斎藤一明治夢物語 妻奉公
□40.相楽左之助
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「まだ明るいけどよ、見通しのいい道を行こうぜ」
土手に上がると、沈みゆく夕日に映える川面は茜色に揺れている。
静かな川べりを歩いて感じる予感。この道は左之助にとっても運命の道になるかもしれない。
元維新志士の剣心と闘い、想いにけじめをつける場所。
やがて二人は支流を遡るように道を折れた。
いつしか土手は無くなり、すぐそばを小さな川が流れている。川面は色を潜め、月明かりを僅かに照り返していた。
「相楽さん・・・」
「なんでぃ、くすぐってぇな。左之助でいいって言っただろ、左之とか左之助って呼んでくれよ」
「あの、左之助さん・・・相楽って・・・」
「あぁ相楽、いい名前だろう。師である男から貰った名前さ」
「師・・・」
「あぁ。もう死んじまったけどな」
「・・・」
相楽隊長・・・何でもない話のように簡潔に終わらせて、二人は口を閉ざした。
暫く続いた無言の道中、夢主の道案内で沖田の道場へ戻ってきた。
「道場・・・」
「えぇ、空き道場を借りているだけなんですけど、形だけでも道場に」
古くて簡素だがしっかりした門構え、掲げられた看板だけが新しい。
左之助は小暗い中、初めて見る看板をしげしげと眺めた。
仮にも喧嘩屋、相手になりそうな町の強者は知っているつもりだ。
「井上道場、聞いたことねぇな」
「そうだと思います。無名ですので・・・左之助さんは何処に、いつも何処にいらっしゃるんですか」
「俺の家は町外れの破落戸長屋だ。胡散臭いと思うかもしれねぇが、住んでんのはイイ奴らばっかだぜ。会いたくなったら来るといい」
「いいんでしょうか・・・」
「あぁ。懐かしい顔なんだろう、代わりじゃねぇが、話し相手くらいならなってやるぜ。稼業も栄えてるからな、奢ってやるぜ」
「ふふっ、本当ですか」
喧嘩稼業なんでしょう、言いたくなるがグッと堪えてクスクスと笑った。
気を張って淋しさを抑える日が続いたが、今日は久しぶりに心からの感情を出すことが出来た。
笑って、泣いて、忘れていた淋しさも思い出して。
「左之助さん、本当にありがとうございます。お酒飲んだのも久しぶりですし、こんなに素直に泣いたり笑ったのも久しぶりです」
「良かったな」
ぽん・・・頭に大きな手の平が乗せられ、夢主は目を丸くした。
顔が熱くなっていくのを感じる。
・・・一緒だなんて・・・こんな仕草まで・・・不思議な人、左之助さん・・・
驚く表情に慌てて左之助は手を引いた。
「っその、本当にまた、な」
「はぃ・・・」
すっかり日が暮れてしまい静かな時間が流れている。
静けさに気付いた二人は互いの姿を凝視できなくなり、和やかだった空気が強張ったものになった。
「じゃ、じゃあな・・・あばよ」
「はい・・・あの、ありがとうございました。・・・楽しかったです」
「おぅよ、俺も・・・楽しかったぜ」
左之助は小声で返すと足早に去って行った。
「本当に楽しかった・・・ありがとうございます・・・」
一人になり溢した言葉。
あの人が斎藤と強い繋がりを築くなど想像もつかない。
拳をぶつけ、それから共闘するなど。
同じ夜空の下、斎藤は既に戦地に立っているのだろうか。
夢主は暗い夜道に立っているのを思い出し、急いで我が家へ戻って行った。
夫婦の住まう家、今は夢主だけの息遣いが響いている。