おつまみ
□現】もしも彼らがバンドマンだったら
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「よくこの場に来られたな。もう少しすべき事があるんじゃぁ、ないか」
「何だとこの野郎!だったらテメエがやってみろよ、俺はちゃんと叩いてるぜ!」
「気付いていないのか、だったら本当の阿呆だな」
「どこへ行く」
斎藤はフゥと溜め息を吐いてベースを置いてしまった。黙って見ていた蒼紫がようやく間に入る。
だが気が削がれてしまった斎藤は片眉を吊り上げてフンと鼻をならし、出て行ってしまった。
廊下で出会うスタッフには無表情で会釈をし、声をかける暇を与えずに通り過ぎる。
スタジオビルを出るが、すぐに立ち止まって舌打ちをした。
「置いて来ちまったな。また戻らないとか」
苛立ちのまま出てきたは良いが愛器をスタジオに置いてきてしまった。放置したくはない。だが音楽を知る者ばかりのあの場所、不用意に触れる者はいないだろう。
今は戻る気にはなれず、そのまま歩き始めた。
どれほどスタジオに籠っていたのか、辺りはすっかり日が暮れている。夜の冷気で無意識に肩が縮んだ。
斎藤が初めて楽器を手にしたのは十代の頃。
音楽を始めたきっかけは多くの者が楽器を手にした理由と変わらない。
弾けたら格好いい・・・それだけだった。
若さで選んだ楽器はベースではなくギターだった。
夢中になり練習するうち、気付けば周りにバンド入りを誘われるほど腕は上がっていた。
しかし面倒を嫌う斎藤はギターは止めたと告げ全ての誘いを断った。
そうして断っているうちに、いつしか本当にギターを置いてしまった。
それでも音楽は楽しい。
全てを捨てるにはもったいなく、違う物をと別の楽器を試みた。様々な楽器に手を出し、音を鳴らして体の芯に響く心地よさを感じたのがベースだった。
それ以来ベースを持ち歩いている。
スポットライトは浴びないという条件付きで誘いを受けるうち、伝説のスタジオミュージシャン、伝説のベーシストと謳われる存在になっていた。
何も考えずに済む時間、それが音楽の中に在る時。
四乃森蒼紫とのセッションは予想通り最高の時間だった。
「そういえば伝えていないな」
最高だ。
素直に蒼紫に伝えようと考えていたが、今企画で初めて会って以来まだ一度も伝えていない。
最高に穏やかな時を与えてくれる演奏家や歌い手に敬意は惜しまない。
「だがあのドラムはなんだ」
不愉快な時間を思い出した斎藤は再び舌打ちをして足を速めた。