まかない飯

明】藤田警部補の巡回
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庭を彩る木々の豊かな緑。
温かな昼下がり、一人時を過ごしていた夢主は突然の呼び掛けに驚いた。
聞き覚えのあるような無いような、柔らかな男の声に、夢主は手を止めた。

「ご免下さぁい」

続けて呼ばれ、夢主が乱れた装いを直して呼吸を整えて玄関に急ぐと、見慣れた男がにこやかな顔で立っていた。
弓なりの目は優しさよりも怖さを感じる。

「・・・・・・一さん?」

珍しい日中の帰宅、おかえりなさいと迎え入れようとした夢主は、違和感に首を傾げた。
鍵を開けて入ればよいものを、何故呼び掛けたのか。
扉を開いても入ろうとしないのは何故だろう。

「どうも。お宅から随分とお困りの様子が、声が聞こえましてね。気になりましたので中を改めたいと思いまして。構いませんか」

困った様子と声、指摘された夢主はびくんと肩を弾ませた。湿り気が残る指を隠して、手を握る。
しかし相手は夫。恥ずかしいが、ただの揶揄いの一言だろう。言葉の意味に気付かない振りをしてやり過ごそうと、夢主は壁際により、廊下を空けた。

「一さんの・・・ご自分のお家ですよ、・・・どうぞ」

「それでは、失礼致します」

「あの・・・一さん、どうしたんですか、何だか他人行儀です・・・」

革靴を脱いでよそよそしく上がる警官姿の斎藤に、夢主は堪らず問いかけた。
ん?と、斎藤はにこやかな目を向けて微笑んでいる。

「本官は藤田五郎、ただの警官です」

「藤田・・・五郎さん。五郎さん、あの・・・」

「先程までどちらのお部屋に」

夢主を無視した斎藤は、家の奥に目を向けた。
どうしたものかと不安を感じるが、夢主はいつもの部屋へ導くように廊下を進んだ。

「こ、こちらの部屋です。・・・・・・あの、一さん」

にこり。普段目にしない作り笑顔に夢主の背筋を冷たいものが駆ける。
斎藤は強張る夢主から目を離して部屋を見回した。

「ここで何をしていたんでしょう。困った声の理由をお聞かせください」

「困った声だなんて、私」

「いけませんよ、警察官に嘘をついては」

振り返って迫る斎藤の顔は相変わらずにこにこと笑顔を絶やさないが、夢主はその不自然さに怖さを感じ始めた。
揶揄われていると思ったが、迫る斎藤の圧が冗談の域を越えている。

「あの・・・、どうしたんですか、お仕事は終わりなのですか」

「本官は今、市中見廻り中です。失礼ですが藤田警部補、とでも呼んでいただけましたら」

親しい名で呼ばれても本官は困ります。そんな言い草だ。

「藤田警部補・・・・・・」

「さあ、まずは声を出した原因を探りませんと」

「い、いえっ、私・・・困ってなんていません、大丈夫です。大丈夫ですから、どうぞお仕事に・・・」

斎藤に恥ずかしい声を聞かれたのだと明確に自覚した夢主は顔を赤く染めて、夫を早く仕事場に戻そうと試みた。
こういう時の斎藤のしつこさを知っている。
その気になってしまう前にと、しらを切った。

「いけませんね、警察官に向かって嘘はいけませんよ」

「嘘だなんて」

「それでは、先程の声は一体どういう理由で出ていたのでしょう」

「そっ、それは・・・」

斎藤は既にその気なのか。
その気じゃなければこんな問答を仕掛けてこない。
察した夢主は困惑して目を泳がせた。

「お困りの原因は体にあるのでしょう」

物腰柔らかな口調ながら斎藤の声色が一段下がり、声が体に響いて夢主の顔が一気に熱を帯びる。
思わず一歩退くと、斎藤がゆっくり体を寄せた。
何を考えているか分からない斎藤の怖さと、一人で耽っていた行為への恥ずかしさ。
夢主は着物の袖を弄って混乱する気持ちを落ち着けようとしていた。

「お困りでは」

弓なりの目が開き、向けられる鋭い目から逃れられず、夢主の口が開いてしまう。
小さな声で弱々しいが、真実を述べてしまう。

「さ、淋しかったんです・・・淋しくて・・・」

「それはそれはお気の毒に。淋しくて、どうなさったのです」

「淋しくて、変な気分に・・・だからつい、自分で・・・」

「ご自分で、どうなさいました」

「自分で、体を・・・慰めて・・・いました」

瞳を潤ませて恥らう夢主だが、目の前の絶対的な存在に逆らえず、全てを打ち明けてしまった。
この警官は夢主にとって特別すぎる存在だ。
認めた途端、誤魔化していた熱が急激に蘇る。

「ほぅ、ご自分で、ですか。お辛かったですね」

そう言って、斎藤はつと体を離した。
真面目を装い正座をして、膝に拳を乗せる。にこりと藤田五郎の笑顔を強めて夢主に向けた。
このまま揶揄われる訳ではない。迫られると身構えた夢主は拍子抜けして、つられるように正座した。

「まずは検分しない事には、どうにも対処できませんね」

「検分・・・」

「警官に協力するのは市民の義務ですよ、夢主さん」

何も起こらないと安堵したが間違いだった。
薄っすらと開いた目の奥にぎらつく瞳が光っている。
にこやかとは程遠い光で、夢主の熱を高めていく。
掴み切れない斎藤の本心に戸惑うが、どこか期待している自分もいる。
再び混乱を始めた夢主を、斎藤は容赦なく弄んだ。

「さぁ、淋しさの原因を見せてください。ご自分で慰めねばならなかったのは何処でしょう、本官に見せてください」

「やっ・・・」
 
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