斎藤一明治夢物語 妻奉公

□9.思い出の朱景色
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「急いで上がろうと思ったのに・・・」

怖さから音に気を取られてばかりで、吹き付ける風の音と雨戸や裏口の戸が立てる音を聞きながら、湯船でぼんやりしてしまった。
急いで出ると台所に洗って伏せた器が並んでいた。

「本当に洗ってくれたんだ・・・」

寝間に入ると斎藤が本当に布団に入り待っていた。

「温めてやったぞ、来い」

「ふふっ、一さんったら・・・面白い」

「そうか」

お道化て薄い夏の布団を捲る斎藤。夢主は中に身を滑らせて、自分から身を寄せた。

「くっついてもいいですか、今日は・・・」

「構わんさ、幾らでも」

「あぁっ、今日は本当にそういうのは無しです!怖くてそんな気になれません」

するすると伸びてきた斎藤の指先に夢主は驚き背を反らせた。

「ほぅ、それは仕方が無いな」

諦めたよと告げる言葉に反し、斎藤は夢主の腰にしっかりと手を置いた。
触れられて肌の奥からぞくりと不思議な痺れが走るが、夢主は困った声で訴えた。

「駄目ですよ・・・明日、もしお帰りが早ければ・・・いいですけど・・・」

すぐそばで大きな物が倒れる音がして、夢主は斎藤の胸にしがみ付くよう身を縮めた。
鳴り止まない雨音がごつごつと聞こえ、吹き付ける風も信じられないほど激しい音を立てている。
今、求められても応えられる自信が無かった。それでもきっと優しく愛してくれるのだろうが・・・夢主は斎藤の胸で縮こまっている。

「明日か、いいだろう。ほら、そう怖がるな・・・」

その場凌ぎの夢主の言葉を斎藤は素直に受け入れた。本当に明日も早く帰る気なのだろう。
優しい声に顔を上げると、不安など微塵も感じていない頼もしい顔が見えた。

「一さんは怖くありませんか」

「嵐がか、怖くは無いな」

会津の戦、御堂で大砲を打ち込まれた時の方が余程命の危険を感じた。煙と土埃で遮られた視界の中を飛び散る木片に石つぶて、背中に傷を負ったのもその時だ。
フッと小さく笑うが、とても理由は説明出来まい。大砲よりましだと言えば、昔話だろうが夢主はまた辛そうに瞳を揺らすだろう。

「一さんはお強いですね・・・」

「お前は子供みたいだな」

「もぅっ・・・」

子供のようだと言われ拗ねるが、今はそれでも構わないと大きな胸に甘えていた。
先程好きだろうと指摘された斎藤の匂いを感じながら、分厚い胸に温められている。

「一さんは・・・吉原に行った事はあるのですか」

「何だ突然」

「深い意味は無いんです・・・ただ、行った事があるのかなぁって・・・」

優しい夫、女の扱いに慣れている夫。慰められるうちにふと先程の沖田の話を思い出した。
吉原、遊郭、遊女。
斎藤は関わった事があるのだろうか。この温もりを味わった妓がかつて吉原にいたのだろうかと、答えて欲しくない問い掛けをして目を合わせた。

「どうだったか、忘れちまったな」

「本当ですか・・・あるんじゃありませんか、だって島原ではその・・・馴染みの方がいらっしゃったじゃありませんか」

「随分と古い話を持ち出したな。確かにいたが、それがどうした」

「別に責めたいわけじゃないんですよ、ただ一さんは・・・どんな気持ちで通ってたのかなぁ・・・って・・・総司さんは今、どんなおつもりなのかなって思っただけで・・・」

「・・・沖田君は分からんが、俺は本当にただの遊びだったさ。若い男がそんな事を望むのは分かっちゃくれまいか」

斎藤が嫌な想いをさせた昔を物柔らかい声で詫びると、夢主は小さくコクンと頷いた。

「わかります・・・いぇ、わかりはしませんが・・・仕方が無いんだろうなってのは・・・総司さんはどうなんだろうって今はそれが気になって」

「訊いてみればすっきりするだろう」

「はぃ・・・」

大きな音が鳴る度にびくりと跳ねる夢主の肩を見ていた斎藤が、ゆっくりと頭を撫で始めた。

「一さん・・・」

「いいから、お前が寝るまで起きていてやる。先に寝ろ」

「はぃ・・・一さんっ」

「何だ」

「・・・ありがとうございます。その・・・大好きですっ」

こんなに優しく慈しんでくれる貴方が・・・
目を見つめて一言告げ、夢主は顔を隠してしまった。

「フッ、言い逃げか」

無言で小さく頷く頭を、斎藤はゆっくりと撫で続けた。
強く激しくなる外の嵐とは裏腹に、夢主は優しく穏やかな温もりの中、眠りについた。
 
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