斎藤一京都夢物語 妾奉公
□96.橙の祇園
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「そろそろ、俺は行かねば・・・伊東さんもお前を捜している。祇園の噂でお前がこの祭に乗じて姿を現すのではと踏んでな」
「伊東さんが・・・分かりました・・・」
「策は成功だったな、フッ。お前はいなかったと伝えよう。それで俺もまた暫く祇園に通えると言う訳だ」
「もぅっ、斎藤さんたら・・・」
「拗ねるなよ」
ククッとおどける斎藤に微笑み返すが、久しぶりに得た幸せな一時が終わってしまう・・・現実に連れ戻されて顔を曇らせた。
切ないが、大切な任務の途中にある斎藤と、このまま寄り添ってはいられない。
夢主の悲しげな瞳に斎藤も名残惜しさを感じた。
「夢主・・・必ず戻って来い」
「はい」
いつもと同じ、以前と同じ約束、必ず生きて再会する・・・夢主は大きく頷いた。
すると斎藤は同じように大きく頷いた後、続きを口にした。
「誰のものにもなるなよ、必ず俺のもとへ・・・戻って来い」
「は・・・はぃっ」
いつもと異なる約束に夢主は声を上ずらせた。
火照っているのが分かるほど夢主の顔は熱かった。
「フッ・・・もう行け」
「はぃっ・・・あ、新津さんを捜さなくちゃ・・・」
「大丈夫だ」
斎藤が顔を動かした方角へ夢主も目を向けると、そこには比古が腕を組んで立っていた。
「いつからっ!」
いつから見られていたのか、照れる余り背伸びをして斎藤にしがみついた。
「あいつはずっと見ていたぞ」
「そうだったんですかっ」
「あぁ」
背伸びをしていつもより少し近付いた真っ赤な顔を、斎藤は見下ろして髪を撫でた。
撫でた手を頬まで下ろし、そっと添える。
夢主は驚いて背伸びを止めた。
「ずっと見ていたな、だから俺は見せ付けてやったのさ」
「えっ・・・」
ニッ・・・頬から顎に手を移すと斎藤は指先で、つと夢主の唇に触れた。
・・・このまま、もっと見せ付けてやりたい所だがな・・・
「あいつに奪われるなよ」
「はっ・・・はぃ」
比古に奪わせるな、斎藤の調子に飲み込まれて、夢主はおかしな約束に真面目に頷いた。
そして斎藤に優しく背を押され、比古のもとへ向かった。
ずっと見守ってくれた比古。振り返ると、斎藤はもう姿を消していた。
「斎藤さん・・・」
斎藤は人混みの中、自分の任務に戻って行った。
「やれやれ・・・」
比古は斎藤からの当て付けのような視線に冷静に対処していた。
再び夢主を預かると、溜息を漏らして歩き出した。
賑やかな祭の音も、橙の明りも遠ざかってゆく。
喧騒から離れて山へ戻る道中、夢主は斎藤と寄り添う姿を見られた恥ずかしさから、俯きがちに歩いていた。
「すみません・・・新津さん・・・」
「あぁっ?もう比古で構わねぇよ。斎藤の野郎、これ見よがしだったな」
「ごめんなさっ・・・」
「お前が謝ることはねぇだろう。まぁいいさ、おかげで俺も整理が付いた」
「整理?」
「何でもないさ、こっちの話だ」
・・・ずっと忘れていた・・・かつて惚れた女、手放してしまった女の面影を・・・
夢主の姿に重ねてしまった比古、斎藤の腕の中で幸せそうに笑う夢主を目に焼き付けて、その想いを落ち着けた。
「お前は惚れた男のもとで幸せにならなければいけない」
「比古師匠・・・?」
遠くの空を見上げて呟いた比古の言葉は夢主の耳には届かず、呼びかけに振り返った比古の顔は、何かを吹っ切ったように清々しいものだった。
「帰ろう」
「はい」
立ち止まってしまった比古は、再び夢主を連れて山を目指し歩き出した。