斎藤一明治夢物語 妻奉公

□9.思い出の朱景色
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浅草は浅草寺の向こうにそびえる塀が遊郭、吉原の囲いだ。
外界と妓達を隔てる塀は長く続き、一つの町を作っていた。
番所がある大門をくぐり踏み入れる遊里は突然現れた別世界、鮮やかで絢爛な世界が広がっている。

大門付近に建つのは一階二階と層を成す立派な大妓楼。
どこもかしこも目に付くのが、やけに艶やかな朱塗り格子。遊女を眺める為の見世格子だ。ここを覗いて気に入った妓がいれば晴れて指名となる。
中央の大通りに掘られた細い用水路、上には板が置かれ手桶も置かれている。過去の大火に得た教訓だ。

「沖田さん、お願いですからもう少し早く来てくださいな、夜見世始まってすぐでしたら色々と手回し致しますのに」

「井上です」

「申し訳ない、井上さん」

親しげに沖田と話すのはとある妓楼の主、楼主の男だ。沖田はその名で呼ばないでくれと言い直させた。
間に必ず引手茶屋を通す格式ある大きな妓楼もあるが、沖田が今いるこの妓楼はいわゆる中見世、直接客の登楼が許される。

「いいんですよ手回しなんて。誰でもいいんです・・・部屋持さん空いてるかな」

「おりますけど、そろそろ贔屓の妓は決まりませんか」

「贔屓さんねぇ・・・決める気が無いんですよ。・・・面倒でしょう」

くすりと首を傾げる屈託の無い笑顔は若男のようだ。
その笑顔に慣れているのか、楼主の男は惑わされること無く深い溜め息を吐いた。

「そんなことを仰って・・・大坂で助けていただいた命の恩人ですからあまり言いたくはありませんけども、先日井上さんに買って欲しいと妓達が喧嘩しましてな、あんさんのせいでっせ」

「あははっ、懐かしいな大坂の言葉」

「笑いごとやないで、お願いしますわ」

ひそひそと話すのは楼閣の一階、内所と呼ばれる座敷だ。
座敷には遊女が客を取る二階へ上がる為の階段がある。楼主が客や妓の上り下りに目を光らせる為、店の主夫婦が過ごす場所に階段が設けられている。
今は妻が席を外し、楼主と沖田の二人きりだ。この楼主が客とこの場でこれほど話し込むのは珍しかった。

「そればかりは駄目ですよ。情が移るのが嫌なんです。僕も、女の子からもね」

「それが商売ですのに・・・仕方ありませんなぁ、案内しますから刀お預かり致します」

「はいはい、宜しくお願いします」

贔屓の相手を決めて通ってくれれば大いにありがたい。毎度妓を変えるのはなかなか厄介な客だ。
だが幕末の頃に大坂で賊から命を救われた義理堅い楼主は、沖田を贔屓客として扱っていた。
楼主はやれやれと肩を落として若い衆を呼び、沖田から刀を預かった。
どれほどの大大名でも刀は預けて登楼しなければならない。京でも大坂でも、ここ吉原でも仕来たりは同じだった。

刀を預けた沖田はご機嫌な顔で二階へ案内され、こじんまりとした座敷に通された。
小さいながらも綺麗な調度品が整えられ、何より大通りが覗ける窓があるのが、この座敷の良い所だ。
すぐにお酒とつまみになるものが運ばれてきた。煙草盆も置かれているが、吉原に来て一度も手をつけていない。

「この景色、好きだな・・・」

沖田は窓に寄りかかり、格子の隙間から外を覗いた。
吉原は外の通りも妓楼の中も沢山の明かりで照らされている。夜になっても光を失わない。
妓楼の天井には八間と呼ばれる釣り行灯が並び、外に出れば軒下の並ぶ赤い提灯と行灯の橙の光が、妖しげにうたかたの夢の町を照らしている。
やがて一人の妓が部屋に入ってきた。淋しげな瞳で沖田はその姿を目に入れた。

・・・二度目に見る子、かな・・・

挨拶を受けた沖田は差しさわりの無い笑顔で会釈し、また窓の外に視線を落とした。
妓は沖田のそばに控えて、このお客、旦那のこの笑顔も二度目と、外を覗く淋しげな横顔を見守っている。

「そのまま好きに休んでいいよ」

初回の夜に告げられた言葉を覚えていた。だから妓は何も言われずとも口を閉じて控えていた。
賑やかな吉原の通りは眺めていて飽きない。沖田はいつの間にか優しく微笑んでいた。
 
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