おつまみ

明】北】君の幽霊
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斎藤一の傍に、いつもついて離れないものがいた。

ふわふわ、ふわふわ、風に飛ばされそうな体に実体は無く、姿は見えるが触れられない。
見慣れた姿と顔かたち。触れられないのに、向こうは斎藤に触れてくるから厄介だ。

更に面倒なのは、周囲の者には見えもせず聞こえもしないことだった。

「ねぇねぇ斎藤さん、早く斬っちゃったらどうですか、面倒な尋問なんていいでしょう」

沖田総司の幽霊、と言うべき存在は、軽々しく斎藤に語り掛けた。
斬り伏せたい所だが今は情報を引き出す為に捕らえるべき、そんな緊迫した状況でも、実体の無い男は遠慮無しに軽い笑い声を響かせる。
気にするほどドツボにはまるのは斎藤自身だ。
こんな時、斎藤は己に「これは幻聴だ」と言い聞かせた。

「あはははっ、本当に偉いですね〜任務完遂ですね。無事捕獲! あとはみなさんに任せるんですか、退屈な仕事は部下に振る、昔から変わりませんね〜」

周りの警官達まで意識が向かず、斎藤は思わず舌打ちしてしまった。
皆、逮捕した人物を連行する為、忙しく動いている。余裕のない状況で突然舌打ちをされれば、何か失態を犯したかと冷や汗を掻く者もいる。
斎藤は目配せで「気にするな」と、部下達を行かせた。

「君もそろそろ逝ったらどうだ。なぜ成仏せん。何で俺なんだ」

「あははっ、いいじゃありませんか。貴方が一番見ていて面白そうなんですから」

「ちっ……だったら黙ってろ。幽霊らしくな」

幽霊のくせに沖田は爽やかな笑顔を見せる。どこまでいっても沖田総司なのだ。


斎藤が付きまとうものに気付いたのはいつの頃か、突然だった。
驚いたが、追い払っても追い払ってもついて来る。
自分で念仏もどきも唱えてみたが、効かなかった。

「俺を道連れにしたいのか」

「まさかぁ!」

生前、背が低かった沖田の姿形は変わらない。その沖田に、常に上から覗かれる。
自由自在に周りを飛び回り、上から目線でいちいちうるさく絡んでくるのだ。
あまり良い気分ではない。

だが、突き放せないのも不思議だ。どこかで除霊でもしてもらえば、簡単に消えるのかもしれないのだが。

もしそうするならば、せめて縁の地で行うが情けか。
日野の地か、京に出向いた時か。それとも徳川家の菩提寺か会津縁の寺が良いか。
何度も同じことを考えるが、親しんだ憎らしいほど素直な笑顔を見るたび、思い止まってしまうのだ。

死して尚、傍から離れない沖田は、斎藤が明治の世で成す仕事を逃さず見届けていた。

時折恨めしそうに、役に立たない死霊の己を自虐する言い回しで仕事を褒めてくるのが、斎藤にはむず痒い。

役立たずと言うが、稀に敵の存在をぼそりと斎藤に教えた。
斎藤は無論気付いていた素振りで振る舞うが、一度くらいは救われていただろう。沖田は当然強く言い返し、昔のような他愛のない喧嘩を楽しんだ。
いつまでもこうしていたい、そんな思いは無い二人なのに、何故か離れることは無かった。



年月は流れ、斎藤が海を渡る時でさえも、沖田はついて来た。
東京から遠く、冷たい北の地だ。

「沖田君」

「なんでしょう」

「もう行け」

ふわふわ揺れる薄い顔が、淋しそうに固まった。体の向こう、空が時々透けて見える。

生者にとって幽霊など煩わしい存在でしかない。それでも、斎藤は異なる思いでいてくれる、沖田は自分でも気付かぬうちに思い込んでいた。
本当にもうお終いなのか。沖田が消えてしまいそうな自分を感じた時、

「探して来い、土方さんを」

斎藤が言葉を続け、固まっていた顔に意識が戻った。

死んでも感情はしっかりと残り、存在に作用するとは何とも奇怪。
しかし奇妙さが似合う男だなと、斎藤は楽しそうに昔と変わらぬ大きな瞳を眺めた。

凄腕の剣客に似つかわしくない大きな愛くるしい目。随分と長く眺めてしまったもんだ。もう、いいだろう。
斎藤はガラにもなく、沖田に向かってフッと笑んだ。

「俺には分からんが、君になら見えるんじゃないのか。分かるかもしれん、行方知れずの土方さんが」

「土方さん……」

蝦夷の地で散った我等が副長・土方歳三。
遺体は今も見つかっていない。
冷たい北の地のどこかで、隠されるように眠っている。
どれだけ探しても見つからぬ副長。生者に無理でも、幽霊のお前になら。
斎藤が念を押すように首を傾げると、沖田は既にないはずの息を呑んで、目を丸くした。

「探してやれ。一緒に逝けばいいさ」

「……斎藤さん」

「もう俺の所には戻ってくるなよ」

──じゃあな……

背中越しに手を振って、斎藤は去っていった。
空を漂う沖田なら、すぐに追いつける。しかしこの時、追えずに斎藤の背中を見つめていた。
何度も命を預けた背中。頼もしく大きな背中を、消えるまで見続けた。
 
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