フッ、月明かりが弱い今夜は見事だな」

「はぃ・・・」

顔を上げれば深い夜空に細い月が浮かんでいる。
目を落として見える斎藤の瞳は、今宵は細い月明かりと蛍の光、この二つの輝きを美しく妖しげに映している。

「蛍が何の為に光るかは知っているか」

「はい、蛍の光は・・・求愛の為・・・」

「そうだ、よく知っているな。求愛の為、雄も雌も光るがこうして飛び回り強く輝くのは雄・・・」

斎藤は求愛の光の舞に目をやった。
よく見れば確かに飛び回る光と、じっと動かない光に分かれている。

「雌は小さな光で雄を待ち、雄は己の命を燃やして強く輝き、雌に示して惹き付ける。お前も惹き付けられたようだな」

「一さん・・・」

川から妻へ目を戻した斎藤は、蛍の輝きに目を奪われているその瞳に己を映そうと、きらきらと輝く視界に入り込んだ。

「雌を引きつけた雄は、そのもとへ飛んで行き・・・・・・後は、分かるだろう」

斎藤が顔を寄せれば、夢主の視界には斎藤の黄金色の瞳しか映らない。
飛び交う蛍の光を映すのか、時折斎藤の瞳の色が強く輝いた。

「私が惹かれているのは・・・蛍じゃなくて一さんです・・・」

「そうか」

悪戯な顔で言い、夢主に向かい一度まばたきをして首を傾げると、斎藤の前髪が大きく揺れた。
その動きに惹かれ見惚れていると、細い体に大きな手が回り、顔がそっと近付いてきた。

「一さん、ここっ・・・往来です・・・人が」

「人など・・・おらん」

「ぁっ・・・」

虫達の求愛の光に魅せられたのか、斎藤は夢主の体を引き寄せると、一気に唇を重ねた。

二人の唇が言葉を失い求め合うと、耳には再び川のせせらぎの音が蘇ってきた。
綺麗な水音に薄らと瞼を開けば、美しい黄色い輝きが先程よりも激しく飛び交っている。

相手を求めて飛び回る光に、夢主の胸は焦がれた。
求めて求めて必死に舞う光に、ただ待つことしか出来ない小さな光、どちらも儚く瞬いている。

・・・まるで待つことしか出来なかった昔の自分のよう・・・何度も求めてくれた、この人のよう・・・

もう一度目を閉じて光を断つと、斎藤の熱だけが伝わってくる。
決して激しくはせず、ゆっくりと何度も求めてくる斎藤の口付けに、夢主は委ねるように応じた。

やがて想いを果たしたのか斎藤は唇を離すと、今度は夢主の体をしっかりと抱きしめた。

「一さん・・・」

何も応えずただ静かに体を包む斎藤。
暫くしてようやく口を開き、低く小さな声で呟いた。

「美しいな・・・」

「・・・はぃ・・・」

ふと力が抜けた腕を解き体を離せば、自ずと目が合い優しい微笑が返ってきた。
滅多に見せてもらえぬ表情に夢主の胸は激しく高鳴った。

「あの、もう少しここに・・・」

「あぁ」

光の乱舞の中で二人は身を寄せ、虫達の求愛の明かりが落ち着くまで静かに佇み見守った。
今宵の求愛乱舞でいくつの"つがい"が生まれたのだろうか。

「一さん・・・」

前を向いたまま名を呼ばれ、そっと顔を向ければ、夢主が瞳を潤ませて唇を震わせている。

「・・・見つけてくださって、ありがとうございます。私の・・・小さな光・・・」

「阿呆ぅ」

・・・見つけたのはお前の方だろう、俺のもとへ来てくれたのは・・・

耳元で斎藤が囁き、夢主はふふっと笑って目尻を拭った。
夢主と斎藤は互いの瞳の輝きを見つめた。激動の明治に於いても互いの光を見失うことはないだろう。
出逢えた喜びと共に生きられる幸せに二人は満ちていた。
 
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