おつまみ

現】いつの時代の朔日か
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【現代の話】

仕事が終わった斎藤は机の上を片付け、薄く四角い皮の鞄に、持ち帰る荷物を詰めていた。
家で確認する書類を入れたファイル、私物のスマートフォン、机に軽く両手をついて、忘れ物が無いかを確認した。

そこへ、ひょいとやって来たのは同僚の沖田。
彼と斎藤は切っても切れない縁があるらしい。

斎藤は鞄を手に歩き出そうとするが、前に回り込んで顔を覗く沖田に足を止められた。
二人とも既にコートを羽織っている。

「今日は誕生日でしょう、斎藤さん」

「誕生日だと」

目だけを動かして沖田を視界に捉え、左の眉をピクリと動かした。

「そうですよ。今日は一年の始まりであると共に、貴方の生まれた日でしょう。斎藤さんと言えども人の子ですからっ、あははっ」

「フン、誕生日か・・・そんな日もあったな」

「あっ、どこ行くんですかっ!!たまには二人で呑みに行きましょうよ!男同士で申し訳ないですが、折角の同僚もとい仕事の相棒として、一年に一度くらい祝ってあげますよ」

「いらん」

斎藤は沖田に背を向けると手を一度振っただけで、そのまま出て行ってしまった。

「あーぁ・・・つれないなぁ・・・何の為に休日出勤に付き合ったと思ってるんだか」

沖田は気を取り直すと、思い付いたようにある人物に電話を掛けた。


一方、会社を出た斎藤は溜息のように呟いた。

「誕生日・・・か」

斎藤には昔の記憶があった。
昔といっても学生時代や子供の頃の記憶なら誰しも持っている。
斎藤の記憶とはそれよりも遥か昔、動乱の幕末を生き抜いた、いわば前世の記憶である。
蘇ったのは中学生のある朝、衝撃の朝だった。

同僚の沖田は大学生になってから覚醒したらしい。
そうなると他にも記憶を持った者がいるのだろう。
心当たりが幾人か思い浮かぶものの、斎藤は考えるのをやめた。

ふと立ち止まって見上げれば、行きつけの飲み屋が入る雑居ビルの前だった。
飲み屋とはいえ、室内は落ち着いた歴史ある重厚な焦茶色の家具で揃えられ、明治や大正の香りが残る隠れ家のようなバー。

気付けば斎藤は階段を上り、店に入っていた。
テーブル席を嫌がりカウンターの奥、端から二番目の席に腰掛ける。
一番奥の空いた席はそのままに、反対側の椅子に鞄を乗せた。

以前は夕方から朝方まで営業していたこの店も、今はマスターの気の向くままに営まれている。
街の男達の仕事が終わる頃に店を開け、客がいなければ気まぐれに閉める。
また客がいれば気が済むまで長居させた。

それ故、店の中は常連客が何人かいるだけで、席は空いていた。

「いつもので・・・」

声を掛けたのはマスターだった。
初老と言ってよい、白い髪が似合う気品ある男。
店の家具より更に濃い色のベストと、小さな蝶ネクタイが良く似合っている。

この店に厨房は無いが、常連客の斎藤はまれに飯を頼む事があった。
マスターの兄が営む階違いの小料理屋で拵えた物を運んでくれるのだ。

黙って頷いた斎藤に出されたのは伏見の生一本。
酒を知らなかった斎藤が導かれるように初めてこの店に入った時、並ぶ酒の中から強く惹かれて選んだのがこの一本の酒だった。
口に含んだ時、初めての酒に、なぜか懐かしさを感じた。

もう一つ好きな酒がある。
甘く酔いたい時に呑むのが会津こと福島産の酒だ。
カクテル、ビール、ウィスキー。酒は一通りこなせるようになったが、この二本は特別だった。

「うまい・・・」

「本日はおめでとうございます」

「んっ?」

一口酒を含んだ斎藤にマスターが微笑みかけた。

「お誕生日なのでしょう、貴方はいいお友達をお持ちだ・・・」

「友達」

覚えの無い斎藤は、まさかと思い浮かんだ同僚の顔に眉をしかめた。

「そんな顔をなさいますな。もう来られる頃です・・・」

マスターが入り口に顔を向けると、カラランと古いドアベルを鳴らして、にこやかな笑顔が入って来た。

「斎藤さん、ここしかないと思いました!」

「ちっ・・・っ、おぃ・・・」

舌打ちをした斎藤だが、沖田の後ろから現れた女性を目にして言葉を失った。

小柄な沖田と並んでも尚小さな体、黒く艶やかな長い髪・・・愛らしく潤々と輝く瞳、ほんのり膨らんで色付いた唇。
遠慮がちに首を傾げる姿に息を呑んだ。

・・・かつての自分が愛し、命を懸けて共に歩んだ女性ではないか・・・

斎藤の止まっていた時が一気に動き出したようだった。
 
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